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咲良の決意⑥
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離婚届、と書かれた文字だけを、私はじっと見つめていた。
お母様が言いたことは理解した。
私たちの関係を見抜いている。このままでは天海家の跡継ぎは期待できない、だったら早いうちに離婚してくださいと言いたくて今日私を呼んだんだ。
親として、天海家の人間として、彼女がそう心配するのはしょうがない気がした。
お母様は紅茶を啜りながら続ける。
「まあ戸籍が汚れるなんて確かに世間体はよくないですよね、盛大に結婚式も挙げましたし、藤田家との繋がりがなくなるのはとても痛いのも事実です。でも跡継ぎが出来ないことに比べれば些細な問題です。
それにこれは藤田家のためでもありますよ」
「え……」
「綾乃さんがこのまま見つからなければあなたの家も跡継ぎが困るでしょう。蒼一とは別れて、あなたは好きな男性を婿にでもとりなさい。それが一番平和な終わりです」
「…………」
ティーカップを置いた音がやけに部屋に響いた。好きな男性、という言葉が胸に残る。
私の好きな人は今も昔も蒼一さんだけだった。子供の頃から気がつけば憧れの人になっていた。
叶うはずがないとわかっていてもこっそり抱き続けたこの気持ちが、ようやく報われるとあの日は思っていた。
離婚届の文字だけをぼんやり見つめる。お姉ちゃんの代わりに結婚式に出た時、まさかこんな日が来るなんて全く想像していなかった自分は想像力がなさすぎた。
「それにね。蒼一の次の結婚相手には、もう心当たりがあるの」
「……え?」
「あなたもご存知でしょう? あの子と同じ職場の」
「……新田さんですか?」
唖然としてその名を呼んだ。お母様は返事をしなかったが、こちらを見て少しだけ微笑んだ。
もう息さえも上手く出来ている自信はなかった。この前の誕生日の一件をみても、蒼一さんが新田さんに好意を持っているのは間違いない。とてもお似合いだと私ですら思う。
何も言えない私を見てお母様は言う。
「彼女の気持ちはもう確認済みです。気が利くし頭もいい。何より蒼一の仕事に対して理解があります。妻として相応しい」
「そ、蒼一さんはなんて?」
「言いましたね、あの子は優しすぎる。きっとあなたに罪悪感を感じて離婚なんて言い出せないでしょう。だからあなたに頼んでいるんですよ」
「私」
「よく考えてくださいね咲良さん。
あなたの決断で、幸せになる人たちがたくさんいますよ」
そう言い切ると、お母様はじっと私を見た。逃げられないような強い視線で私を捉えている。
二人しかいない広い家で沈黙が流れる。瞬きをするのさえ許されないような圧迫感で、私は苦しくて倒れそうだった。
「……考え、させて、ください」
必死に絞り出した声でそれだけ答えた。目の前に置かれた紅茶はほとんど中身が残ったまま冷めていた。
夜になり、私は自分の部屋でベッドに腰掛けていた。
帰宅した蒼一さんとは普段通り接し、共に夕飯をとった。だが食欲がなく箸が進まない私を彼は心配してくれた。
おやつを食べてしまいお腹が空いていない、ということにして笑い誤魔化す。彼は信じたようで安心した顔を見せていた。
一通り後片付けや入浴も済ませ、いつも通りおやすみなさいと挨拶を交わして自分の部屋に入った。彼と二人で買ったベッドがそこにはひっそりとある。
そこに座り込み、じっと考えていた。
『あなたの決断で、幸せになる人たちがたくさんいますよ』
最後に聞いたあの言葉が自分の胸を突き刺す。もやもやして、痛くて、悲しくて、虚しかった。
自分が座っているベッドのシーツをそっと撫でる。やっぱりベッドを買おうと言われた時、もっと強く拒否すればよかった。部屋を別にされてから私たちの距離はもっとできた気がする。
『これだけ一緒にいて夫婦ごっこでは、もう進むことは無理でしょう』
一番痛いところを突かれた。ぐうの音も出ない正論だ。
お母様が言いたことは理解した。
私たちの関係を見抜いている。このままでは天海家の跡継ぎは期待できない、だったら早いうちに離婚してくださいと言いたくて今日私を呼んだんだ。
親として、天海家の人間として、彼女がそう心配するのはしょうがない気がした。
お母様は紅茶を啜りながら続ける。
「まあ戸籍が汚れるなんて確かに世間体はよくないですよね、盛大に結婚式も挙げましたし、藤田家との繋がりがなくなるのはとても痛いのも事実です。でも跡継ぎが出来ないことに比べれば些細な問題です。
それにこれは藤田家のためでもありますよ」
「え……」
「綾乃さんがこのまま見つからなければあなたの家も跡継ぎが困るでしょう。蒼一とは別れて、あなたは好きな男性を婿にでもとりなさい。それが一番平和な終わりです」
「…………」
ティーカップを置いた音がやけに部屋に響いた。好きな男性、という言葉が胸に残る。
私の好きな人は今も昔も蒼一さんだけだった。子供の頃から気がつけば憧れの人になっていた。
叶うはずがないとわかっていてもこっそり抱き続けたこの気持ちが、ようやく報われるとあの日は思っていた。
離婚届の文字だけをぼんやり見つめる。お姉ちゃんの代わりに結婚式に出た時、まさかこんな日が来るなんて全く想像していなかった自分は想像力がなさすぎた。
「それにね。蒼一の次の結婚相手には、もう心当たりがあるの」
「……え?」
「あなたもご存知でしょう? あの子と同じ職場の」
「……新田さんですか?」
唖然としてその名を呼んだ。お母様は返事をしなかったが、こちらを見て少しだけ微笑んだ。
もう息さえも上手く出来ている自信はなかった。この前の誕生日の一件をみても、蒼一さんが新田さんに好意を持っているのは間違いない。とてもお似合いだと私ですら思う。
何も言えない私を見てお母様は言う。
「彼女の気持ちはもう確認済みです。気が利くし頭もいい。何より蒼一の仕事に対して理解があります。妻として相応しい」
「そ、蒼一さんはなんて?」
「言いましたね、あの子は優しすぎる。きっとあなたに罪悪感を感じて離婚なんて言い出せないでしょう。だからあなたに頼んでいるんですよ」
「私」
「よく考えてくださいね咲良さん。
あなたの決断で、幸せになる人たちがたくさんいますよ」
そう言い切ると、お母様はじっと私を見た。逃げられないような強い視線で私を捉えている。
二人しかいない広い家で沈黙が流れる。瞬きをするのさえ許されないような圧迫感で、私は苦しくて倒れそうだった。
「……考え、させて、ください」
必死に絞り出した声でそれだけ答えた。目の前に置かれた紅茶はほとんど中身が残ったまま冷めていた。
夜になり、私は自分の部屋でベッドに腰掛けていた。
帰宅した蒼一さんとは普段通り接し、共に夕飯をとった。だが食欲がなく箸が進まない私を彼は心配してくれた。
おやつを食べてしまいお腹が空いていない、ということにして笑い誤魔化す。彼は信じたようで安心した顔を見せていた。
一通り後片付けや入浴も済ませ、いつも通りおやすみなさいと挨拶を交わして自分の部屋に入った。彼と二人で買ったベッドがそこにはひっそりとある。
そこに座り込み、じっと考えていた。
『あなたの決断で、幸せになる人たちがたくさんいますよ』
最後に聞いたあの言葉が自分の胸を突き刺す。もやもやして、痛くて、悲しくて、虚しかった。
自分が座っているベッドのシーツをそっと撫でる。やっぱりベッドを買おうと言われた時、もっと強く拒否すればよかった。部屋を別にされてから私たちの距離はもっとできた気がする。
『これだけ一緒にいて夫婦ごっこでは、もう進むことは無理でしょう』
一番痛いところを突かれた。ぐうの音も出ない正論だ。
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