君を待つひと

橘しづき

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5.待たせたい

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 それを聞いた瞬間、ミチオは固く口を結んで黙り込んだ。



『仕事が終わる俺の帰りをずっと待っててくれる、そんな人だった』



 彼はあまり家庭を顧みなかった。そう自分で後悔していた。だから、妻はもしかして自分と会いたがらないかもしれないと。

 これは妻からの小さな仕返しなのだ。先に旅立ってしまった夫への不満をぶつけたかったのかもしれない。

 それでも、夫の作った料理を食べ、結局は名乗りを上げたことは、彼女が愛に溢れた人だということを表していた。また夫に会いたいと、願っていたのだ。

 ミチオは顔を赤くして唇を震わせた。その目には涙がいっぱい溜まっている。彼のそんな姿を見たことがなかった店中のスタッフは、固唾を飲んでその光景を見守っていた。ワタルもそのうちの一人だ。

 その時ふと、ワタルはあることを思い出す。そして忍び足でレストランの出口に向かうと、今まで一度も使ったことがない札を貼り付けた。

『準備中』

 よし、と頷く。店内にはスミレたち以外に数組、しかも食事が終わりかけの客ばかりだった。

 ワタルがホールへ戻ると、未だミチオは泣きそうな顔をしながら俯いているだけだった。そんな彼に助け舟を出すように、ワタルは声をかけた。

「ミチオさん! よければ座って、奥さんと食事でもとったらどうです?」

「え」

「もう少しで休憩時間でしょう? ほら、座って」

 ミチオの背中を押しながらワタルは笑顔で言う。すると他のスタッフも勘づいたのか、すぐさま動き出した。さすが動きが早いなあ、なんて感心する。

 ワタルは覚えていたのだ。安い飯屋ばかりで、いい店には行ったことないとミチオが言っていたのを。ここはそこまで高級店ではないにしろ、少なくともこの街では一番の大きな店だ。二人で話しながら食事をするのにはもってこいの場所なのだ。

 だがミチオは困ったようにソワソワしていた。スミレは呆れたように言う。

「なあに。いつも作ってる側だとはいえ、食べる側はそんなに緊張するの?」

「知ってるだろ、俺は外食はあまり得意じゃないんだ」

「変なの」

 揶揄うように言う妻に、少しだけミチオの表情が緩んだ。ワタルはそそくさと裏へ周り、キッチンにいる人たちに状況を説明した。だがみんなすでに知っているようだった。他のスタッフが早くも伝えていたらしい。

 キッチンの人々は嬉しそうに調理を始めていた。まさかここの料理長をもてなす日が来るとは思ってなかったんだろう。

 前菜はすぐに用意された。持ってホールへ回ると、気を効かせたのかただ単に食べ終わっただけなのか、他の客は一気に引いていた。店は二人の貸切状態になったのである。

 ワタルは背筋を伸ばして前菜を運んだ。美しい彩りのものだった。

 スミレは感嘆の声をあげ、ミチオは満足げに頷いていた。二人はゆっくりそれを味わいながら、小さな声で会話を重ねていく。それでも他に客がいない店内で、どうしても響いてしまう。

「美味しいわとっても」

「まあ、うちの店は味は自信がある」

「あなたは家で料理してくれたこともよくあったわよね。私は苦手だから、感心してばかりだった」

「そうだな、スミレは基本料理が苦手だったな」

「目玉焼きですら味が違うのは一体なぜって話よ、不思議だわ」

 二人の会話は徐々に弾み出す。長いこと離れていたとは思えないほど、軽快なリズムだった。時に笑い、時に怒りながら昔の話を中心に繰り広げられていく。

 料理は次々運ばれていった。そのたび婦人は嬉しそうな声をあげ、ミチオはどこか落ち着かなそうにしていた。自分が働く店でもてなされるというのは居心地の悪いことらしい。

 料理人が腕によりをかけて作られた料理は全て胃袋に収まっていく。料理を待っている間は特に、会話は弾んだ。

 食べながら、もいいが、料理を待つ時間も大事なコミュニケーションを取る場だとワタルは思う。

 同じ目的を持って向かい合うのだ。会話が生まれないはずはない。食事をするということは、そういった楽しみ方もあるのだ。ただ腹を満たすのと味わうだけではない。

 無事デザートまで運び終わり、二人が甘いアイスクリームを食べていた。それが半分ほど減った時、ミチオが呟いた。

「すまなかった……前からもっと、お前とこういうところに来て、向かいあう時間を取ればよかったのに」

 スミレはすました顔でアイスを食べている。ミチオは小さなスプーンを持ったまま手は動かさず、さらに続ける。

「スミレは俺に会いたがらないかもと思っていた。だから、探すこともせずに待ってるだけで……情けない」

「ほんと。あなたって、仕事に関してはうるさいのにそういう店に行くのは嫌いだし、一人でふらっと飲みに行っちゃうし、私は家で待ちくたびれていたわ」

「……すまない」


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