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憧れの人
顔の下
しおりを挟むしゃがれた声に耳を塞ぎたくなる。
その声につられるように、首の圧迫感が強くなった。ぐ、っと息が詰まる。
「ま、けないで……あな、たは、日比谷じゃ、ない……」
なんとか声を発する。伊藤さんと九条さんが、私の名を呼ぶ。
苦しくなってきても、私は影山さんから視線を逸らさない。逸らしてはダメだと思っていた。
私は彼から見た『現実』だから。あなたは今、現実に人を殺めようとしているんだと、見せつけなければならない。
すると、ずっと見ていた光景に変化を覚えた。
日比谷の額の皮が捲れている。それはゆっくりゆっくりと動き、彼の顔から徐々に剥がれていく。落ちていく皮膚のその下に、もう一つの顔が見えた。日比谷とはまるで違う顔だった。
白く若い肌は、ややたるみのある肌に。大きくぱっちりした目は、スッキリした奥二重の目に。パーマをかけた長めの髪は、短い黒髪に。
徐々に変わっていくその顔は、やはり、影山さんだった。
影山さんが、影山さんに、締めろと囁き続けている。
それは私が知っている彼の顔ではなかった。
同じ人間でこうも違うのか、と驚愕する。いつも穏やかで優しいおじさん、という感じだった影山さんとはまるで違い、狂気に満ちた目をしている。どこか冷たく、憎悪すら感じられた。
これが、人間の中に潜む黒い部分か。
一層力が加わり、気道が押しつぶされる。苦しさに顔を歪めると、九条さんの焦った声がした。
「自分をしっかり持って! 奥様が、麗香が今のあなたを見てどう思うと思いますか! 押しつぶされないほどの輝く時間をあなたは知っているはず!」
影山さんの涙が、ぽたりと垂れる。私は抵抗せず、彼の全てに賭ける。
負けてはダメだ、ここで勝たないと、きっと悲劇は繰り返す。
どうか思い出してほしい、あなたには大切なものがあったはず。
それは決して色褪せることはない、大事な時間。人身全霊愛した人の存在は、相手を失っても無にはならないのだから。
目の前がぼんやり霞んできたとき、影山さんが何かを叫んだ。もはや音を拾う余裕すらなかった私には、なんて言ったのか聞き取れなかった。
だが同時に、彼は私の首から手を離した。そして、手首にかかっていた数珠を握りしめ、思い切り振り返る。黒いもう一人の自分を殴りつけるように、数珠を持った手を強く祓った。苦しそうに息を乱している彼影山さんは、目の前の自分を睨みつけていた。
黒い男は驚いたように目を丸くする。そのまま抵抗することなく、ただ停止した。
すると、皮膚にピシピシとヒビが入る。ガラスが割れる前兆のようだった。それはどんどん広がり大きくなる。
そして剥がれゆくように、パラパラと舞いながら彼が粉々になっていく。落ちていく破片は、落下することなくそのまま消失した。
ほんの数秒、数十秒。男はそのまま見えなくなってしまったのだ。
「……光ちゃん!」
未だ寝そべっている私に伊藤さんと九条さんが駆け寄る。同時に、影山さんが力無くその場に倒れ込んだ。どさりと音がしたそちらへ視線をやると、真っ青な顔をした影山さんが、床に顔を乗せたままつぶやいた。
「申し訳……ありませんでした」
私は伊藤さんの力を借りて起き上がる。大丈夫、そんなに長い時間締められていたわけでもないので、意識もしっかりしている。
私は上半身を起こしたあと、呼吸を整えながら隣で倒れ込んでいる影山さんに囁いた。
「勝てましたね……自分に」
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