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憧れの人
顔
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上半身を垂らして私の顔を覗き込む男。薄汚い白い服を着ていた。背が高く細身で、恐らくそこそこ若い人なんだろうと思わせる。伸びて手入れが全くされていないだろうボサボサの黒髪。男はただ無言で、私の顔を覗き込んでいる。
男に顔がなかった。
まるでクレヨンで塗りつぶしたように、顔の部分だけが真っ黒だ。鼻の位置や口すら分からない。それでもなぜか、奴が嬉しそうに笑っていることが私には分かった。
「顔を見せろと言ってる!」
影山さんの焦ったような声が聞こえる。それは怯えたり戸惑うことなく、ただ嬉しそうに私の顔を覗き込んでいる。
すると突然、甲高い無機質な音が聞こえてきた。
踏切だ。
耳が痛くなるほどの音量だ。耳を塞いでしまいたいのを堪え、私はひたすらお守りを握りしめる。祈りながら、シワシワになりそうなほど力を入れた。
(顔を見せろ……顔を見せろ……影山さんに……)
あれだけ怒鳴っているのだから、きっと影山さんにとって相手の顔をみることは重要なのだ。なぜ男の顔が真っ黒なのかは分からないが、その黒が剥がれて素顔を見せてほしい。
と、自分の手の中に異変を感じた。
「…………え?」
手を開いて赤いお守りをみる。無惨にも形が崩れているそれが、何かおかしい。
右端の角だ。虫が蠢くようにウネウネと赤い布が動いている。
赤が、黒に染まっていく。
じわじわと赤い布が変貌していくのだ。これさえ持っていれば、と信じていた自分にその光景は絶望そのものだった。ついに、私の喉から悲鳴が上がる。それでも手放してはいけないだろうと僅かな理性が働き、私は手を震わせながらお守りを見つめた。
「光さん!」
そう背後から声がして、九条さんが何かを差し出した。影山さんが九条さんに渡したもう一つのお守りだった。赤い布を見て一瞬落ち着きを取り戻したかと思ったが、そのお守りすら、すぐに黒く染まり出した。
手元に残ったのは炭のような二つのお守り。
「馬鹿な!!」
そう叫んだのは影山さんだ。こちらを振り向いて驚愕の顔をしている。私はどうしていいか分からず、呼吸すらうまくできている自信がなかった。
あれはまだ私を覗き込んでいる。嘲笑いながら。
踏切の音がうるさくて頭がおかしくなりそうだった。ついにお守りを手から落とし、両手が耳を塞ごうと動く。
しかし自分の腕は自分ではなかった。動いた先は耳ではなく首だった。私は自分の首をしっかり握りしめ、驚くほどの力を込めた。
「やめなさい!」
「光ちゃん!」
二人の声が聞こえて私の両腕をそれぞれ止めにかかる。男性二人に引っ張られているというのに、私の腕はびくともしなかった。自分の体が自分のものではない。
皮膚に食い込む私の指の感触を感じた。一気に息苦しさを感じる。酸素が行き渡らなくなった脳が、それでも必死に回転していた。しかしこの状況を切り抜けるいい案が浮かばない。
不思議と、苦しさが心地よさに変わっていた。自分で首を絞めるのが楽しいと思ったのだ。必死に腕を引く九条さんたちを鬱陶しいと感じるほど。息苦しい、でも楽しい。楽しくて、面白くて、最高だと思った。
声が出せない自分の代わりに笑う人がいた。あの黒い顔の男だ。私の気持ちを代弁するかのように、男は高笑いを始めた。顔は見えないが、肩と頭を揺らし非常に楽しそうにしているのがわかる。鏡の中の男は止めようとしている九条さんたちを、馬鹿にしたように見下していた。
もはや踏切の音と、男の笑い声しか聞こえなくなっていた。九条さんたちが何かを叫んでいるのに、音声を消した映画のように無音で動いているだけ。目の前もぼやけて、顔すらよく見えなくなってきてる。じんわりと目に涙が浮いてきた。
ああ、意識が飛びそう。でも腕の力だけは緩まない。
体がふわりと倒れた。手以外の体はもう力が入らないのだ。もう終わりかも、そう心の中で諦めが勝ってくる。
男に顔がなかった。
まるでクレヨンで塗りつぶしたように、顔の部分だけが真っ黒だ。鼻の位置や口すら分からない。それでもなぜか、奴が嬉しそうに笑っていることが私には分かった。
「顔を見せろと言ってる!」
影山さんの焦ったような声が聞こえる。それは怯えたり戸惑うことなく、ただ嬉しそうに私の顔を覗き込んでいる。
すると突然、甲高い無機質な音が聞こえてきた。
踏切だ。
耳が痛くなるほどの音量だ。耳を塞いでしまいたいのを堪え、私はひたすらお守りを握りしめる。祈りながら、シワシワになりそうなほど力を入れた。
(顔を見せろ……顔を見せろ……影山さんに……)
あれだけ怒鳴っているのだから、きっと影山さんにとって相手の顔をみることは重要なのだ。なぜ男の顔が真っ黒なのかは分からないが、その黒が剥がれて素顔を見せてほしい。
と、自分の手の中に異変を感じた。
「…………え?」
手を開いて赤いお守りをみる。無惨にも形が崩れているそれが、何かおかしい。
右端の角だ。虫が蠢くようにウネウネと赤い布が動いている。
赤が、黒に染まっていく。
じわじわと赤い布が変貌していくのだ。これさえ持っていれば、と信じていた自分にその光景は絶望そのものだった。ついに、私の喉から悲鳴が上がる。それでも手放してはいけないだろうと僅かな理性が働き、私は手を震わせながらお守りを見つめた。
「光さん!」
そう背後から声がして、九条さんが何かを差し出した。影山さんが九条さんに渡したもう一つのお守りだった。赤い布を見て一瞬落ち着きを取り戻したかと思ったが、そのお守りすら、すぐに黒く染まり出した。
手元に残ったのは炭のような二つのお守り。
「馬鹿な!!」
そう叫んだのは影山さんだ。こちらを振り向いて驚愕の顔をしている。私はどうしていいか分からず、呼吸すらうまくできている自信がなかった。
あれはまだ私を覗き込んでいる。嘲笑いながら。
踏切の音がうるさくて頭がおかしくなりそうだった。ついにお守りを手から落とし、両手が耳を塞ごうと動く。
しかし自分の腕は自分ではなかった。動いた先は耳ではなく首だった。私は自分の首をしっかり握りしめ、驚くほどの力を込めた。
「やめなさい!」
「光ちゃん!」
二人の声が聞こえて私の両腕をそれぞれ止めにかかる。男性二人に引っ張られているというのに、私の腕はびくともしなかった。自分の体が自分のものではない。
皮膚に食い込む私の指の感触を感じた。一気に息苦しさを感じる。酸素が行き渡らなくなった脳が、それでも必死に回転していた。しかしこの状況を切り抜けるいい案が浮かばない。
不思議と、苦しさが心地よさに変わっていた。自分で首を絞めるのが楽しいと思ったのだ。必死に腕を引く九条さんたちを鬱陶しいと感じるほど。息苦しい、でも楽しい。楽しくて、面白くて、最高だと思った。
声が出せない自分の代わりに笑う人がいた。あの黒い顔の男だ。私の気持ちを代弁するかのように、男は高笑いを始めた。顔は見えないが、肩と頭を揺らし非常に楽しそうにしているのがわかる。鏡の中の男は止めようとしている九条さんたちを、馬鹿にしたように見下していた。
もはや踏切の音と、男の笑い声しか聞こえなくなっていた。九条さんたちが何かを叫んでいるのに、音声を消した映画のように無音で動いているだけ。目の前もぼやけて、顔すらよく見えなくなってきてる。じんわりと目に涙が浮いてきた。
ああ、意識が飛びそう。でも腕の力だけは緩まない。
体がふわりと倒れた。手以外の体はもう力が入らないのだ。もう終わりかも、そう心の中で諦めが勝ってくる。
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