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憧れの人
おにぎり
しおりを挟む疲れがすごかった。
車内は沈黙が流れていた。あの伊藤さんですら口を開かず、重い空気が流れている。時刻はまだ昼前だ。朝食を食べ損ねていたが、お腹が空いたという感覚もない。
九条さんは静かに運転し、伊藤さんは車内でノートパソコンを開いて何かを見ていた。私は自由の効かない手でぼんやりと座っているだけだ。
麗香さんがあんな目にあった。それだけで相手は普通じゃないとわかっていた。
でも想像を超えていた。今までも恐ろしい物と出会ったことはあったけど、あれだけ攻撃的で真っ直ぐに殺意を感じたのは初めてだった。
(楽しそうだったな……)
私が死にそうになるほど、あの男は楽しそうだった。
「九条さん、視えましたか?」
私は尋ねる。九条さんは普段はシルエットだけしか視えないタイプなのだが、相手の力が強いと全貌が見えたりする。やはり、彼は頷いた。
「ええ、細身の若い男性のように見えましたね。ただし顔が真っ黒で分からなかった。影山さんでさえそうだったのですから、故意に隠しているんでしょう」
「なぜ顔を隠してるんでしょう?」
私の率直な疑問に、ふと彼の表情が固まる。確かに、と頷きながら答える。
「それもそうです。なぜ相手は顔を隠していたのか。もしかすると、顔を知られることは弱みを握られることだとわかっているのか? 影山さんの場合は特に、相手の顔を確認することが重要そうでした」
「場合ってことは、違うこともあるんですか?」
「例えば悪魔祓いなどは、相手の名前を知ることにより力を弱ませるというやり方もあるみたいです。それぞれ理由ややり方はあるでしょうが、影山さんの場合は相手を捉えることが重要なのでしょうね」
「なるほど……そうだとして、なんで顔を隠すべきと知っていたか、ですよね」
「いくつか思い浮かべる理由はあります。生前除霊に携わっていたから知識があった、影山さんに以前除霊されたことがあった、もしくは……我々が知っている相手だった」
最後の説に体が震えた。私たちが知ってる人? ずっと黙ってパソコンを見ていた伊藤さんが答える。
「流石に全員共通の人はありえませんから、誰か一人の知り合い、っていうパターンは考えられますかね。でももし知り合いなら、顔が見えなくても意外と気づいたりできそうですけど」
それもそうだな、と思った。少なくとも、私には知り合いであんな人はいない。痩せ型で若い男性で亡くなった人なんて。
それは彼らも同じようだった。不思議そうに首を傾げている。九条さんがハンドルを回しながら言った。
「分かりませんね。とりあえず、警察から届く情報を洗いましょう」
私たちは頷いた。
その後事務所にたどり着き、私たちはいつもの場所に戻った。疲れ果てた自分はとりあえずソファに座り込む。手が使えない私に、伊藤さんが甲斐甲斐しく世話を焼いてくれた。コートを脱がしてもらい、水が入ったペットボトルにストローをさして置いておいてくれる。どこかのお嬢様と執事かな?
さらには、朝私が準備して置いてきたおにぎりたちを温め直して持ってきてくれた。
「光ちゃん! お腹空いてないかもしれないけど、少しでも食べなきゃだよ。おにぎり食べれる?」
「あ、はい、ありがとうございます、じゃあ」
「はい、どうぞ!」
そう言って子犬みたいな笑顔で、彼は私の口元におにぎりを差し出した。ピタリと静止してしまう。
……え、なに。食べさせてくれるってこと?
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