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蒼一の戸惑い③
しおりを挟む玄関の扉を開けるといつも通り咲良が走ってきた。私はこの光景を見るのがとても好きだった。笑顔でこちらにくる彼女はまるで子犬のようだった。
決して馬鹿にしているわけではない、人懐こくて可愛らしい笑顔をそう例えてしまっただけだ。この顔を見ると、私自身幸福に包まれて仕方がない。
「お帰りなさい!」
「ただいま。あれ、今日カレー?」
「あは、鼻いいですね。キーマカレーです」
「やったね」
「好物なんですか?」
「生姜焼きと同点くらい。一位はハンバーグかな」
咲良は声を上げて笑った。そんな顔を見るだけでこちらも笑ってしまう。咲良はなんだか楽しそうに言った。
「蒼一さんって意外と小学生男子っぽい味覚なんですね」
「言ったね、小学生か」
「あは、ごめんなさい。蒼一さんは大人っぽくていつも落ち着いてるのに、そういうところもあるのって可愛いなって」
そう言っている最中、咲良は自分で口を抑えた。可愛い、だなんて呼んだことを私に対して失礼かと思ったようだった。
「ごめんなさい、男性に可愛いとか」
「可愛いのは咲良ちゃんだよね」
「そ、そんなことないですもう、からかわないでください」
恥ずかしそうに俯く彼女に、これ以上ない本心なのになあと心で呟く。可愛らしくて、癒される、温かな人なのに。
靴を脱いでリビングへ向かう。しかしそこでふと、足を止めて気になっていたことを彼女に尋ねた。
「どうだった、ランチ」
「え」
「今日だったよね? 蓮也くんとのご飯」
先日咲良から予告されていたことだった。誘われたのだがどうしよう、と彼女に相談されたのだ。言いたいことは分かっていた、形だけとは言え既婚者である彼女が男と二人で外出はよくないだろうかという相談だったのだ。
本当ならば二人でなんて行って欲しくなかった。誰か他の友達も誘ってほしい、できれば会って欲しくないと言いそうになったのを懸命に堪えた。私は咲良に自由を約束している、無理に嫁がせてしまったのでせめて楽しく暮らしてほしいと。
余裕のあるふりをして行っておいで、と告げた。だが夜だけはやめて欲しかったのでせめて昼間に、という条件だけつけた。
北野蓮也が私に咲良が好きだと宣戦布告してから少し経つが、あれ以来彼は何も動きはない。私は咲良と話し合うと彼に約束したのだが、未だにそれを果たせていない情けない男だ。
彼は咲良に一体何を話したのだろう。こんな風に気になって探りを入れるくらいなら、初めから咲良を止めておけばよかったのに。
私の質問に、彼女は一瞬だけ表情を固まらせたのに気がついた。だがしかし、すぐに微笑み返してくる。
「はい、買い物してご飯食べてきました、楽しかったです」
楽しかった、という言葉になぜか胸を痛める。私との外出はいつも楽しんでくれているのだろうか、と余計なことばかり考えて。
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