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九条尚久と憑かれやすい青年

チキン南蛮はうまい

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 土地に棲みついた霊だとしたら、あのマンション全体的に出没してもおかしくはない。だが、隣人の戸谷は伊藤の部屋以外で出入りが激しいと思ったことはない、と言っていた。

「戸谷さんの反対側にも男性が住んでいると言っていましたが、長くいるようですし」

「あ、同棲してるカップルって言ってたからじゃないですか? 男の一人暮らしだけ狙われるんじゃ」

「親切な霊ですね。恋人がいれば取り憑くのを止めるんですか。円城寺綾子は好きな男が他に恋人を作ったことで逆上した経験がありますし、その性格ならむしろ幸せそうなカップルを狙うと思うんですが」

「……確かに」

 伊藤はあっさり引き下がった。

 なぜあの部屋だけ霊が現れるのか。そして住んでもいない九条が標的になってしまったのか。分からないことは考えてもまるで答えが出てこない。

 少しして、九条が頼んだ料理が運ばれてくる。彼は箸を取り、そのままパクパクと食事を始めた。伊藤は全く食欲がなく、自分で持ってきたドリンクバーのウーロン茶を少し飲んだだけだ。

 九条はもぐもぐと咀嚼しながら言う。

「とりあえず、食べたらまた戻りませんか。落ち着くためにここに来ましたが、現場に行かないと何も解決しませんからね。私が寝ていた時の映像を確かめてみましょう。そして、夜はまた伊藤さんに寝てもらって私が観察します。円城寺綾子が現れて会話が出来れば、状況も変わるかもしれない」

「……あの、円城寺綾子を浄霊するとしたら、一体どうするんですか? あの人は何をしたくて留まっているんでしょう」

 伊藤の疑問に、九条は少しの間答えなかった。白米を口に入れ飲み込んだところで、困ったように頬を掻く。

「実際のところ……死んだ状況から考えて、恋が実らなかったことを苦にしていますよね。寂しさで留まっているとしたら、男性を道連れにしようとしているのかもしれません」

 九条の発言に伊藤は息を忘れた。道連れ、という言葉があまりにショッキングだった。

 首吊りをして死んだという円城寺綾子が、男に髪の毛を巻き続ける。今はほんの少し息苦しいだけだが、これがどんどん増えていったら。

 すっかり固まってしまった伊藤を見て、九条はフォローを入れる。

「ですが、昨晩見えた時に感じた様子で考えると、円城寺綾子はそこまで強い霊ではないのが幸いです。嫌な霊ではありますが、とんでもない悪霊にはまだなっていない、と言う感じです。短時間で命まで脅かされることはないでしょう。まあ、長時間続けば危なくなるかもしれないので、その時は力の強い除霊師に駆け込みます。一時的にでも遠ざけてもらえれば時間稼ぎになりますからね」

「あ、そ、そうですか……分かりました。お願いします」

 安心したような、でもすっきりしないような気持で伊藤は困った。

 自分が想像していた以上に、この事件は恐ろしく奥が深そうだ。とんでもない部屋を選んでしまった、と反省しても遅い。

「とんでもない悪霊とかだと、やっぱり凄いんですか?」

「まず、私は昨晩円城寺綾子の姿が見えなかったんですよ。シルエットでした。力が強い霊相手だとしっかり姿が見えたりするので、そこで相手がどれくらい強いか判断できます」

「あ、そんなこと言ってましたね……」

「いいですか。憎しみや怒りを持った霊は、長く時間が経つとどんどん悪霊化します。そうなれば私の手には負えません。あなたが通っていたという寺の住職ですらお手上げかも。ごくごく一部の強い除霊師しか手出しが出来なくなります。そうなる前に私は彼女を何とかしたい」

 真剣な眼差しで語る九条の言葉に、伊藤はしっかり耳を傾けていた。

 綾子が悪霊化していないことは不幸中の幸いだろう。彼女がそうなっていたら、自分はこの一か月の間に命を落としていたかもしれない。

 とはいえ、油断は禁物なんだろう。時間がかかればかかるほどきっとよくない。早く解決しなければならない。

 伊藤はウーロン茶を飲みながら、目の前の九条をすがるように見る。この人に自分の運命はかかっているんだ、と再確認しながら。

ーーただ、その時九条の口の端にはチキン南蛮のタルタルソースがついていて、あまりに締まりがなかったので、伊藤は漠然と不安になった。



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