片想い婚〜今日、姉の婚約者と結婚します〜

橘しづき

文字の大きさ
上 下
56 / 95

咲良の決意⑤

しおりを挟む
「とても美味しいです、香りがいいですね」

「そうでしょう? 私のお気に入りなの」

「私も紅茶がすごく好きなんです」

「あらそうなの」

 お母様は穏やかに返事をくれる。その姿に緊張がほぐれた。最初の頃は、もっと冷たい視線で私を見ていたけれど、今は普通の態度だ。

 嬉しくなって再び紅茶を飲む。鼻から甘い香りが抜ける。

「突然呼び出してごめんなさいね。蒼一とはどうですか」

「あ、えっと、とてもよくして頂いてます」

「そう、まああなた方も幼なじみですからね。それなりにうまく生活しているんでしょう」

「蒼一さんは優しいですし……」

「あの子はね、優しすぎるのがちょっとね」

 お母様は紅茶に角砂糖を一つ入れる。ティースプーンでゆっくりかき混ぜながら続けた。

「周りに気をつかう子です。私にですらそうでした。まあ、主人の話では仕事もちゃんとやっているようだし、跡取りとしては問題ないと思うんだけれど。ほら、会社のトップとなると厳しい判断をせねばならないこともあるでしょう?」

「そうですね……」

「そういうことも必要なんです。優しいだけでは通用しない世界です」

 お母様が紅茶を飲む。私も釣られてまた飲んだ。熱いカップをそうっと戻すと、小さな声で言った。

「でも、蒼一さんなら……きっと大丈夫だと思います。お仕事のことはよくわかりませんが、一緒に暮らして彼の凄い面をたくさん見てきました。本当に素敵な人です」

 根拠のない自信、でも心からそう思った。

 好きでもない相手と結婚したのに、私にとことん彼は優しい。その優しさが辛い時もあるけど、全て私のことを思ってやってくれているのをわかっている。

「それに、私が小さな時からすごく遊んでくれたから! 面倒見もいいし、我慢強いですよね。年も離れた男の子なのにおままごとでずっと遊んでくれたんです」

 笑顔で思い出話を語る。懐かしい家に入ってその記憶が蘇ってしまう。お姉ちゃんとテレビゲームをしたかったはずなのに、ちゃんと私の面倒を見てくれたんだから。そんな男子、普通いないよね。

 私は饒舌になり、蒼一さんの話をお母様につづけた。時折相槌を打ちながら彼女は聞いてくれる。

 私はお姉ちゃんほど蒼一さんと一緒に過ごしたわけではないが、それでも思い出話はたくさんあるのだ。成長するにつれ次第に蒼一さんとも距離ができたが、子供の頃の思い出は今でも大事なもの。

 私一人語るのを、お母様は何も言わずに紅茶を飲んで聞いていた。しばらく経って、彼女は私の方を見ることなく、言葉を出した。

「そう。そうだったわね。あなたたちは年が少し離れているから」

「はい」

「でも夫婦としてうまく行ってるんですね」

「え、ええ」

「ではあちらはどうですか」

「え?」

 そっとお母様が私を見た。目と目が合った時、なぜかは分からないが動けなくなった。私を試しているような、心を見抜くような、そんな目のように思った。

 わずかに微笑みながら、お母様は言った。

「跡継ぎは、大丈夫ですね?」



 私は言葉をなくした。



 跡継ぎ。その単語が頭の中でぐるぐると回った。愛想笑いも、ごまかすこともできず、私はただ停止してお母様の顔を見ていた。夫婦としてうまく行っている、の意味がようやくわかった気がする。

 私が固まっているのを見て、お母様の目がすうっと細くなった。そのまま沈黙が流れる。

 ああ、そうだ。なぜ忘れていたんだろう。

 蒼一さんは天海の一人息子でいずれは会社を継ぐ人だ。当然跡継ぎがいなければならない。まだまだ先のこととはいえ、大事なことだ。

 でもわかりきっている。私たちに跡継ぎなんてできるはずがない。そんな関係じゃないからだ、夫婦ではなく同居人としてうまく行っているだけだから。

 一気に全身が冷える。大事なことをすっかり忘れていた自分に恐ろしいとすら思った。目の前が真っ暗になる、とはこういう時に使うんだと知った。

 お母様はふうと息を吐く。私は膝の上に置いた自分の手で拳を握った。手のひらに食い込む爪が痛い。それでも震える手を必死に抑えるにはそれしか方法がなかった。

「やっぱりねえ。パーティーであなたたちを見て、上手く装っていたけどそんな気がしてました。どこかよそよそしいんですよ。夫婦というより兄と妹です」

「…………」

「咲良さん。あの結婚式の日、あなたの提案により式を台無しにせずにすみました。それは本当に感謝しています。でも私はずっと心配だったんです、蒼一は天海の跡取りですから、夫婦ごっこじゃ困るんです」

 何も言い返せない。私はただ茶色の液体を呆然と眺めていた。お母様の言葉が続く。

「もう一緒に暮らして……どれくらい経つかしら? あなたは可愛らしい人だけど、綾乃さんには似てませんね」

「は、い……」

「蒼一もしばらくは綾乃さんのことを引きずってるんだろうと思ってましたが、これだけ一緒にいて夫婦ごっこでは、もう進むことは無理でしょう」

 そう言ったお母様がゆっくり立ち上がる。近くにあった引き出しから何かを取り出した。それを手に持ち、私の前に再び座る。

 テーブルの上に紙が一枚置かれた。

「咲良さん。蒼一と、離婚していただけませんか?」
しおりを挟む
感想 25

あなたにおすすめの小説

お飾りな妻は何を思う

湖月もか
恋愛
リーリアには二歳歳上の婚約者がいる。 彼は突然父が連れてきた少年で、幼い頃から美しい人だったが歳を重ねるにつれてより美しさが際立つ顔つきに。 次第に婚約者へ惹かれていくリーリア。しかし彼にとっては世間体のための結婚だった。 そんなお飾り妻リーリアとその夫の話。

【完結】妖精姫と忘れられた恋~好きな人が結婚するみたいなので解放してあげようと思います~

塩羽間つづり
恋愛
お気に入り登録やエールいつもありがとうございます! 2.23完結しました! ファルメリア王国の姫、メルティア・P・ファルメリアは、幼いころから恋をしていた。 相手は幼馴染ジーク・フォン・ランスト。 ローズの称号を賜る名門一族の次男だった。 幼いころの約束を信じ、いつかジークと結ばれると思っていたメルティアだが、ジークが結婚すると知り、メルティアの生活は一変する。 好きになってもらえるように慣れないお化粧をしたり、着飾ったりしてみたけれど反応はいまいち。 そしてだんだんと、メルティアは恋の邪魔をしているのは自分なのではないかと思いあたる。 それに気づいてから、メルティアはジークの幸せのためにジーク離れをはじめるのだが、思っていたようにはいかなくて……? 妖精が見えるお姫様と近衛騎士のすれ違う恋のお話 切なめ恋愛ファンタジー

御曹司の執着愛

文野多咲
恋愛
甘い一夜を過ごした相手は、私の店も家も奪おうとしてきた不動産デベロッパーの御曹司だった。 ――このまま俺から逃げられると思うな。 御曹司の執着愛。  

ごめんなさい、お姉様の旦那様と結婚します

秘密 (秘翠ミツキ)
恋愛
しがない伯爵令嬢のエーファには、三つ歳の離れた姉がいる。姉のブリュンヒルデは、女神と比喩される程美しく完璧な女性だった。端麗な顔立ちに陶器の様に白い肌。ミルクティー色のふわふわな長い髪。立ち居振る舞い、勉学、ダンスから演奏と全てが完璧で、非の打ち所がない。正に淑女の鑑と呼ぶに相応しく誰もが憧れ一目置くそんな人だ。  一方で妹のエーファは、一言で言えば普通。容姿も頭も、芸術的センスもなく秀でたものはない。無論両親は、エーファが物心ついた時から姉を溺愛しエーファには全く関心はなかった。周囲も姉とエーファを比較しては笑いの種にしていた。  そんな姉は公爵令息であるマンフレットと結婚をした。彼もまた姉と同様眉目秀麗、文武両道と完璧な人物だった。また周囲からは冷笑の貴公子などとも呼ばれているが、令嬢等からはかなり人気がある。かく言うエーファも彼が初恋の人だった。ただ姉と婚約し結婚した事で彼への想いは断念をした。だが、姉が結婚して二年後。姉が事故に遭い急死をした。社交界ではおしどり夫婦、愛妻家として有名だった夫のマンフレットは憔悴しているらしくーーその僅か半年後、何故か妹のエーファが後妻としてマンフレットに嫁ぐ事が決まってしまう。そして迎えた初夜、彼からは「私は君を愛さない」と冷たく突き放され、彼が家督を継ぐ一年後に離縁すると告げられた。

【完結】伯爵令嬢は婚約を終わりにしたい〜次期公爵の幸せのために婚約破棄されることを目指して悪女になったら、なぜか溺愛されてしまったようです〜

よどら文鳥
恋愛
 伯爵令嬢のミリアナは、次期公爵レインハルトと婚約関係である。  二人は特に問題もなく、順調に親睦を深めていった。  だがある日。  王女のシャーリャはミリアナに対して、「二人の婚約を解消してほしい、レインハルトは本当は私を愛しているの」と促した。  ミリアナは最初こそ信じなかったが王女が帰った後、レインハルトとの会話で王女のことを愛していることが判明した。  レインハルトの幸せをなによりも優先して考えているミリアナは、自分自身が嫌われて婚約破棄を宣告してもらえばいいという決断をする。  ミリアナはレインハルトの前では悪女になりきることを決意。  もともとミリアナは破天荒で活発な性格である。  そのため、悪女になりきるとはいっても、むしろあまり変わっていないことにもミリアナは気がついていない。  だが、悪女になって様々な作戦でレインハルトから嫌われるような行動をするが、なぜか全て感謝されてしまう。  それどころか、レインハルトからの愛情がどんどんと深くなっていき……? ※前回の作品同様、投稿前日に思いついて書いてみた作品なので、先のプロットや展開は未定です。今作も、完結までは書くつもりです。 ※第一話のキャラがざまぁされそうな感じはありますが、今回はざまぁがメインの作品ではありません。もしかしたら、このキャラも更生していい子になっちゃったりする可能性もあります。(このあたり、現時点ではどうするか展開考えていないです)

王子殿下の慕う人

夕香里
恋愛
【本編完結・番外編不定期更新】 エレーナ・ルイスは小さい頃から兄のように慕っていた王子殿下が好きだった。 しかし、ある噂と事実を聞いたことで恋心を捨てることにしたエレーナは、断ってきていた他の人との縁談を受けることにするのだが──? 「どうして!? 殿下には好きな人がいるはずなのに!!」 好きな人がいるはずの殿下が距離を縮めてくることに戸惑う彼女と、我慢をやめた王子のお話。 ※小説家になろうでも投稿してます

自信家CEOは花嫁を略奪する

朝陽ゆりね
恋愛
「あなたとは、一夜限りの関係です」 そのはずだったのに、 そう言ったはずなのに―― 私には婚約者がいて、あなたと交際することはできない。 それにあなたは特定の女とはつきあわないのでしょ? だったら、なぜ? お願いだからもうかまわないで―― 松坂和眞は特定の相手とは交際しないと宣言し、言い寄る女と一時を愉しむ男だ。 だが、経営者としての手腕は世間に広く知られている。 璃桜はそんな和眞に憧れて入社したが、親からもらった自由な時間は3年だった。 そしてその期間が来てしまった。 半年後、親が決めた相手と結婚する。 退職する前日、和眞を誘惑する決意をし、成功するが――

【完結済】姿を偽った黒髪令嬢は、女嫌いな公爵様のお世話係をしているうちに溺愛されていたみたいです

鳴宮野々花@書籍2冊発売中
恋愛
王国の片田舎にある小さな町から、八歳の時に母方の縁戚であるエヴェリー伯爵家に引き取られたミシェル。彼女は伯爵一家に疎まれ、美しい髪を黒く染めて使用人として生活するよう強いられた。以来エヴェリー一家に虐げられて育つ。 十年後。ミシェルは同い年でエヴェリー伯爵家の一人娘であるパドマの婚約者に嵌められ、伯爵家を身一つで追い出されることに。ボロボロの格好で人気のない場所を彷徨っていたミシェルは、空腹のあまりふらつき倒れそうになる。 そこへ馬で通りがかった男性と、危うくぶつかりそうになり────── ※いつもの独自の世界のゆる設定なお話です。何もかもファンタジーです。よろしくお願いします。 ※この作品はカクヨム、小説家になろう、ベリーズカフェにも投稿しています。

処理中です...