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蒼一の戸惑い②
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「ケーキ?」
聞き返すと、彼女はしまったとばかりに頭を掻いたが、すぐに私に言った。
「ここで言うべきじゃないのに言っちゃったわ。私ったら。でもだってね、必死にケーキを焼く咲良さんが本当に恋する女の子って感じで微笑ましくて」
「……え」
恋する、という言葉が聞いて止まる。山下さんは私の様子に気がついていないようで、嬉しそうに話し続けた。
「練習してるんですよ、プレゼントするケーキ。愛されてますね」
目を細めて私に言う彼女の顔を見て、体が停止した。
プレゼントとケーキ、という単語を聞いて思い浮かぶことがある。それは数日前、咲良から出された話題だった。
もう少しすると私の誕生日が来る。当日は予定があるのかと尋ねられた。今まで誕生日は、友人や綾乃と飲むか、時には特別なこともせず一人で過ごすこともあった。いい大人になれば親だってわざわざ誕生日を祝うことはないのだ。
だから自分の誕生日など特別視したことがなく頭からすっぽり抜けていた。正直に予定などない、と告げると、家でお祝いをしようと咲良は嬉しそうに言ってくれたのだ。
それだけで自分でも呆れるほど心が躍り、あんなにどうでもよかった誕生日が特別な日に感じられた。
このタイミングでケーキなどと言われれば、期待しない方が無理なのだ。
(私のために? ケーキを練習している)
頭の中がぐるぐると回る。それは山下さんが発した『恋する女の子』という言葉が一番私を混乱させた。
好きな人がいる、といつだったか咲良は言っていた。私はそんな相手がいるのに結婚させてしまったことに罪悪感を覚え苦しんでいた。彼女に愛される男が羨ましくてたまらなかった。
(……待て、自惚な考えが消えない)
自分の頭を抱えた。そんな馬鹿な、という考えと、もしかしたら、という希望が自分の中でせめぎ合っている。
咲良の好きな人が、私だったら??
そんな馬鹿な話あるわけない、元は姉の婚約者だった私を、七も年が離れている私を、彼女がそんな風に想っているだなんて。
でもいくら咲良が優しい努力家だからといって、好きでもない男のためにケーキを焼く練習までしてくれるのだろうか。
考えれば考えるほどパニックになって答えは出ない。額に汗をかいてしまったのを手のひらで拭き取った。そんな私に気づいていないのか山下さんは笑いながら続ける。
「あ、でも当日はびっくりしたフリしてくださいよ! もう私ったらここでバラしちゃうなんてほんとだめですよね、反省します」
「い、いえ。ありがとうございます」
「ふふ、いいお誕生日を。はあ、ときめきを分けてもらえて私も楽しいです、若返った気分! 上手くいってるみたいで安心しました」
ほっとしたように言った山下さんに頭を下げる。もちろん結婚の経緯を知っている彼女は色々心配してくれたのだろう。
その場から去ろうとした彼女を、私は思い出して引き止めた。
「あ、山下さん!」
「はあい?」
「あの、母は相変わらずですか?」
ぼんやりした質問だが、彼女は言いたいことを感じ取ってくれたようだった。やや困ったような表情になったのに気がついたのだ。
あのパーティー以降、両親には会えていない。咲良との結婚が決まってからずっと納得のいかない顔をしているのは母だ。父は初めこそ苦い顔をしていたが、少しして受け入れてくれたように感じた。だが母は違う。
パーティーでも見てわかるように、咲良にはあまり話しかけず目も合わせない。是みよがしに他の女と仲良く見せつけるのは我が親ながら性格が悪い。あの人はああいうところがある。
外でああなのだから、家ではもっとストレートに咲良の愚痴を言っているのだろうと安易に想像がつく。山下さんの耳に入るくらい。そしてそれは未だに続いているようだ。
山下さんは困ったように俯いた。
「そうですねえ、奥様は思い込みが激しいところがありますからね」
「未だ咲良のことを言っていますか……」
「時々、ですけどね? 私もフォローしたいですが、庇うと逆にヒートアップすることもあるし」
「ええ、そういうタイプです。まちがってません」
呆れてため息をついた。頭が冷えるまで時間を置こうと思っていたが、いい加減なんとかしなくてはならないのだろうか。いっそ綾乃の逃亡劇の裏側を全て話してやろうかと思う。
彼女が逃げることを私は知っていた、と。咲良を想い続けていた私も共謀したのだと。
「まあ、もう少しそっとしておくのが一番かと思いますよ。咲良さんは素直で可愛らしい人ですから、必ず奥様にもいつか伝わるはずです」
「はい……ありがとうございます」
山下さんは私に頭を下げると、今度こそ目の前から立ち去った。その後ろ姿を見送りながら、一人想いに耽る。
仕方ない、山下さんもああ言っていたのでとりあえずもう少し様子を見るか。今はなるべく母と咲良は接しないように気をつけねば。
そして同時に、頭の中に浮かぶのは誕生日のことだった。
先ほど自分で思い浮かべた仮説を思い出して顔が熱くなる。咲良が私を好いていてくれたら、なんてとんでもない話だ。それでも状況的にその考えはゼロではないかもしれないとも思う。
胸の中がウズウズと痒くなる。恥ずかしくて、嬉しくて、でも間違いだった時のためにショックが小さく済むよう予防線も張りたい。
(誕生日の日に……いい加減話そうか)
私たちの書類上の夫婦という関係の今後について。
聞き返すと、彼女はしまったとばかりに頭を掻いたが、すぐに私に言った。
「ここで言うべきじゃないのに言っちゃったわ。私ったら。でもだってね、必死にケーキを焼く咲良さんが本当に恋する女の子って感じで微笑ましくて」
「……え」
恋する、という言葉が聞いて止まる。山下さんは私の様子に気がついていないようで、嬉しそうに話し続けた。
「練習してるんですよ、プレゼントするケーキ。愛されてますね」
目を細めて私に言う彼女の顔を見て、体が停止した。
プレゼントとケーキ、という単語を聞いて思い浮かぶことがある。それは数日前、咲良から出された話題だった。
もう少しすると私の誕生日が来る。当日は予定があるのかと尋ねられた。今まで誕生日は、友人や綾乃と飲むか、時には特別なこともせず一人で過ごすこともあった。いい大人になれば親だってわざわざ誕生日を祝うことはないのだ。
だから自分の誕生日など特別視したことがなく頭からすっぽり抜けていた。正直に予定などない、と告げると、家でお祝いをしようと咲良は嬉しそうに言ってくれたのだ。
それだけで自分でも呆れるほど心が躍り、あんなにどうでもよかった誕生日が特別な日に感じられた。
このタイミングでケーキなどと言われれば、期待しない方が無理なのだ。
(私のために? ケーキを練習している)
頭の中がぐるぐると回る。それは山下さんが発した『恋する女の子』という言葉が一番私を混乱させた。
好きな人がいる、といつだったか咲良は言っていた。私はそんな相手がいるのに結婚させてしまったことに罪悪感を覚え苦しんでいた。彼女に愛される男が羨ましくてたまらなかった。
(……待て、自惚な考えが消えない)
自分の頭を抱えた。そんな馬鹿な、という考えと、もしかしたら、という希望が自分の中でせめぎ合っている。
咲良の好きな人が、私だったら??
そんな馬鹿な話あるわけない、元は姉の婚約者だった私を、七も年が離れている私を、彼女がそんな風に想っているだなんて。
でもいくら咲良が優しい努力家だからといって、好きでもない男のためにケーキを焼く練習までしてくれるのだろうか。
考えれば考えるほどパニックになって答えは出ない。額に汗をかいてしまったのを手のひらで拭き取った。そんな私に気づいていないのか山下さんは笑いながら続ける。
「あ、でも当日はびっくりしたフリしてくださいよ! もう私ったらここでバラしちゃうなんてほんとだめですよね、反省します」
「い、いえ。ありがとうございます」
「ふふ、いいお誕生日を。はあ、ときめきを分けてもらえて私も楽しいです、若返った気分! 上手くいってるみたいで安心しました」
ほっとしたように言った山下さんに頭を下げる。もちろん結婚の経緯を知っている彼女は色々心配してくれたのだろう。
その場から去ろうとした彼女を、私は思い出して引き止めた。
「あ、山下さん!」
「はあい?」
「あの、母は相変わらずですか?」
ぼんやりした質問だが、彼女は言いたいことを感じ取ってくれたようだった。やや困ったような表情になったのに気がついたのだ。
あのパーティー以降、両親には会えていない。咲良との結婚が決まってからずっと納得のいかない顔をしているのは母だ。父は初めこそ苦い顔をしていたが、少しして受け入れてくれたように感じた。だが母は違う。
パーティーでも見てわかるように、咲良にはあまり話しかけず目も合わせない。是みよがしに他の女と仲良く見せつけるのは我が親ながら性格が悪い。あの人はああいうところがある。
外でああなのだから、家ではもっとストレートに咲良の愚痴を言っているのだろうと安易に想像がつく。山下さんの耳に入るくらい。そしてそれは未だに続いているようだ。
山下さんは困ったように俯いた。
「そうですねえ、奥様は思い込みが激しいところがありますからね」
「未だ咲良のことを言っていますか……」
「時々、ですけどね? 私もフォローしたいですが、庇うと逆にヒートアップすることもあるし」
「ええ、そういうタイプです。まちがってません」
呆れてため息をついた。頭が冷えるまで時間を置こうと思っていたが、いい加減なんとかしなくてはならないのだろうか。いっそ綾乃の逃亡劇の裏側を全て話してやろうかと思う。
彼女が逃げることを私は知っていた、と。咲良を想い続けていた私も共謀したのだと。
「まあ、もう少しそっとしておくのが一番かと思いますよ。咲良さんは素直で可愛らしい人ですから、必ず奥様にもいつか伝わるはずです」
「はい……ありがとうございます」
山下さんは私に頭を下げると、今度こそ目の前から立ち去った。その後ろ姿を見送りながら、一人想いに耽る。
仕方ない、山下さんもああ言っていたのでとりあえずもう少し様子を見るか。今はなるべく母と咲良は接しないように気をつけねば。
そして同時に、頭の中に浮かぶのは誕生日のことだった。
先ほど自分で思い浮かべた仮説を思い出して顔が熱くなる。咲良が私を好いていてくれたら、なんてとんでもない話だ。それでも状況的にその考えはゼロではないかもしれないとも思う。
胸の中がウズウズと痒くなる。恥ずかしくて、嬉しくて、でも間違いだった時のためにショックが小さく済むよう予防線も張りたい。
(誕生日の日に……いい加減話そうか)
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