君を待つひと

橘しづき

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6.ここに来るまで

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 ミチオがレストランからいなくなって少し経つ。

 店は通常通り経営していた。ミチオがいなくなった後はキッチンがしばらく忙しそうだったが、張り紙の効果は絶大だった。待ち合わせの名所から一番見える店なので、人目につきやすいのもある。

 すぐに働きたいと希望があった。経験者なので覚えも早い。ミチオがいなくなり、次に長く勤めていたシェフが新しく料理長となった。彼は新人に仕事を教えながら、なんとかレストランを回していた。

 キッチンの混乱は、意外とホールにも影響してくる。いそがしそうならせめて皿洗いだけでも、と、みんなで協力し合うことが必要だからだ。

 その日もまさにそうだった。ホールは人手がそこそこ余っていたので、ワタルはキッチンの方に手伝いに入っていた。皿を片付けたり、野菜を洗ったりする程度のものなのだが。

 しばらくして落ち着いて来た頃、ふらふらとホールへ戻った。ケンゴがそれを見つけ、面白がって声をかける。

「おうワタル、ヘロヘロじゃん大丈夫かー?」

「ああ、ケンゴ……いや、簡単なことしかしてないんだけどさあ。慣れないことって疲れるよね」

「はは、それは分かるわ。接客とは違った大変さがあるからな。そういえば、さっきここ来る前に街でミチオさん見たよ」

「え、そうなの?」

「嬉しそうに奥さんと歩いていた。なんつーかデレデレ? 俺ですら空気読んで声掛けるのやめた」

「あはは!」

 ワタルは声に出して笑ってしまう。会えないかもしれないと思っていた妻が、実はずっと自分を待っていたなんて。そんなの嬉しいし惚れ直すよなあ。素敵な夫婦だ、と感心する。

 しかしあのミチオさんがデレデレか。見てみたいな、そのうち僕も街で会えないかな、なんて彼は思った。

 正直なところ、ずっと店を回してきたミチオがいなくなったのは寂しい。なんだかんだ面倒見のいい人だったので、きっとレストランで働く誰もがそう思っている。ワタルは一番働いた時間が短かったが、痛感していた。

 ここで働く人たちもみんな誰かを待ってる。待ち時間に働いてみよう、という人たちが集まっているだけだ。だから、いずれ誰もいなくなる。一人また一人と、メンバーは変わっていくのだ。

 そう思うと、どこか心の奥がぐっと痛んだ。ワタルにとってかけがえのない場所になっていたからだ。決して悲しい別れではないのに、複雑なものだ。

 ケンゴはそんなワタルの気持ちを察したのか、さりげなく言う。

「まあ、いつ誰がいなくなるなんて全然見当つかないのが辛いとこよな。待ち人が一体どんなタイミングで来るのかなんて知らねーんだもん」

「そうだね……」

 ワタルは目の前の友人に聞こうとした。ケンゴは誰を待っているの? と。

 だが言いかけて止める。これだけ仲がいい友人相手でも、流石に突っ込んではいけないところだろうか。デリケートな質問ではあるのだが……。

「あ、のさ、ケンゴは」

「んー?」

「……答えたくないならいいんだけど」

「うん」

「どうしてここにいるのかなあ、って」

 ワタルの質問に、ケンゴは嫌な顔をしなかった。むしろ、どこか嬉しそうに微笑み目を細める。

「いやあ俺会いたい奴いっぱいいるんだけどね! 親友だって会いたいし、片想いしてためっちゃ可愛い女子にも会いたいし」

「わあ、さすがだね……」

「はは、一番は家族かなーと思うけどな」

 家族、という単語に、ワタルは反応する。すぐに声を上げた。

「僕も! ……僕は、姉を、待ってる」

 ケンゴと目が合った。ワタルは少し恥ずかしく思いながら、そっとそれを逸らした。

「僕はケンゴみたいにそんなに友達多くもないし、彼女もいなかったから……家族も、たった一人、姉だけ」

「一人?」

「うん。七歳年上なんだよね」

「そっか、なら普通に考えたら会えるのはまだまだ先だよな。若いし」

 ワタルは頷いた。もちろんどこでどうなるかはわからないが、普通に考えればワタルの待ち時間は結構長いだろうと想像がつく。だからこそ彼は、レストランで働くことを決めた。遊び歩いているだけより、働いている方が気がまぎれると思ったのだ。

 いつか会えた時は、相手は皺が大分増えてて、ワタルはこのままで……なんて、今から想像してしまう。

 ケンゴは小さな声でつぶやいた。

「会えるといいな。お互い、会いたい人と」




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