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咲良の決意③
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「お風呂お先でした」
声にハッとする。髪の毛が濡れたままの蒼一さんがリビングに入ってきていた。私は慌てて笑顔を取り繕う。
「いいえ。お酒飲まれますか?」
「ううん、今はお腹いっぱい」
「料理たくさんありましたもんね。私もお風呂いただきます」
手を洗い流しながら言い、その場を後にしようとした。だがしかし、それを止めたのは蒼一さんだった。
「咲良ちゃん」
リビングから出ようとしていた足を止める。振り返ると、どこか怖いくらいの顔立ちをしている蒼一さんが立っていて驚く。
色素の薄い茶色の瞳にとらわれる。私は体が動かなくなってしまった。
じっと私を見つめていた蒼一さんは、次にふっと顔を緩めた。寂しそうな顔にさえ思えた。
「ごめんね、お腹いっぱいだから、今日はケーキ食べれそうにないんだ。明日貰うね」
それだけ言うと彼は私に背を向けた。立ったままテーブルに置いてあるお茶を手に持って飲む。そんな彼の後ろ姿を見て心の中で呟いた。
……ああ、そうか。
だってケーキは、新田さんと食べてきたんですもんね。
胸がぐっと痛んで穴が開きそうだった。書類上夫婦である私に義務を果たすため、彼はこの家に帰ってくる。縛り付けているんだ、たった紙切れ一枚の関係が蒼一さんを。
私は拳を握った。だったら言ってくれればいい、正直に。こんな結婚生活終わりにしようって、蒼一さんから提案してくれればいい。
そしたらこの片想いもようやく終わりを告げられると言うのに。
そばにいればいるほどあなたが遠い。遠いのに好きになる。あなたを自由にしてあげたいのに、隣にいたいがために私は今の生活を終わりにできない。
ちらりとキッチンの端にあるゴミ箱を見つめる。あの中にあるぐちゃぐちゃのケーキを捨てて正解だと思った。惨めすぎて、きっと泣いてしまう。
蒼一さんの心がここにないことなんて分かりきっているけど、ごめんなさい。
私は最後まであなたを手放したくないんです。
「……食事だけでもすごい量でしたからね。会社の人たちと、ほとんど食べずに帰ってきてくださったんですもんね」
私のセリフに、蒼一さんは一瞬グラスを持つ手を止めた。が、すぐにまた一口お茶を口に含む。
「ああ、烏龍茶だけ」
「会社の方々も、蒼一さんのお誕生日をお祝いしたかったんじゃ?」
「はは、そんなんじゃないよ。仕事上の相談だけだから本当に」
笑って吐かれた嘘が苦しい。本当は知ってますよ、新田さんと二人でしたよね。ケーキ食べてきたんですよね、そうやって問い詰めたい性格の悪い自分がいる。
でも私は黙った。そんなことを言っても、蒼一さんを困らせるだけだから。私にそれを咎める資格はないのだ。好きでもない女と結婚させられた彼の苦しみだから。
私は視線を落とした。
電話なんか、しなきゃよかった。
知って苦しむ真実なら、私は嘘を信じていたかった。
それから一週間後のことだ。
相変わらず私たちはただの同居人として生活を送っていた。ただ蒼一さんはどこかよそよそしいというか、いつも何かを言いかけて口籠もっている様子があった。そんな彼に気がついていたが知らないふりをした。
ただいつも通りいってらっしゃいと声をかけ、彼の食事を作って待った。こんなことをしていても何の解決にもならないことなんて分かっていた。いっそ誕生日に新田さんといたことを知っていますと言った方が、私たちは進めるんだと思う。
でも臆病すぎて、私は結局口ごもる。
今日も一人家で掃除をこなしていた。もう慣れた日常だった。山下さんが来るまでは時間がある、そうだ薬局に生活用品を買いに行こうかな。そんなどうでもいいことを思っていた時だ。
テーブルに置いてあったスマホが鳴った。
私はお母さんかな、とぼんやり思いながら音のなる方へ足を運ぶ。だが画面を覗き込んだ時、驚きで目を見開いた。表示されていたのは蒼一さんのお母様だったからだ。
「え、うそ、わ、待って」
慌てて手に取る。お母様から私に連絡があったことなど、未だかつてなかった。
声にハッとする。髪の毛が濡れたままの蒼一さんがリビングに入ってきていた。私は慌てて笑顔を取り繕う。
「いいえ。お酒飲まれますか?」
「ううん、今はお腹いっぱい」
「料理たくさんありましたもんね。私もお風呂いただきます」
手を洗い流しながら言い、その場を後にしようとした。だがしかし、それを止めたのは蒼一さんだった。
「咲良ちゃん」
リビングから出ようとしていた足を止める。振り返ると、どこか怖いくらいの顔立ちをしている蒼一さんが立っていて驚く。
色素の薄い茶色の瞳にとらわれる。私は体が動かなくなってしまった。
じっと私を見つめていた蒼一さんは、次にふっと顔を緩めた。寂しそうな顔にさえ思えた。
「ごめんね、お腹いっぱいだから、今日はケーキ食べれそうにないんだ。明日貰うね」
それだけ言うと彼は私に背を向けた。立ったままテーブルに置いてあるお茶を手に持って飲む。そんな彼の後ろ姿を見て心の中で呟いた。
……ああ、そうか。
だってケーキは、新田さんと食べてきたんですもんね。
胸がぐっと痛んで穴が開きそうだった。書類上夫婦である私に義務を果たすため、彼はこの家に帰ってくる。縛り付けているんだ、たった紙切れ一枚の関係が蒼一さんを。
私は拳を握った。だったら言ってくれればいい、正直に。こんな結婚生活終わりにしようって、蒼一さんから提案してくれればいい。
そしたらこの片想いもようやく終わりを告げられると言うのに。
そばにいればいるほどあなたが遠い。遠いのに好きになる。あなたを自由にしてあげたいのに、隣にいたいがために私は今の生活を終わりにできない。
ちらりとキッチンの端にあるゴミ箱を見つめる。あの中にあるぐちゃぐちゃのケーキを捨てて正解だと思った。惨めすぎて、きっと泣いてしまう。
蒼一さんの心がここにないことなんて分かりきっているけど、ごめんなさい。
私は最後まであなたを手放したくないんです。
「……食事だけでもすごい量でしたからね。会社の人たちと、ほとんど食べずに帰ってきてくださったんですもんね」
私のセリフに、蒼一さんは一瞬グラスを持つ手を止めた。が、すぐにまた一口お茶を口に含む。
「ああ、烏龍茶だけ」
「会社の方々も、蒼一さんのお誕生日をお祝いしたかったんじゃ?」
「はは、そんなんじゃないよ。仕事上の相談だけだから本当に」
笑って吐かれた嘘が苦しい。本当は知ってますよ、新田さんと二人でしたよね。ケーキ食べてきたんですよね、そうやって問い詰めたい性格の悪い自分がいる。
でも私は黙った。そんなことを言っても、蒼一さんを困らせるだけだから。私にそれを咎める資格はないのだ。好きでもない女と結婚させられた彼の苦しみだから。
私は視線を落とした。
電話なんか、しなきゃよかった。
知って苦しむ真実なら、私は嘘を信じていたかった。
それから一週間後のことだ。
相変わらず私たちはただの同居人として生活を送っていた。ただ蒼一さんはどこかよそよそしいというか、いつも何かを言いかけて口籠もっている様子があった。そんな彼に気がついていたが知らないふりをした。
ただいつも通りいってらっしゃいと声をかけ、彼の食事を作って待った。こんなことをしていても何の解決にもならないことなんて分かっていた。いっそ誕生日に新田さんといたことを知っていますと言った方が、私たちは進めるんだと思う。
でも臆病すぎて、私は結局口ごもる。
今日も一人家で掃除をこなしていた。もう慣れた日常だった。山下さんが来るまでは時間がある、そうだ薬局に生活用品を買いに行こうかな。そんなどうでもいいことを思っていた時だ。
テーブルに置いてあったスマホが鳴った。
私はお母さんかな、とぼんやり思いながら音のなる方へ足を運ぶ。だが画面を覗き込んだ時、驚きで目を見開いた。表示されていたのは蒼一さんのお母様だったからだ。
「え、うそ、わ、待って」
慌てて手に取る。お母様から私に連絡があったことなど、未だかつてなかった。
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