片想い婚〜今日、姉の婚約者と結婚します〜

橘しづき

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蒼一の想い⑧

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「……咲良ちゃんのこと、本当に好きなんだね」

「好きですよ。正直、異性の中で一番仲がいい自信はあります。ずっとそばで見てきました。あいつはちょっと人に気を遣いすぎるところがあります。そんな優しいところが不器用で、それでいていいところだとも思っています。
 お願いしますから、なんとか咲良を解放することはできませんか」

 懇願するように言い、彼は私に頭を下げた。短い髪が垂れているのを見て、私は情けなくも何も言葉が出なかった。コーヒーを啜って自分を落ち着かせることすらできない。

 蓮也の正直さ。自分の情けなさ。それは頭を思い切りぶん殴られたかのような衝撃が私を襲った。

「……頭を上げて」

 私の言葉に、蓮也がゆっくり顔をあげる。彼の目と合う。私はぐるぐる回る頭を必死に働かせ、彼に言う。

「咲良ちゃんには申し訳ないと思っている」

「なら」

「でも、これは僕たちの問題だ。もちろん蓮也くんの気持ちも分かるし怒りを持つのももっとも。
 しかし、頼まれたからと言って僕からすぐ終わりにはできない。ゆっくり咲良ちゃんと色々話していかなきゃ」

 私の言葉に彼は不服そうに口を強く閉じる。私はそれ以上、蓮也の目に見られることが辛くて耐えられなかった。すぐに伝票を手に取って立ち上がる。

「あの!」

「君の言いたいことはよく分かった。ありがとう。でも今すぐに返事はできない。これでも僕と咲良ちゃんは夫婦だから、ちゃんと二人で話し合って決めないといけないから」

 早口にそれだけ言いすてると、私は彼の方をチラリとも見ずに背を向けた。伝票と共に財布から出した札を置いてお釣りも受け取らずそのままドアを開けて外に出た。もう真っ暗な中を、逃げるように歩いた。

 蓮也はもう追っては来なかった。一人分の足音を耳に聞きながら、それでも足を遅めることなくどんどん歩いていく。

 夫婦だから? ちゃんと二人で話し合わないと?

 自分で言った言葉に失笑する。履いている革の靴を見下ろしながら唇を噛んだ。

 全て蓮也の言うとおりだ。縛り付けている私に逃げたいと言えない咲良。解放してあげられるのは私だけ。

「……なんで、こんなに自分は情けないんだ」

 小さく呟いた声は黒い空に登って消えた。それを追うようにゆっくり顔をあげると、心とは裏腹に綺麗な星空と月が見えていた。

 胸に広がる夜の色までは、月も照らしきれない。







「お帰りなさい」

 家に帰ると、咲良が笑顔で出迎えてくれた。その顔になんとか笑い返す。うまく笑えているかどうかは分からなかった。すぐに顔を伏せ、靴を脱ぎながら言う。

「ただいま。もう体調は大丈夫?」

「はいすっかり! 蒼一さんが看病してくれたおかげです」

 咲良は確かに元気そうにそういった。体調が戻ったのはいいことだ。ひとつ安心しながら私は続けた。

「大したことしてないよ。元気になったならよかった。ちょっと今はお腹空いてないんだ、食事はまたあとで食べようと思ってる。咲良ちゃんまだなら食べて」

 なるべく咲良の顔を見ないようにしてそう言い切ると、すぐに部屋へ入ろうと足を進める。
 
 蓮也と話した直後の今、咲良と向かい合って食事をする余裕はなかった。一人になって頭の中を整理したい。いい加減ちゃんと考えなくてはいけないんだ。

 結婚式に綾乃の身代わりになり、パーティーも完璧な振る舞いで参加してくれた咲良。全て頑張ってくれている彼女を縛り付けている自分。一体これからどうするのか。

 しかし、咲良が私を呼び止めた。

「蒼一さん、体調悪いですか?」

 心配そうに言ってくる彼女に振り返り、力無い笑みを浮かべる。

「ああ、風邪とかじゃないから全然。今日昼食が遅かったから、お腹空いてないだけ。あとで食べるからね」

 すぐにでも咲良の前から去りたかった。彼女の顔を見たくて早く帰りたかったのに、今はただ辛い。

 情けないこの顔を見られたく無かった。ポーカーフェイスも限界まで達してきている。咲良のことが好きだとキッパリ言い切った北野蓮也の言葉が頭から離れてくれない。

 今は早く一人になりたかった。

 それでも咲良は珍しく引き下がらなかった。いつもならわかりました、とすぐに返事がきそうなものなのに、彼女は私の袖を少し握りこちらを見上げてきた。

 心配そうに私をみる目の上の睫毛が揺れる。どこかあどけない顔立ちで、ただ純粋に私をまっすぐに見つめている。

「大丈夫ですか? 何かあったら言ってください、蒼一さんなんだか辛そうです」

「…………」

「何かあれば私もフォローできるように頑張りますから。夫婦は助け合い、でしょう?」

 少しだけ笑いながら私にそう話しかけた彼女を見て、押さえていたものが溢れ返ったように自分を支配した。

 ほとんど無意識のように、私は持っていた鞄を床に乱暴に落としその腕で咲良を強く抱きしめた。細い体からはどこか甘い香りがして鼻を掠める。

 この腕に捕らえた咲良は小さくて弱々しくて、愛しさで頭がおかしくなるかと思った。幼い頃、あやすために抱き上げた時とはまるで違う。少し高い彼女の体温は心地よく感じた。

 彼女に触れないよ、と宣言した自分はどこへ行ったんだろう。そんな余裕はとうに消え去り、ただ咲良を抱きしめたくて仕方なかった。

 どうか振り払って欲しい、と思った。

 好きでもない男からの抱擁なんて、思い切り振り解いていっそのこと顔を殴ってくれればいい。嫌な顔してくれればいい。そうしたら、私はようやくこの自分の気持ちに別れを告げて咲良を解放してあげられると思う。笑顔でありがとう、と言いながらただの他人に戻ることができる。そう心の中で思っていた。

 だが咲良は振り払わなかった。

 驚きで体を固まらせつつも、少し経つと私の背中に手を回した。背に小さな手を感じた時、戸惑いと気持ちの昂りで混乱した。

 自分の心臓の音がうるさく鳴り響く。

 二人でそのまま言葉を発さないまま体温を分け合った。私は今起きている現実を受け入れることができず、それでも愛しさに溺れて息ができないほどに必死に呼吸だけを繰り返した。





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