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九条尚久と憑かれやすい青年

似たもの同士

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 夜、綾子の出現により、戸谷のカレーを食べるのが躊躇われたのだ。戸谷に罪はないと分かっていたが、さすがの伊藤も綾子に何をされるか分からない、という理由から、心を痛めつつも破棄していた。それを、彼女は知っていたのだ。

 その疑問に答えるように九条が言う。

「伊藤さん、カレーを貰った次の日はゴミの日でしたね」

「……え、まさか」

「いいですか。彼女はあなたの捨てたごみも回収するほどの執着ぶりなんです。そこで、自分がせっかくあげたカレーが捨てられたことに気付いた。そこで、今までずっとあなたに抱いていた愛が怒りに変わったんです。だから、出社後にマーキングが消えた」

 確かに、カレーを貰った次の日はゴミの日で、伊藤はしっかり出していた。勿論、食べる予定のないカレーも。外からは見えないように袋に包んでいたので、故意にゴミ袋から出して調べないと分からないはずだ。

 収まらない鳥肌を押さえる気さえも起きず、伊藤は震える声で尋ねる。

「つまり……円城寺綾子の霊が戸谷さんに憑いていて、だから彼女はこんなに」

「いいですか伊藤さん。生きている人間と霊にも相性があります。波長の合う・合わないは必ずある。これだけの人数が住んでいるマンションであえて彼女に取り憑き続ける理由はただ一つ。『取り憑かれたから執着性が増した』ではなく、『執着性があったから取り憑かれた』のですよ」

 つまり、戸谷と円城寺綾子は本質的に似ていた? だから、綾子も取り憑いていた?

 九条は鋭い目で戸谷を見つめる。

「似たもの同士である二人。綾子の性格や特性も影響が全くなかった、というわけではないでしょう。矢部義雄が隣の家に住んでいた、ということから、戸谷さんも隣に住む男性に執着するようになったのかもしれません。初めに住んでいた男性も、彼女の異様さに怯えていなくなったんでしょう。この首につけられるマーキングを取る方法は、『戸谷さんの恋の気持ちが収まる・もしくは他の男性に興味が移る』ことだったんです。荒巻さんは結局、一口食べてカレーを捨てたしそのあとすぐ越してますよね。多分、戸谷さんはそれで荒巻さんに抱いていた恋がなくなったんでしょうね。伊藤さんのように」

 伊藤は、そういえば九条の首に髪が出現したのは、戸谷と会った後だと思い出す。さらに、伊藤がカレーを食べずに捨てたことで関心が完全に九条に移ったということも。九条もカレーを食べなかったのだが、恐らくカレーを受け取ったのは伊藤なので、伊藤にのみ怒りの矛先が向かったのかもしれない。

 戸谷の中には二人の人格が混じっている。隣に住む男を好きになるのは綾子の影響だろうが、九条に一目ぼれしたのは戸谷自身の好みだったのだろうか。

 なんにせよ、このマーキングを受ける条件はあの部屋に住むことじゃない。戸谷に恋をされる、それがすべての原因だった。九条は付け足すように言う。

「ちなみに、綾子が戸谷さんの作ったカレーに嫉妬している、と私たちは考えていましたが、あれはまるで見当はずれでしたね。そのままの意味で、『私のカレーを食べて』というアピールだったわけです。『普通ではない』カレーを」

「……頭が、追いつかないんですが」

 伊藤は両手で頭を抱えつつそう言った。戸谷からそんなに好意を持たれていたことも知らなかったし、ストーカー行為をされていたことにも気づかなかった。自分は霊感以外でも鈍い人間なのだろうか。

 九条はそんな伊藤には何も言わず、未だ立ち尽くしている戸谷に向かって話しかける。

「戸谷さん。何か違う点はありますか? まあ、あなたは綾子については無自覚でしょうけどね……好きになった男性の写真を、よくもまあこれだけ集めたものです。私のものはありませんね。まだ時間が経っていないから……」

 飄々と話し続ける九条に、ふらふらと戸谷が近づいてくる。どう見ても普通ではないその様子に、伊藤は体が動かず止めることが出来なかった。今まで生きてきた中で一番の恐怖が、彼を襲っている。

「あなたは……逃げませんか?」

 戸谷がそう囁いた。九条は彼女を正面からとらえる。

「あなたこそは逃げないはず……きっと、運命だと思っています……」

 戸谷の様子から正気がまるでないことが分かる。危ない、と伊藤はすぐに思った。
 
 だが、不思議と体が動かない。今すぐ戸谷を捕まえた方がいいと分かっているのに、誰かに全身を支配されているようにびくとも動けなかった。焦りと恐怖が彼を襲う。

 ついに戸谷が九条の腕にそっと触った。愛しそうな手つきで、それはあの夜伊藤に口づけようとしていた綾子の手の動きに、どこか似ていた。何度か九条の腕をさすりながら、戸谷は小さな声で言う。

「どうか私だけを見てください……私だけを一生見ていていてください……他の女と幸せになることは、許しません」

 機械が話しているような口ぶり。だが、九条は一切怖気づかなかった。目をそらすことなく戸谷を見つめ返し、そしてきっぱりと言った。
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