君を待つひと

橘しづき

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5.待たせたい

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「くあー、忙しかったなー」

 ぐったりするようにミチオが椅子に座っていた。

 ホールは満席状態が続き、今しがた少し客が引いてきた。フランパンを振り続けたミチオは肩を労わるように回しながら、裏でようやく休憩を取っていたのだ。

 そんな彼を見て、ワタルは笑う。

「お疲れ様ですミチオさん。さすがの捌き方でしたね。あんなに混んでるのに、料理も待ち時間がそんなになくてすごいってお客さん褒めてましたよ」

 ワタルがいうと、ミチオが顔をあげる。目を輝かせ、子供のように得意顔になった。

「おう、まあ俺はベテランだからな。腕は一流よ」

「それに、あの夫婦のリクエストにもすぐ応えたりして」

 今日やってきた夫婦は、初めてこのレストランに来たらしかった。年齢は七十代と言ったところか。彼らはメニューには置いていない料理のリクエストをしたのだ。

 和食もメニューには置いてある。だが、どうも好みではなかったらしい。

 それをミチオに伝えると、彼はすぐにイエスの返事をした。少し時間はかかったものの、無事リクエスト通りの料理を完成。夫婦は大喜びで帰って行った、というわけだ。

 ミチオはふふんと鼻を鳴らす。

「一流のシェフはどんなジャンルの料理もできるってもんよ。得意不得意はあっても、大概作れるさ」

 単純な彼の様子にワタルは笑ってしまう。それを見ていたのか、ケンゴも顔を出してきた。

「そういやミチオさんって、ここに来る前はどんなところで働いてたんです?」

「ん? ああ、ホテルのレストランのシェフだったよ。規模はでけーホテルだったぞ」

「げ! マジですごい人じゃないっすか」

「げってなんだ、げって」

 笑いながらミチオはグラスに入った水を飲む。そんな彼を見ながらふと、結構長く働いているのに、ミチオの話を聞くのは初めてかもしれない、とワタルは思った。

 レストランで働くスタッフたちはみんな仲がいい。いい人ばかりだし、親切だ。だが、不思議と自分の話はあまりしない人たちが多かった。

 ワタルもその一人だ。隠してるわけじゃない、ただ、聞かれないから言わないだけ。仲良くしてるケンゴすら、誰を待っているのか聞いたことはなかった。

 それはやはり、なかなか繊細な話題でもあることをわかっているからだ。待ち人は必ず来るとは限らない。

 ちらりとミチオをみる。

 彼はワタルがここで働いてみたい、と立候補した時からレストランにいる。あれからどれくらい時間が経ったのだろうか。ミチオは誰を待っているんだろう、と気になりだしてしまう。

「ミチオさんって結構長くこのレストランにいますよね」

「あーまあ古株な方だな。とはいえ、ここのスタッフは入れ替わりが激しいからなあ。街にはもっと長く待ってる人たちは大勢いるし、それに比べれば俺はまだまだ」
 
 苦笑いしながらミチオは言う。あと一歩踏み込んで聞いてみようか、とワタルが迷っていると、ケンゴの方が早く反応した。

「ミチオさんはよく働いてますけど、広場とかもっと見に行かなくていいんすか」

 その質問に、ミチオは水を飲む手をピタリと止めた。

 確かに、とワタルは気づく。ミチオは基本、働いているか、休憩時間も控え室でゆっくりしていたりと、街へ出ていることが少ないのだ。待ち人を探しに行っている様子がない。

 グラスをそっとテーブルに置くと、困ったような複雑な笑みを浮かべた。

「あーまあ、そうだな。多分、もし相手が来たとしたら、俺がどこにいるかなんてすぐわかると思うからよ」

 なるほど、とワタルは納得した。一流シェフだったミチオさん、きっとこの世界でもレストランにいるだろうと、相手もすぐに気づくと言うことか。

 それって素敵だな。お互いをよくわかってるっていうことじゃないか。

 ニコニコ笑いながらワタルは聞く。

「いいですね! 仲良い人なんですね。ここは広場の真前の一番有名なレストランですし、待ってれば来てくれそうですね」

 ワタルの言葉に、ミチオは笑わなかった。鼻から長い息を吐くと、彼は首をかしげる。

「さあなあ……来てくれるかはわかんねえな」

「え?」

「カミさんを待ってるけど。
 俺は褒められたダンナじゃなかったから」

 そう言った彼の顔は、叱られた子供のような顔をしていた。ワタルとケンゴは思わず顔を見合わせる。

 これ以上聞かない方がいいのか。今まで聞いたことのないミチオさんの過去の話。二人が迷っていると、ミチオは自ら話し出した。

「あー俺はなあ、仕事ばっかりしててな。カミさんをあまり大事にしてやれなかったな、って思うんだ」

「え、ミチオさんがですか?」

 ワタルは驚いて声を上げる。彼は優しいし穏やかな人で、結婚していたら絶対愛妻家だろうなと思っていたのに。意外にも程がある。

 ミチオは困ったように頬を掻く。

「年取ってから反省したんだよ。家庭を顧みず仕事ばっかりして、飲んで帰ってさ、こんなの愛想つかされても仕方ない夫だったって。あいつは何度も俺を叱ったのに、ちっとも言うこと聞かなかった。
 これからちゃんとしようって思った矢先、こっちに来ちまってなあ。だから、カミさんが俺を探してくれるかは分からないんだ」

 ワタルとケンゴは返答に困った。無責任に『大丈夫ですよ!』とも言えない。ミチオの家庭のことは、ミチオにしか分からないのだ。


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