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蒼一の憂鬱②

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 咲良はニコリと笑った。でもその顔は、どこか悲しみに満ちていた。

「だから、それくらいはさせてください! 掃除や洗濯ぐらい!」

 気丈な発言に、私は頷くしかできなかった。

 心の奥底にあった罪悪感がじわじわと巨大化してくる。だがもう遅い。私は咲良を縛り付けてしまったのだし、今更引き返すことはできない。

 なんて、狡い人間。

「分かった、じゃあその辺は咲良ちゃんに任せるね」

「はい!」

「僕も出来ることは手伝うから」

「だめですよ、蒼一さんは仕事があるんですから」

「暇な時もあるんだよ。休みだって」

「そう言う時は休んでてください!」

 鼻息荒くして言ってくる姿に笑う。これだ、私は彼女のこういうところに惹かれているんだ。

 自分の意思ではない結婚にも、懸命に向き合おうとしている。優しくて、無垢で、真っ直ぐなところ。幼い頃から変わっていないなと思う。

 手元のパンを頬張る。全てそれを完食すると、最後にコーヒーを飲んだ。

 ふと彼女の手元を見ると、コーヒーではなく紅茶を飲んでいることに気づく。

「あれ、咲良ちゃんってコーヒー飲めないんだっけ」

 私が尋ねると、彼女は恥ずかしそうに頷いた。

「実は、苦味が苦手で」

 まだほんの小さいうちから見てきて色々知っているつもりだったのに、こんなことも知らなかった。彼女の好みぐらいちゃんと把握したいと思った。

「そっか、うち紅茶はあまり置いてないから、好きなもの買ってきてね」

「あ、ありがとうございます」

「僕はもう行かないと。咲良ちゃんは食べてて」

 そう言って立ち上がると、食べてていいと言ったのに彼女も共に立ち上がった。強く止めるのもどうかと思い、そのままにしておく。

 持ち物をもち玄関へ向かうと、まるで小動物のように小さな歩幅で私の後ろをついてきた。彼女の背は私よりだいぶ小さいからそう感じるのだろう。そんな様子はあまりに可愛らしくて、ため息が漏れてしまいそうだった。

 なんとか平然を装いながら靴を履くと、振り返って笑いかけた。

「では、行ってきます」

「はい、お気をつけて」

「戸締りしっかりね」

 そう言って玄関の戸を開けた時、あっと思い出して再度振り返る。不思議そうにこちらを見てくる咲良の口の端には、まだしっかりケチャップがついていた。

「咲良ちゃん、ずっとついてるよ」

 私が笑いながら指摘すると、彼女はそのケチャップに負けないくらい顔を赤くさせた。その様子を見てさらに笑ってしまう。

「ず、ずっとなら早く言ってください!」

「ごめんね」

「お見苦しいものをすみませんでした!」

 必死に頭を下げる咲良に最後まで笑わされると、私は仕事に向かって家を出た。





 会社へ着き長い廊下を歩いているとき、すれ違う人々の好奇の視線に気づいた。

 それは今に始まったことではなかった。そう、あの結婚式以降、会社の人たちはコソコソと噂をしている。

 父が経営する会社の跡継ぎである私の式となれば、多くの招待客がいた。もちろん社内にいる者も。そこで、当日花嫁が変わったなどと面白い展開となれば、そりゃみんな口々に噂するだろう。

 なぜかは分からないが、元々みんな綾乃のことを知っていた。それが式当日、できたのは妹の方だった……面白いだろうな。

 でもそんな視線、覚悟していたし別になんとも思わない。私は自分が本当に結婚したい人と結婚できた、それも自分が仕向けて。真実はそれだけなのだ。

 ふうと息を吐きながら歩みを進めると、朝から自販機の前に女性社員が数名集まっていた。彼女たちは面白そうに笑って話している。

「やっぱりさ、天海さんの結婚相手、妹の方だったらしいよ!」

「えー!」

「まだ二十二歳なんだって。元々の婚約者の藤田綾乃に比べるとなんか地味っ子だよ、全然似合ってない!」

「それってうちらチャンスあるかなー? ていうかあんな優良物件から逃げるとか、どんな心境なの婚約者ー!」

「一応新婚だけど絶対上手くいきっこないよねー」

「チャンスとも言える!」

 つい足を止めて、にぎやかな声の方を見つめていた。無言でそちらをじっと眺めていると、一人の女性社員が私の視線に気がつき、はっとした顔になった。

 全員が振り返り私の存在を認識すると、顔を赤くさせて戸惑っていた。そんな彼女たちに何も言わず、私は少しだけ口角を上げて見せた。

 無言で必死に頭を下げてくる彼女たちを置いてそのまま歩きを続ける。

 くだらない。そう思っていた。

 仕事は嫌いじゃない。会社をいずれ継ぐことも反発したことはないし、全てにおいてやりがいを感じてこなせている。

 私は私のやるべきことさえやっていればいい。第三者の目や噂などどうでもいい。


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