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咲良の憂鬱③
しおりを挟む一通り部屋の掃除などを終えた私は、それでもたっぷり時間が余ってしまったため、一旦外へと外出した。蒼一さんがくれたカードで買い物をする気なんてなかったが、見知らぬ家で一人過ごすのはどうしても気が引けたのだ。
天海家からこっそり出た私は、いくあてもないまま歩き出した。実家に帰るのもしたくない。私と蒼一さんの結婚を、お母さんは後悔してるようで、お父さんと未だよく喧嘩しているのだ。母から見れば、姉の身代わりにさせられた可哀想な妹、になっているんだろう。
空は晴れて真っ白な雲がわたあめみたいで美味しそうに見えた。肌寒い春の風は、心地いいけど一人で感じるには辛い。
妻としても中途半端で、一体これからどうやって過ごしていけばいいのかわからなかった。夕飯すら作る役割もない。……だが今思えば、私は料理は得意じゃないから正解だったのかも。微妙な料理を蒼一さんに食べさせるの気が引ける。
お姉ちゃんならなあ。料理もぱぱっとできるのになあ。
蒼一さんの元へ嫁ぐことが決まっていたお姉ちゃんは、料理教室とかも習わされてしっかり花嫁修行していた。私はといえば、「いい相手ができたら通えばいいわよね」とか母に言われて何もしていなかった。おかげさまで腕前は微妙なものである。
せめて。美味しいご飯を作れるようになれば……借りたカードで料理教室の予約でもしようかな。
一人ぼんやりと散歩していた時だった。
「咲良?」
聞き慣れた声がして振り返る。短髪の黒髪、日に焼けた肌は健康的だ。がっしりした肩幅に高い身長は目を引く。立っていたのは友人の北野蓮也だった。
蓮也は私と中学の頃からの友人だった。高校、大学と一緒で、腐れ縁とも言える。スポーツが万能で、話すとちょっとアホっぽいけどとてもいい友人だ。異性の友達なんてほとんどいない私の、唯一の友達だった。
「蓮也! 偶然だね!」
私は笑顔で名前を呼んだが、彼は険しい顔をしていた。つかつかとこちらに歩み寄ってくる。その気迫に、ちょっと後ずさってしまった。
蓮也は厳しい表情で私に言った。
「なんかすげー噂聞いたんだけど」
「え?」
「咲良が結婚したって」
確信をついたことを言われておしだまってしまった。
自分が姉の代わりに結婚したことを、友人の誰かに伝えることはできなかった。落ち着いたらいつか話そう、というくらいで、この結婚はまだ私の胸に秘めていた。
姉の代わりに結婚しただなんて……なかなか説明できることじゃないからだ。
それでも、どこからか噂が回っているらしい。それもそうだ、あれだけ大きな式で当日花嫁の名前が変わっただなんて珍しいエピソード、勝手に噂は回っていくだろう。
「咲良に連絡しても全然返ってこないし」
「あ、ごめん、最近忙しくてそれどころじゃなかったっていうか……」
蒼一さんとの新生活の準備や私のパニックで、友人からの連絡は目を通してもいなかった。そんな余裕なかったのだ。
私は俯いて少し笑った。
「あーうん、そうなんだよね実は」
「は、はあ? なんで。だってお前結婚するなんて一言も」
「急に決まったの。その、本当はお姉ちゃんが結婚するはずだったから」
私は正直に蓮也に伝えた。隠してもしょうがないことだし、彼は長い付き合いのいい友人。周りから伝わるよりは私の口から真実を伝えたいと思ったのだ。
蓮也は目を見開いて停止した。瞬きすらせず、驚きで完全に脳内停止しているらしかった。そんな蓮也を見たのは初めてのことで、私はつい笑った。
「……え、急って。お姉さんの?」
「結婚当日にお姉ちゃんが失踪しちゃって。元々家同士の政略結婚だったから白紙にもできなかったから、私が」
「身代わりになったってことかよ!」
突然荒げられた蓮也の声にびくっと反応してしまう。見たこともないほど蓮也は目を釣り上げて怒っていた。
そんなに怒りをあらわにした蓮也に驚いたが、冷静に自分で考えた。話だけきけば、確かにちょっと酷い流れだもんな。私は蒼一さんのことが好きだったから自分から立候補したわけだけど、そうじゃなかったらと考えると……。
私は慌てて蓮也に言った。
「わ、私が立候補したの!」
「なんでそんなことしたんだよ!」
「だ、だって」
『お姉ちゃんの婚約者のことがずっと好きだったから』
…………なんて、さすがに言えないよ
誰にも言ったことがない感情は、口に出すことすら恐ろしく罪に思える。
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