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蒼一の答え④

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 父は今度は私の方に向き直った。普段通りの落ち着いた声色で、少し口角を上げて言った。

「蒼一。あのプロジェクトだが、信じられないことに向こうから是非うちとやっていきたいと連絡が来た」

「なんだって?」

「それを連絡したくてずっと今日電話してたんだが」

 私は驚きで瞬きすら忘れた。父が言っているのは、以前から長いこと取り組んできた大型プロジェクトのことだった。付け加えるならそこにいる新田茉莉子も携わっているものだ。

 うちよりもずっと大企業である会社との取引を持ちかけ、プレゼンを進めていた。が、正直なところかなり難しい状況で、ライバル会社に負けてしまう可能性もあると密かに思っていた。それがここにきて急になぜ? 

 隣でキョトンとしている咲良に、早口でそれを説明した。しかし、咲良のおかげ、という点は私もまだ理解が追いついていない。

 父は穏やかな表情で咲良を見、説明した。

「咲良さん。以前うちの創立記念パーティーで、車椅子のご老人と話したのを覚えてますか?」

「え? ああ、はい。少しだけですが、確かにお話しました」

 私も思い出す。確か挨拶回りの途中で、咲良は車椅子の老人の存在に気づき自ら近づいた。ビュフェ式だった食事を老人のために運び、談笑していたのだ。母はそれをよく思っていないようだったが。

 父は頭を掻いて言う。

「あの方ね。さっき言った取引先の会長だったんだよ」

「ええ!?」

 声を上げたのは咲良だけではなく私と母もだった。見覚えのない老人だと思っていた。結局挨拶する前にいつのまにかいなくなってしまったので誰だったか知らずじまいだったのだ。

 私は首を傾げて父に言った。

「あの会社の会長、って。名前だけは存じてますが、もう現役からはだいぶ遠ざかっているとか」

「そうなんだよ。かなり前に病に倒れて、そこからは経営は子に託し現役からは退いていた。長く闘病生活を送られて、今は完治しているらしい。その間にだいぶ風貌も変わってしまったみたいでね。私もあの日気付けなかった。
 
 だが彼はそれを利用して、面白半分で自分の会社と関わりのある相手のパーティーとかに参加してたらしいんだよ。多分様子見がしたかったんだろうな。
 会長だと名乗らなければ大概の人間は軽く挨拶して終わりだったみたいで、あんなふうに料理を運んだりしてくれた未来の社長夫人がかなり新鮮だったようだよ」

 私たちは無言で咲良に注目した。当の本人は、視線を集めたことが恥ずかしかったのか困ったように狼狽えている。父はそんな咲良を目を細めて見ながら続けた。

「もちろんうちの会社のプレゼンも気に入っていたみたいだけどね。プレゼンの内容も踏まえ、咲良さんの言動が決め手になりうちでよろしく頼みたいと返事が来た」

「私は特に何も……。お仕事を頑張った方々のおかげだと思います」

「いいや、会長はとても喜んでいたようだよ。権力のない者にも気が配れる人間が上にいる会社は伸びる、と断言されたようだ」

 私は感嘆のためいきを漏らした。普段から優しさで溢れる彼女の行為が、こんな形となって返ってきた。喜びと感激で胸が震える。

 父は再度母に向かって言った。

「咲良さんが蒼一をフォローするには弱いって? 彼女のおかげでこうなったんだぞ。なんか他に言いたいことはあるか?」

 母は流石に口をつぐんだ。もう言い返す言葉なんてないはずだ、だが顔は悔しさでいっぱいに見える。まあ今更肯定の言葉など出てこないのだろう。

 私は隣の咲良に言った。

「ありがとう、咲良ちゃん」

「ええ! 私ほんと、そんな大したことしてないんですが」

 ブンブンと首を振って慌てる。そんな咲良と私に父が眉間に皺を寄せて言った。

「咲良さん、家内が失礼なことをして申し訳なかった。強く言って聞かせます。もうこんなことはさせないと約束するので、どうか退職は考え直してもらえないか」

 ゆっくりと頭を下げられる。私はちらりと咲良を見た。恐らく、嫌だったとしても彼女はここでノーとは言えないはずだ。

 父がこちら側であるということは大きい。これだけ厳しく言われれば母も下手なことはできなくなる可能性は高い。が、今までやってきたことはそう簡単に許せることではないし、そこにいる新田茉莉子の存在も気になる。

 とはいえ、ここで辞める、辞めないの話し合いも咲良に負担を掛けるだけだ。もう話は切り上げて、早く去るのが一番だと思う。母や新田さんの視線も、彼女にとっては苦しいだろう。

 オロオロしている咲良の代わりに声を上げた。

「それはまた二人で話し合う。ここですぐに返事はできない」

 顔を上げた父は、仕方ないとばかりに頷いた。私は今一度母と新田茉莉子を振り返る。母は苦虫を噛み潰したような顔をしていた。せめて最後に咲良に謝罪の一言でもあればいいと思ったが、それは何もなかった。

 部屋の隅に立っている新田茉莉子は、両手をぎゅっと握り締め、真っ赤な顔で目に涙を溜めている。咲良もその様子に気づき、心配そうに何か言いかけたのを私は止めた。もう関わらなくていい、と。

 そのまま無言で二人家を出た。玄関の扉を閉める直前、再び父の怒りの声が聞こえてきたが無視した。

 ずっと握っていた咲良の手は離すことなく、お互いの手は少しだけ汗ばんでいた。




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