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九条尚久と憑かれやすい青年

隣人の話

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 九条はバスタオルで髪を乱暴に拭くと、時計を見上げて伊藤に言う。

「さて。そろそろ行きましょうか」

「……九条さんって、彼女いたりするんですか? ドライヤーないって言ったら相手、怒りません?」

「交際相手はいません。そういえば、今までうちに女性を泊めたことはありませんでしたね……女性は髪が長いから乾かさないと辛いでしょうね。大変です、私は男でよかったです」

 男でも髪を乾かすんですが?

……なんて突っ込みは出来ず、伊藤は黙る。そんな彼を気に掛けるそぶりもなく、九条はすぐに玄関へ向かって行ったので、慌てて出かける準備をした。伊藤は九条と違い、身だしなみぐらい軽くチェックするし、鍵も持って出なくてはいけないのだ。

 部屋を出た時、隣から物音がしたので、伊藤と九条はそちらを見る。すると、隣人が丁度外に出てきたタイミングだったのだ。

 中から現れたのは、二十代前半ぐらいの若い女の子だった。さらりとした茶色の髪は丁寧に巻かれており、メイクもしっかり施してある。色白で目がクリっとした、一般的には可愛い部類に入る子だった。

 伊藤はこのマンションに入居した際、丁寧にも隣人にあいさつに行っている。角部屋なので、訪ねたのはこの女性の部屋のみだ。苗字は戸谷という名で、一人暮らしをしている社会人、ということは雑談で聞いていた。基本的に愛想のいい女性で、会えば挨拶を交わし、『いい天気ですね』ぐらいの雑談をする関係だった。

 戸谷の姿を見て、伊藤は心の中でガッツポーズを取った。昨晩、九条はこのマンションの住民にも話を聞いてみたいと言っていた。隣人に話を聞くのが一番望ましいではないか。

「戸谷さん、おはようございます!」

 伊藤が挨拶をすると、戸谷はふわっと微笑んだ。

「伊藤さん、おはようございます」

「お出かけですか?」

「モーニングでも行こうかと思って。私、一人でモーニングに行くのが好きで」

「へえー! いいですね。おすすめのお店があったら教えてくださいね」

「はい、ぜひ。お友達ですか?」

 戸谷は九条を見上げてそう尋ねた。その視線は、どこか恥ずかしそうな、それでいて熱っぽい感じがした。伊藤はすぐにその気持ちを理解する。

(九条さん、イケメンだからなー)

 初めて会った時、男である自分ですら見惚れてしまったほどだ。女性なら、こんなかっこいい人物を放っておかないだろう。

 伊藤はニコッと笑い、話に乗る。

「はい、友達なんですよー! ちょっと事情があって、昨日からうちに泊まってもらってるんです。騒がしかったらすみません!」

「いえいえ、全然静かでしたから」

 戸谷は九条を見てにっこりと笑う。可愛らしい女性なので、ぱっと見は九条とお似合いの二人に見えるが、九条は愛想笑いすら返さなかった。そして、唐突に尋ねる。

「ここに住まれて長いんですか?」

 世間話もなしか、と伊藤は呆れたが、九条にそんな器用なことが出来そうにないのは想定内だった。戸谷は特に気分を害することもなく答える。

「私、ここが完成した時からずっと住んでるんですよ。なのでえーと、五年経ちますね。あの頃は学生でした」

「住み心地はいいんですか」

「ええ、住みやすいですよ。まあお金に余裕が出来たら、もっと広い所に越してもいいかもとは思いますが、でも十分満足してます」

「伊藤さんの前にはどんな人が住んでいたのか、ご存じですか?」

 九条の質問に、戸谷は一瞬不思議そうな顔を見せた。前の住民について質問されるなんて、怪訝に思うのが普通だ。

 それを見た伊藤はすかさずそれらしいフォローを入れる。

「ついさっきまで、夜通し二人でホラー映画見てたんですよー! ほら、事故物件扱うやつ。そしたらなんか僕ビビっちゃって、この家の前の人のことを気にしだして……知ってますか? 不審死とかじゃなければ、不動産屋に告知義務ってないんですって!」

 昨日九条から聞いた知識を、早速利用させてもらった。戸谷は驚いて目を丸くする。

「そうなんですか?」

「らしいですよ! 自然死なら告知されないらしいです。その点、戸谷さんは安心ですね。だって建った頃から住んでるから」

「確かにそうですね、私は一番安心ですね」

 戸谷はふふっと笑い、すぐに柔らかい声で答えた。
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