33 / 95
蒼一の想い⑦
しおりを挟む
彼はまっすぐに私を見ている。
「あ、ああ、蓮也くん、だよね」
戸惑いながらもなんとか声を出した。彼は以前会った時とは違い、丁寧に頭を下げた。
「こんばんは」
「こんばんは。どうしたの」
「あなたを待ってました」
ごくりと唾を飲み込む。いや、そうだろうと思っていた。会社の目の前で会うだなんて、偶然ではないのは明白だ。彼は真剣な目で私を見ていた。そのまっすぐな瞳に見つめられるだけで息苦しくなるほどだった。
私は平然を装って尋ねる。
「僕を? 待っててくれたの」
「はい、どうしても話したくて。どこの会社かは分かってたんで、ここで待ってれば会えるかなと」
恐らくだいぶ長い時間待ち続けていたはずだ。その根性と執念に素直に感心しつつ、私は続ける。
「場所を変えようか」
提案に、彼は素直に頷いた。困った挙句、私は近くにある喫茶店に彼と二人で入った。時間も時間だけに中は客人は少ない。一番奥の座席に腰掛け、適当にコーヒーを頼むと、改めて正面から青年をみる。
どこか緊張した、それでいて決意を固めたような表情。街で会った時とはどこか違った。さてどう話題を切り出そうか、と迷っていると、あちらから声を出してくれた。
「すみません突然」
「いや、別に。それでどうしたの、何か話したいことがあって来たんだよね?」
私がそう言うと、彼は一層まっすぐな目でこちらを見た。つい私がたじろいでしまいそうなほどの目だった。そして力強く、彼は言う。
「咲良を解放してあげてください」
予想していた通りの言葉に、それでも私は何も言えなかった。
分かっていた。彼が言うことを。あの日街中で会った時、私に向けられた敵意に満ちた目を忘れてはいない。綾乃の身代わりに咲良を嫁がせた私への憎しみが燃えていた。
運ばれてきたホットコーヒーをそのまま飲んだ。決して余裕があるわけではなく、むしろ自分を落ち着かせるために飲んだホットだった。
蓮也は続ける。
「聞きました。咲良の姉ちゃんが当日逃げて、政略結婚だったから穴を開けるわけにもいかなくて、それで咲良が立候補したこと」
「合ってるね」
「そして本当にそれが受け入れられてしまった。そのまま咲良はあなたの妻として今もいる」
「その通りだよ」
「家のためだと言っても、なんでそんなことができるんですか」
怒りの声がぶつけられる。私の返事も聞かず彼はなお続ける。
「咲良はあの性格ですから、自分からあなたに離婚なんて言い出せないです。だからあなたから解放してあげてくれませんか、それともこのまま一生咲良を縛り付けていくつもりですか?」
返す言葉が無かった。
ずっと年下の彼が言うことは正論だ。咲良が周りに気を使う子だと分かっていながら綾乃を逃した。案の定当日咲良は私の相手に立候補した。そのまま逃げることなく今に至る。
綾乃が見つかれば解放される。きっとそんな希望を持って今私のそばにいてくれる。形だけでも妻として努力してくれている。
そんな優しさにつけ込み、甘えている自分。
「会社とかの問題はあるでしょうけど。天海さんならきっと他に相手はいっぱいいるでしょう?」
「いない!」
自分の口から強い言葉が出た。
ずっと黙って聞いていたが、これだけは黙って聞いていられなかった。
違う相手なんて。私は結婚したいと思う相手は咲良しかいない。他の人間なんて、誰もいらないんだ。
私の剣幕に蓮也はやや驚いた顔をしたが、すぐにまた真顔になった。
「子供の頃からずっと婚約してた相手じゃなくて、当日その妹と結婚できるなら、誰とでも結婚できるじゃないですか」
「……咲良ちゃんとは幼い頃から知ってる仲だから。だからできた。彼女のいいところはよく知ってる」
「俺はずっと咲良のことが好きです」
キッパリと断言したセリフを聞いて固まった。目の前の青年は揺るぎのない目を私に向けている。
「昔からずっと。咲良が好きです」
「…………」
「いつか本人にも言おうと思ってました。それで振られたとしても別にいいんです。でも、姉の身代わりに無理矢理結婚したなんて話はどうしても納得できないんです!」
何かいおうとして、自分の口から漏れたのは空気だけだった。音は何もこぼれてはくれない。
誰かの前で堂々と咲良が好きだと言えるこの青年が羨ましかった。眩しくて、そして敵わないと思った。
私がずっと抱いてきた咲良への気持ちを漏らしたら? 本人に伝わったら? 綾乃と共謀していることがバレたら? 咲良は必ず失望し私から離れてしまう。
そんなことが恐ろしくて私は何も言えないんだ。七歳も離れた婚約者の妹をずっと好いていたなんて。そんなこと、誰が口に出来る?
彼のように咲良が好きなんだと正直に言えたならどれほど楽なんだろう。私も咲良と同級生だったら、綾乃と婚約してなかったら、なんて。言い訳ばかり並べるのは全て自分の弱さだと分かっている。
「あ、ああ、蓮也くん、だよね」
戸惑いながらもなんとか声を出した。彼は以前会った時とは違い、丁寧に頭を下げた。
「こんばんは」
「こんばんは。どうしたの」
「あなたを待ってました」
ごくりと唾を飲み込む。いや、そうだろうと思っていた。会社の目の前で会うだなんて、偶然ではないのは明白だ。彼は真剣な目で私を見ていた。そのまっすぐな瞳に見つめられるだけで息苦しくなるほどだった。
私は平然を装って尋ねる。
「僕を? 待っててくれたの」
「はい、どうしても話したくて。どこの会社かは分かってたんで、ここで待ってれば会えるかなと」
恐らくだいぶ長い時間待ち続けていたはずだ。その根性と執念に素直に感心しつつ、私は続ける。
「場所を変えようか」
提案に、彼は素直に頷いた。困った挙句、私は近くにある喫茶店に彼と二人で入った。時間も時間だけに中は客人は少ない。一番奥の座席に腰掛け、適当にコーヒーを頼むと、改めて正面から青年をみる。
どこか緊張した、それでいて決意を固めたような表情。街で会った時とはどこか違った。さてどう話題を切り出そうか、と迷っていると、あちらから声を出してくれた。
「すみません突然」
「いや、別に。それでどうしたの、何か話したいことがあって来たんだよね?」
私がそう言うと、彼は一層まっすぐな目でこちらを見た。つい私がたじろいでしまいそうなほどの目だった。そして力強く、彼は言う。
「咲良を解放してあげてください」
予想していた通りの言葉に、それでも私は何も言えなかった。
分かっていた。彼が言うことを。あの日街中で会った時、私に向けられた敵意に満ちた目を忘れてはいない。綾乃の身代わりに咲良を嫁がせた私への憎しみが燃えていた。
運ばれてきたホットコーヒーをそのまま飲んだ。決して余裕があるわけではなく、むしろ自分を落ち着かせるために飲んだホットだった。
蓮也は続ける。
「聞きました。咲良の姉ちゃんが当日逃げて、政略結婚だったから穴を開けるわけにもいかなくて、それで咲良が立候補したこと」
「合ってるね」
「そして本当にそれが受け入れられてしまった。そのまま咲良はあなたの妻として今もいる」
「その通りだよ」
「家のためだと言っても、なんでそんなことができるんですか」
怒りの声がぶつけられる。私の返事も聞かず彼はなお続ける。
「咲良はあの性格ですから、自分からあなたに離婚なんて言い出せないです。だからあなたから解放してあげてくれませんか、それともこのまま一生咲良を縛り付けていくつもりですか?」
返す言葉が無かった。
ずっと年下の彼が言うことは正論だ。咲良が周りに気を使う子だと分かっていながら綾乃を逃した。案の定当日咲良は私の相手に立候補した。そのまま逃げることなく今に至る。
綾乃が見つかれば解放される。きっとそんな希望を持って今私のそばにいてくれる。形だけでも妻として努力してくれている。
そんな優しさにつけ込み、甘えている自分。
「会社とかの問題はあるでしょうけど。天海さんならきっと他に相手はいっぱいいるでしょう?」
「いない!」
自分の口から強い言葉が出た。
ずっと黙って聞いていたが、これだけは黙って聞いていられなかった。
違う相手なんて。私は結婚したいと思う相手は咲良しかいない。他の人間なんて、誰もいらないんだ。
私の剣幕に蓮也はやや驚いた顔をしたが、すぐにまた真顔になった。
「子供の頃からずっと婚約してた相手じゃなくて、当日その妹と結婚できるなら、誰とでも結婚できるじゃないですか」
「……咲良ちゃんとは幼い頃から知ってる仲だから。だからできた。彼女のいいところはよく知ってる」
「俺はずっと咲良のことが好きです」
キッパリと断言したセリフを聞いて固まった。目の前の青年は揺るぎのない目を私に向けている。
「昔からずっと。咲良が好きです」
「…………」
「いつか本人にも言おうと思ってました。それで振られたとしても別にいいんです。でも、姉の身代わりに無理矢理結婚したなんて話はどうしても納得できないんです!」
何かいおうとして、自分の口から漏れたのは空気だけだった。音は何もこぼれてはくれない。
誰かの前で堂々と咲良が好きだと言えるこの青年が羨ましかった。眩しくて、そして敵わないと思った。
私がずっと抱いてきた咲良への気持ちを漏らしたら? 本人に伝わったら? 綾乃と共謀していることがバレたら? 咲良は必ず失望し私から離れてしまう。
そんなことが恐ろしくて私は何も言えないんだ。七歳も離れた婚約者の妹をずっと好いていたなんて。そんなこと、誰が口に出来る?
彼のように咲良が好きなんだと正直に言えたならどれほど楽なんだろう。私も咲良と同級生だったら、綾乃と婚約してなかったら、なんて。言い訳ばかり並べるのは全て自分の弱さだと分かっている。
1
お気に入りに追加
297
あなたにおすすめの小説

お飾りな妻は何を思う
湖月もか
恋愛
リーリアには二歳歳上の婚約者がいる。
彼は突然父が連れてきた少年で、幼い頃から美しい人だったが歳を重ねるにつれてより美しさが際立つ顔つきに。
次第に婚約者へ惹かれていくリーリア。しかし彼にとっては世間体のための結婚だった。
そんなお飾り妻リーリアとその夫の話。
【完結】妖精姫と忘れられた恋~好きな人が結婚するみたいなので解放してあげようと思います~
塩羽間つづり
恋愛
お気に入り登録やエールいつもありがとうございます!
2.23完結しました!
ファルメリア王国の姫、メルティア・P・ファルメリアは、幼いころから恋をしていた。
相手は幼馴染ジーク・フォン・ランスト。
ローズの称号を賜る名門一族の次男だった。
幼いころの約束を信じ、いつかジークと結ばれると思っていたメルティアだが、ジークが結婚すると知り、メルティアの生活は一変する。
好きになってもらえるように慣れないお化粧をしたり、着飾ったりしてみたけれど反応はいまいち。
そしてだんだんと、メルティアは恋の邪魔をしているのは自分なのではないかと思いあたる。
それに気づいてから、メルティアはジークの幸せのためにジーク離れをはじめるのだが、思っていたようにはいかなくて……?
妖精が見えるお姫様と近衛騎士のすれ違う恋のお話
切なめ恋愛ファンタジー


ごめんなさい、お姉様の旦那様と結婚します
秘密 (秘翠ミツキ)
恋愛
しがない伯爵令嬢のエーファには、三つ歳の離れた姉がいる。姉のブリュンヒルデは、女神と比喩される程美しく完璧な女性だった。端麗な顔立ちに陶器の様に白い肌。ミルクティー色のふわふわな長い髪。立ち居振る舞い、勉学、ダンスから演奏と全てが完璧で、非の打ち所がない。正に淑女の鑑と呼ぶに相応しく誰もが憧れ一目置くそんな人だ。
一方で妹のエーファは、一言で言えば普通。容姿も頭も、芸術的センスもなく秀でたものはない。無論両親は、エーファが物心ついた時から姉を溺愛しエーファには全く関心はなかった。周囲も姉とエーファを比較しては笑いの種にしていた。
そんな姉は公爵令息であるマンフレットと結婚をした。彼もまた姉と同様眉目秀麗、文武両道と完璧な人物だった。また周囲からは冷笑の貴公子などとも呼ばれているが、令嬢等からはかなり人気がある。かく言うエーファも彼が初恋の人だった。ただ姉と婚約し結婚した事で彼への想いは断念をした。だが、姉が結婚して二年後。姉が事故に遭い急死をした。社交界ではおしどり夫婦、愛妻家として有名だった夫のマンフレットは憔悴しているらしくーーその僅か半年後、何故か妹のエーファが後妻としてマンフレットに嫁ぐ事が決まってしまう。そして迎えた初夜、彼からは「私は君を愛さない」と冷たく突き放され、彼が家督を継ぐ一年後に離縁すると告げられた。

【完結】伯爵令嬢は婚約を終わりにしたい〜次期公爵の幸せのために婚約破棄されることを目指して悪女になったら、なぜか溺愛されてしまったようです〜
よどら文鳥
恋愛
伯爵令嬢のミリアナは、次期公爵レインハルトと婚約関係である。
二人は特に問題もなく、順調に親睦を深めていった。
だがある日。
王女のシャーリャはミリアナに対して、「二人の婚約を解消してほしい、レインハルトは本当は私を愛しているの」と促した。
ミリアナは最初こそ信じなかったが王女が帰った後、レインハルトとの会話で王女のことを愛していることが判明した。
レインハルトの幸せをなによりも優先して考えているミリアナは、自分自身が嫌われて婚約破棄を宣告してもらえばいいという決断をする。
ミリアナはレインハルトの前では悪女になりきることを決意。
もともとミリアナは破天荒で活発な性格である。
そのため、悪女になりきるとはいっても、むしろあまり変わっていないことにもミリアナは気がついていない。
だが、悪女になって様々な作戦でレインハルトから嫌われるような行動をするが、なぜか全て感謝されてしまう。
それどころか、レインハルトからの愛情がどんどんと深くなっていき……?
※前回の作品同様、投稿前日に思いついて書いてみた作品なので、先のプロットや展開は未定です。今作も、完結までは書くつもりです。
※第一話のキャラがざまぁされそうな感じはありますが、今回はざまぁがメインの作品ではありません。もしかしたら、このキャラも更生していい子になっちゃったりする可能性もあります。(このあたり、現時点ではどうするか展開考えていないです)

王子殿下の慕う人
夕香里
恋愛
【本編完結・番外編不定期更新】
エレーナ・ルイスは小さい頃から兄のように慕っていた王子殿下が好きだった。
しかし、ある噂と事実を聞いたことで恋心を捨てることにしたエレーナは、断ってきていた他の人との縁談を受けることにするのだが──?
「どうして!? 殿下には好きな人がいるはずなのに!!」
好きな人がいるはずの殿下が距離を縮めてくることに戸惑う彼女と、我慢をやめた王子のお話。
※小説家になろうでも投稿してます

自信家CEOは花嫁を略奪する
朝陽ゆりね
恋愛
「あなたとは、一夜限りの関係です」
そのはずだったのに、
そう言ったはずなのに――
私には婚約者がいて、あなたと交際することはできない。
それにあなたは特定の女とはつきあわないのでしょ?
だったら、なぜ?
お願いだからもうかまわないで――
松坂和眞は特定の相手とは交際しないと宣言し、言い寄る女と一時を愉しむ男だ。
だが、経営者としての手腕は世間に広く知られている。
璃桜はそんな和眞に憧れて入社したが、親からもらった自由な時間は3年だった。
そしてその期間が来てしまった。
半年後、親が決めた相手と結婚する。
退職する前日、和眞を誘惑する決意をし、成功するが――

【完結済】姿を偽った黒髪令嬢は、女嫌いな公爵様のお世話係をしているうちに溺愛されていたみたいです
鳴宮野々花@書籍2冊発売中
恋愛
王国の片田舎にある小さな町から、八歳の時に母方の縁戚であるエヴェリー伯爵家に引き取られたミシェル。彼女は伯爵一家に疎まれ、美しい髪を黒く染めて使用人として生活するよう強いられた。以来エヴェリー一家に虐げられて育つ。
十年後。ミシェルは同い年でエヴェリー伯爵家の一人娘であるパドマの婚約者に嵌められ、伯爵家を身一つで追い出されることに。ボロボロの格好で人気のない場所を彷徨っていたミシェルは、空腹のあまりふらつき倒れそうになる。
そこへ馬で通りがかった男性と、危うくぶつかりそうになり──────
※いつもの独自の世界のゆる設定なお話です。何もかもファンタジーです。よろしくお願いします。
※この作品はカクヨム、小説家になろう、ベリーズカフェにも投稿しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる