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咲良の想い⑧
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「ありがとうございます……」
「そうだ、出かける前に。これを取りに行ってたんだ」
彼はそう言って手に持っていた紙袋を掲げた。不思議に思い首を傾げていると、蒼一さんが中から何かを取り出す。手のひらに収まるほどの小さな箱だった。それを長い指で開くと、中にあったものを見て一瞬息が止まった。
二つの結婚指輪だった。
式で形式上交換した結婚指輪は、当然ながらお姉ちゃんにサイズが合わせてあったので私には合わなかった。今はひっそりと引き出しの奥に眠っている。
蒼一さんも私も何も言わないまま、無言の了解のように二人とも指輪をつけていなかった。こんな形の夫婦に、指輪なんて変だと思っていたから。
まさか、私用に?
嬉しさで顔を上げて蒼一さんを見る。同居人だった私のためにわざわざ買ってきてくれたなんて、もしかして。
彼は優しく微笑んだ。
「指輪ないと、やっぱり周りは変な風に騒ぎ立てたりするだろうから」
自分の唇から小さな空気が漏れた。
喜びで緩めた頬が固まる。
「あ、……そう、ですね。ないと、変ですよね……」
そうか、そうだよね。ここで二人とも指輪してないなんて、仮面夫婦ですと言ってるようなもの。そのために買ってきてくれたのか。
一瞬期待した心に自分で笑った。もしかしてようやく妻として見てもらえるのかもって、これから夫婦としてやっていこうって言われるのかもって、期待してた。そんなわけない、未だ指一本触れられてない私がそんな風に言葉をかけてもらえるわけないじゃないか。
蒼一さんは並んでいる自分の分を手に取り嵌めた。それを見て私も指輪を取って自分でつける。蒼一さんがつけてくれるかも、って少しだけ心の底で期待したけど、そんな恋人らしい行為私たちにはありえない。それはこの指輪が形だけの結婚指輪だと証明しているように思えた。
「勝手に選んでごめんね、一緒に買いに行きたかったけど時間なかったから」
「いえ、そうですよね。可愛いです」
「パーティー終わったらはずしてもいいから」
サラリと言われた言葉に打ちひしがれ、言葉が出なかった。私はただ、返事もせずに無理矢理微笑んでいるしかできず、せっかく施されたメイクが落ちないよう涙を堪えるのに必死だった。
有名なホテルの会場で開かれるパーティーに車で向かった。かなり大きな規模の立食パーティーらしく、会社内の人はもちろん、重要な取引先などの人たちも招いて行うようだった。
二人で車を降りて会場へ向かう。すでに人がいくらか集まっている会場からは多くの声が聞こえてきた。一気に緊張が増して表情が強張る私に、隣の蒼一さんがいう。
「大丈夫、基本僕の隣にいればいい」
「は、はい」
「緊張しなくていい。咲良ちゃんはいつも通り笑ってればそれで百点」
優しく笑いながら言った彼に笑い返す。覚悟を決めた私はしっかり背筋を伸ばし、前を向いた。私の歩幅に合わせて歩く蒼一さんに寄り添うように足を進める。
扉をくぐり抜けると、豪華なシャンデリアが目に入った。華々しい会場には人が集まっている。だが恐らくまだ全ての参加者は集まりきっていないだろう、会場に対して人がまだ少ないように感じた。
「まだ来賓の人たちは今から。ここにいるのは僕の会社の人たちだね」
こっそり私に耳打ちしてくれる。小さく頷いた。
私たちが中に足を踏み入れた途端、一気に人々の視線が集まったのを感じた。ついたじろいでしまいそうなほど、みんな遠慮なしに私たちを見ている。
好奇の目に晒される。蒼一さんが言っていた通りだった。
それでも私は怯えた表情を一才出さず凛として前を向いた。全ては彼に恥を欠かせたくない一心だった。ほんの少しでも、しっかりした女性に見られたいと思った。
じっと私たちを見て何かを話す人たち。何を言っているのかは気にしないでおく。今は嘘でも自信を持って歩くんだ。
蒼一さんにエスコートされながら進んでいくと、会場の端に見覚えのある顔が見えた。蒼一さんのお父様とお母様だった。
私たちの姿が見えたとき、お父様は優しく目を垂らして笑ってくれた。その隣で、お母様は少しも表情を変えずに私たちを見ている。
「お、来たか! 待ってたぞ」
「道が混んでて」
蒼一さんが返すのを、お父様は笑って頷いた。私はしっかり頭を下げて挨拶をする。
「ご無沙汰しております」
顔を上げると、やはり笑顔のお父様に対してお母様だけは渋い顔をしていた。想定内のことなので、戸惑うことなく平然を保つ。結婚したあと、お二人に挨拶に伺ったが、その時も笑顔はひとつも見えなかった。
そんな空気を察してか、お父様が言う。
「いや、咲良さん、とても綺麗で驚いたよ!」
「いえ、そんな」
「周りの注目を独り占めだね、とても似合っている」
「ありがとうございます……」
お世辞でも嬉しい。蒼一さんのお父様が褒めてくださったことが。
私は恐る恐る、お母様にも話しかけてみた。
「どうでしょうか、蒼一さんが選んでくださったんですが」
私の声に、彼女はチラリとだけ見た。そしてわずかに口角をあげて見せる。
「いいと思いますよ、よく化けました」
「あ、ありがとうございます」
化けた、とは。褒められているのだろうか? 褒め言葉と受け取っておこう。
蒼一さんが私に耳打ちする。
「これからぐっと人が増えて来賓の方々も見える。咲良ちゃんは僕のそばにいてくれればいいから。顔も名前も僕はわかるから、挨拶に付き合って」
「はい、よろしくお願いします」
私は再び背筋を伸ばして姿勢を意識する。私は蒼一さんの妻だ、と今だけは胸を張っていなければ。蒼一さんだけではなく、ご両親の顔にも泥を塗りかねない。
私が緊張していると、背後から聞き覚えのある声が聞こえてきた。凛とした通る声だ。
「天海さん!」
二人で振り返ると、やはり新田さんが歩み寄ってきた。彼女はビシッとパンツスーツを身に纏っている。美人なのでそれだけでも十分に見栄えがいい。
彼女は私たちの前に立つと、まず私を見て一瞬目を丸くした。半開きになった口で見つめられる。
「新田さん、こんばんは」
「あ、こんばんは……咲良さん、ですよね?」
「え、ええ」
「そう、ですよね」
未だジロジロと眺めてくるその視線に居辛さを感じる。何か変だったろうか、身だしなみは散々チェックしたつもりだったけれど……。
しばらく私を見た新田さんは、結局何も言わなかった。蒼一さんの方に向き直り、ハキハキと話しかける。
「そろそろ開場でよろしいでしょうか、流れに変更はありませんよね?」
「うん、大丈夫」
「分かりました。……あ、奥様!」
新田さんは私たちの背後を見て声をかける。そしてツカツカと蒼一さんのご両親の元へ近寄った。
「社長、奥様、今日はよろしくお願いいたします」
新田さんを見た途端、お父様はもとよりお母様が顔をぱっと輝かせた。ニコニコと穏やかな笑顔で彼女に話しかける。
「新田さん、でしたね? いつも主人と息子がお世話になっております、今日はよろしくね」
「こちらこそです。覚えてていただけたなんて嬉しいです」
「有能でこんなに綺麗な方を忘れませんよ」
「そんな、もったいないお言葉です」
笑いながら二人は談笑する。少しだけ離れた場所でそれを眺めていた。私に向けられたことがない笑顔で、さすがに少しだけ落ち込む。
お姉ちゃんにしろ新田さんにしろ、美人でハキハキしてるような人と気が合うんだろうなあお母様。私とは正反対だ。蒼一さんの妻のはずなのに、今日お母様とはほとんど口をきいてもらっていない……。
少し肩を落としてしまった私の手を、突然温かな体温が包んだ。驚きで顔をあげてみると、蒼一さんが優しく笑っているのが見える。彼が私の手を握っているのだと気づき、一気に顔が紅潮した。
「あの二人は結構前から僕や父を通じて話したりしてるから。よく会ってるんだよ」
私の心を見透かしたようにフォローしてくれる。私は小さく頷いた。落ち込んでいたけれど、それに気づいてくれたこと、そして手を握ってもらえたことで頭は一気に蒼一さんでいっぱいになった。
子供の頃はよくこうして手を繋いでもらった。いつが最後だったろう、いつでも彼の手は私のよりずっと大きくて温かい。
「さ、これから少し頑張ろう」
「はい!」
私はしっかり前を見据え、力強く返事をした。
「そうだ、出かける前に。これを取りに行ってたんだ」
彼はそう言って手に持っていた紙袋を掲げた。不思議に思い首を傾げていると、蒼一さんが中から何かを取り出す。手のひらに収まるほどの小さな箱だった。それを長い指で開くと、中にあったものを見て一瞬息が止まった。
二つの結婚指輪だった。
式で形式上交換した結婚指輪は、当然ながらお姉ちゃんにサイズが合わせてあったので私には合わなかった。今はひっそりと引き出しの奥に眠っている。
蒼一さんも私も何も言わないまま、無言の了解のように二人とも指輪をつけていなかった。こんな形の夫婦に、指輪なんて変だと思っていたから。
まさか、私用に?
嬉しさで顔を上げて蒼一さんを見る。同居人だった私のためにわざわざ買ってきてくれたなんて、もしかして。
彼は優しく微笑んだ。
「指輪ないと、やっぱり周りは変な風に騒ぎ立てたりするだろうから」
自分の唇から小さな空気が漏れた。
喜びで緩めた頬が固まる。
「あ、……そう、ですね。ないと、変ですよね……」
そうか、そうだよね。ここで二人とも指輪してないなんて、仮面夫婦ですと言ってるようなもの。そのために買ってきてくれたのか。
一瞬期待した心に自分で笑った。もしかしてようやく妻として見てもらえるのかもって、これから夫婦としてやっていこうって言われるのかもって、期待してた。そんなわけない、未だ指一本触れられてない私がそんな風に言葉をかけてもらえるわけないじゃないか。
蒼一さんは並んでいる自分の分を手に取り嵌めた。それを見て私も指輪を取って自分でつける。蒼一さんがつけてくれるかも、って少しだけ心の底で期待したけど、そんな恋人らしい行為私たちにはありえない。それはこの指輪が形だけの結婚指輪だと証明しているように思えた。
「勝手に選んでごめんね、一緒に買いに行きたかったけど時間なかったから」
「いえ、そうですよね。可愛いです」
「パーティー終わったらはずしてもいいから」
サラリと言われた言葉に打ちひしがれ、言葉が出なかった。私はただ、返事もせずに無理矢理微笑んでいるしかできず、せっかく施されたメイクが落ちないよう涙を堪えるのに必死だった。
有名なホテルの会場で開かれるパーティーに車で向かった。かなり大きな規模の立食パーティーらしく、会社内の人はもちろん、重要な取引先などの人たちも招いて行うようだった。
二人で車を降りて会場へ向かう。すでに人がいくらか集まっている会場からは多くの声が聞こえてきた。一気に緊張が増して表情が強張る私に、隣の蒼一さんがいう。
「大丈夫、基本僕の隣にいればいい」
「は、はい」
「緊張しなくていい。咲良ちゃんはいつも通り笑ってればそれで百点」
優しく笑いながら言った彼に笑い返す。覚悟を決めた私はしっかり背筋を伸ばし、前を向いた。私の歩幅に合わせて歩く蒼一さんに寄り添うように足を進める。
扉をくぐり抜けると、豪華なシャンデリアが目に入った。華々しい会場には人が集まっている。だが恐らくまだ全ての参加者は集まりきっていないだろう、会場に対して人がまだ少ないように感じた。
「まだ来賓の人たちは今から。ここにいるのは僕の会社の人たちだね」
こっそり私に耳打ちしてくれる。小さく頷いた。
私たちが中に足を踏み入れた途端、一気に人々の視線が集まったのを感じた。ついたじろいでしまいそうなほど、みんな遠慮なしに私たちを見ている。
好奇の目に晒される。蒼一さんが言っていた通りだった。
それでも私は怯えた表情を一才出さず凛として前を向いた。全ては彼に恥を欠かせたくない一心だった。ほんの少しでも、しっかりした女性に見られたいと思った。
じっと私たちを見て何かを話す人たち。何を言っているのかは気にしないでおく。今は嘘でも自信を持って歩くんだ。
蒼一さんにエスコートされながら進んでいくと、会場の端に見覚えのある顔が見えた。蒼一さんのお父様とお母様だった。
私たちの姿が見えたとき、お父様は優しく目を垂らして笑ってくれた。その隣で、お母様は少しも表情を変えずに私たちを見ている。
「お、来たか! 待ってたぞ」
「道が混んでて」
蒼一さんが返すのを、お父様は笑って頷いた。私はしっかり頭を下げて挨拶をする。
「ご無沙汰しております」
顔を上げると、やはり笑顔のお父様に対してお母様だけは渋い顔をしていた。想定内のことなので、戸惑うことなく平然を保つ。結婚したあと、お二人に挨拶に伺ったが、その時も笑顔はひとつも見えなかった。
そんな空気を察してか、お父様が言う。
「いや、咲良さん、とても綺麗で驚いたよ!」
「いえ、そんな」
「周りの注目を独り占めだね、とても似合っている」
「ありがとうございます……」
お世辞でも嬉しい。蒼一さんのお父様が褒めてくださったことが。
私は恐る恐る、お母様にも話しかけてみた。
「どうでしょうか、蒼一さんが選んでくださったんですが」
私の声に、彼女はチラリとだけ見た。そしてわずかに口角をあげて見せる。
「いいと思いますよ、よく化けました」
「あ、ありがとうございます」
化けた、とは。褒められているのだろうか? 褒め言葉と受け取っておこう。
蒼一さんが私に耳打ちする。
「これからぐっと人が増えて来賓の方々も見える。咲良ちゃんは僕のそばにいてくれればいいから。顔も名前も僕はわかるから、挨拶に付き合って」
「はい、よろしくお願いします」
私は再び背筋を伸ばして姿勢を意識する。私は蒼一さんの妻だ、と今だけは胸を張っていなければ。蒼一さんだけではなく、ご両親の顔にも泥を塗りかねない。
私が緊張していると、背後から聞き覚えのある声が聞こえてきた。凛とした通る声だ。
「天海さん!」
二人で振り返ると、やはり新田さんが歩み寄ってきた。彼女はビシッとパンツスーツを身に纏っている。美人なのでそれだけでも十分に見栄えがいい。
彼女は私たちの前に立つと、まず私を見て一瞬目を丸くした。半開きになった口で見つめられる。
「新田さん、こんばんは」
「あ、こんばんは……咲良さん、ですよね?」
「え、ええ」
「そう、ですよね」
未だジロジロと眺めてくるその視線に居辛さを感じる。何か変だったろうか、身だしなみは散々チェックしたつもりだったけれど……。
しばらく私を見た新田さんは、結局何も言わなかった。蒼一さんの方に向き直り、ハキハキと話しかける。
「そろそろ開場でよろしいでしょうか、流れに変更はありませんよね?」
「うん、大丈夫」
「分かりました。……あ、奥様!」
新田さんは私たちの背後を見て声をかける。そしてツカツカと蒼一さんのご両親の元へ近寄った。
「社長、奥様、今日はよろしくお願いいたします」
新田さんを見た途端、お父様はもとよりお母様が顔をぱっと輝かせた。ニコニコと穏やかな笑顔で彼女に話しかける。
「新田さん、でしたね? いつも主人と息子がお世話になっております、今日はよろしくね」
「こちらこそです。覚えてていただけたなんて嬉しいです」
「有能でこんなに綺麗な方を忘れませんよ」
「そんな、もったいないお言葉です」
笑いながら二人は談笑する。少しだけ離れた場所でそれを眺めていた。私に向けられたことがない笑顔で、さすがに少しだけ落ち込む。
お姉ちゃんにしろ新田さんにしろ、美人でハキハキしてるような人と気が合うんだろうなあお母様。私とは正反対だ。蒼一さんの妻のはずなのに、今日お母様とはほとんど口をきいてもらっていない……。
少し肩を落としてしまった私の手を、突然温かな体温が包んだ。驚きで顔をあげてみると、蒼一さんが優しく笑っているのが見える。彼が私の手を握っているのだと気づき、一気に顔が紅潮した。
「あの二人は結構前から僕や父を通じて話したりしてるから。よく会ってるんだよ」
私の心を見透かしたようにフォローしてくれる。私は小さく頷いた。落ち込んでいたけれど、それに気づいてくれたこと、そして手を握ってもらえたことで頭は一気に蒼一さんでいっぱいになった。
子供の頃はよくこうして手を繋いでもらった。いつが最後だったろう、いつでも彼の手は私のよりずっと大きくて温かい。
「さ、これから少し頑張ろう」
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