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蒼一の憂鬱③

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「天海さん!」

 背後から名前を呼ばれる。振り返ると、一人の女性が駆け寄ってきた。

 ビシッとスーツを着こなし、セミロングの髪を揺らして歩いてくるその人は、新田茉莉子という仕事の仲間だった。キリッとした強い眼光を持った大人の女性で、年は私より一つ下だったか。

 ハキハキとしてなんでもそつなくこなす彼女は、なんだか綾乃に似ている人だった。

「新田さん、おはよ」

「おはようございます。朝一ですみません、先ほどメールで送ったんですが、至急確認してほしい書類があって」

「そう、わかった。急いで見るね」

 私はそのまま歩き出すと、新田さんは隣りに並んで共に歩いた。特に何も思わず無言でいると、言いにくそうに彼女が口を開く。

「さっきの社員たちの噂……聞いていましたか」

「はは、見てたの?」

「天海さんが余裕綽々の笑みで返すところまでバッチリ」

「余裕なんてないけどね」

「事実なんですか? 結婚の話」

 ズバリと聞いてきたのを、彼女らしいなと思った。私は笑って答える。

「本当だよ。結婚したのは綾乃じゃなくて妹の方」

 隣で息をのむのが伝わった。私はそのまま歩みを進める。

「二十二歳ってのも合ってる。みんな情報早いよね」

「……大学卒業したばかりのお嬢様ですか」

「まあ、そうかな」

「よかったんですか、そんな結婚相手で」

 わずかに新田さんの声が低くなった気がした。隣を見てみると、彼女は真剣な目でこちらを見上げている。

「どういう意味?」

「ずっと結婚すると思っていた方ではなく、その妹だなんて。しかも噂によれば結構地味な子だって」

「新田さんが噂に振り回されるのは意外だな」

 少し棘のある言葉を返した。それでも彼女は黙らず続けた。

「立場上断れなかったのはわかりますけど、あんまりかなって。天海さんに憧れてる女性はたくさんいますし、そんな結婚相手じゃそういう人たちも納得がいかないって、もっとお似合いの人がいるんじゃないかって……!」

 私は歩みをとめた。釣られて彼女も足を止める。ゆっくり隣りを見下ろしてみると、少し戸惑った顔をした新田さんの顔が目に入る。

「僕の妻を侮辱しないでもらえますか」

 今度は笑みなど付けなかった。

 噂など勝手に言わせておけばいいと思っている自分だが、どうしても怒りを覚えるのはやはり咲良を悪く言われることだった。どうせ誰も咲良本人のことなんて知らないくせに、面白おかしく噂する。

 彼女はぐっと言葉に詰まり、すぐに頭を下げた。

「すみませんでした」

「すぐに書類は確認するね。またメール返すね」

 私はそれだけ言うと、新田さんを置いてその場から去った。

 咲良がこんな風に言われてしまうのも私のせいだ。私があの結婚を仕組んだから。彼女は必要以上に噂されるはめになってしまった。

 その罪悪感で心が痛かった。

(早く帰りたいな……)

 結婚式のために取っていた休みの皺寄せがきている。本当ならもっと早く帰って、ゆっくり咲良とお茶でもしたい。いや、でも咲良からすれば一人の方が気楽でいいだろうか。

 はあと自分の口からため息が漏れた。

 自分がのぞんだ結婚生活、一体これはどう進んでいくんだろう。咲良をしばりつけて、このまま年老いていくつもりなんだろうか。形だけの夫婦で実際は同居人。

 もし……彼女が私を好きになってくれたなら。

 そんなおこがましいことを考えて自分で苦笑した。ずっと『優しいお兄ちゃん』だったのに、今更恋になんて発展しないに決まってる。

 それに……私がこの結婚を仕組んだと知れば、

 咲良は必ず失望する。










 家に帰ると、ひょこっとリビングから咲良の顔が見えて頬が緩んだ。昨日よりは早く帰ってこれたためか、まだ眠そうな感じもない。

「ただいま」

「おかえりなさい!」

 彼女は笑顔で迎えてくれた。私がリビングに入ると、咲良が急いだ様子で食事を温め直してくれた。

「ごめん、ありがとう」

「いいえ!」

 そこでふと、テーブルの上にある食事が二人分だということに気がついた。時計を見上げればもう時刻は二十二時。驚いて咲良に問う。

「まだ咲良ちゃん食べてないの?」

「え、あ、はい」

「食べてて良いんだよ、こんな遅くまで待ってなくたって!」

 慌ててそう言った。まさか彼女が夕食を待ってくれているとは。今朝も食べててと念を押すべきだったか。
 
 だが咲良は柔らかく笑って言った。

「一人より、誰かと食べたかったんです。お腹すいて我慢できない時は食べておきますね」

 まるで子供のような、それでいてどこか女性らしいその笑い顔に、悔しいことに胸を鷲掴みにされたようだった。

 誰だ。彼女を地味だなんて言った奴は。確かに綾乃とはまるでタイプが違うが、これほど癒しのオーラを持った女性もいないだろうに。

 そんな自分の気持ちを隠すように俯き、とりあえず椅子に座る。

「遅くなることも多いから、そう言う時は本当に我慢しなくていいんだよ」

「はい、ありがとうございます」

 いくつか料理がテーブルの上に置かれる。私が幼い頃から家に来て料理してくれている山下さんの手料理だ。母の味より山下さんの味の方がずっと記憶に残っている。

 咲良と二人手を合わせて挨拶をし食事を始める。

 ちらりと視線を動かす。美味しそうにご飯を食べる様子に、頬が緩むのを自覚した。


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