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待ち合わせ

囚われた子

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「すみません、僕のミスです」

 伊藤さんが頭を下げて謝った。

 翌日、気がつけば聡美と昼近くまでぐっすり眠ってしまっていた。慌てて二人で起きて身支度を整えると、伊藤さんはリビングにいなかった。朝早く調査のために出かけたそうだ。

 九条さんは録画してあった映像を見返しながら信也と待ってくれていたようだった。何だか変な組み合わせの二人、一体どう過ごしていたんだろうか。

 昼食を簡単に四人で取ったあと、伊藤さんが帰宅した。そして開口一番謝ったのだ。何か新しい情報を得たのだろうとすぐに理解する。

 彼は持っていたパソコンを取り出しながらため息をつく。私は待ちきれず尋ねた。

「何か分かったんですか?」

「うん、九条さんや光ちゃんのいう通り、階段にいる女の子はまことちゃんじゃなかったんだよ」

 床に座り込んだ伊藤さんをみんなで囲む。立ち上がるパソコンを眺めながら伊藤さんが言った。

「まずあの交通事故について。明穂さんが亡くなったのは間違いないですが、子供であるまことちゃん。彼女は生きています」

「ええ!!」

 私たちは声を揃えて驚いた。別人だろうな、という想定はしていたが、まさか本物は生きているとは!

「新聞記事には意識不明の重体、って表記しかないと言ったと思います。その後のことは何も情報がなくて、駄菓子屋の人に聞いたんですが」

「はい、言ってましたよね。その後亡くなったって」

「それがガセの噂だったみたい。僕も駄菓子屋の人に話を聞いて裏付け取ってなかったんだよね。本当のまことちゃんはその後も危篤状態が続いたんだけど、なんとか一命を取り留めたそう。かなり長く時間も掛かったから、多分噂が一人歩きしちゃったんだろうね」

 私と九条さんは顔を見合わせる。

 明穂さんがまことちゃんを探しながらも会えない理由。相手が隠れてるから、なんて問題じゃない。

 そもそも本当の娘は生きているからここで探していても会えるわけがないのだ。明穂さんからすれば、まことちゃんが轢かれたシーンだけ見て亡くなったのだから、生きているかどうかすら分かっていないはず。

 伊藤さんはパソコンを操作しながら言った。

「そして、肝心のポイント。 
 その交通事故よりさらに昔、今から二十年前のことです。全く別の事件がありました」

 パソコンに新聞記事らしきものが映された。私たちはぐっとそこに集中する。無機質な文字で、こう書かれていた。

『虐待児、真冬に外で死亡』

 息が止まる。昨晩見たあの光景が目に浮かんだのだ。そして記事に書かれている名前が目に入った。

『篠田飛鳥ちゃん(10)』

「しのだ、あすかちゃん……」

 私はその名前を噛み締める。伊藤さんが低い声で説明した。

「よくある、っていう言い方も使いたくないんですけど。離婚した母親の内縁の夫に暴力を受けていたようです。次第に母親も加担し虐待するように。
 飛鳥ちゃんは暴力だけではなく、まともに食事も与えられず、時々食べれても異物が入っていたりろくなものを貰えていなかったようです。
 夏だろうが冬だろうが外に放置され、清潔にもしてもらえず、学校もほとんど通ってなかった」

 伊藤さんの説明を聞き、自分が体験したことが一気につながった。

 体験したことのない暑さと寒さ、ホットミルクに入っていた虫。一体あの経験が何を示しているのか分からなかったが、あれは私に対する嫌がらせなんかじゃない。
 
 飛鳥ちゃんが生前体験してきたことだ。

 口を両手で抑える。信じられない内容に言葉が出てこなかった。

「その日、飛鳥ちゃんは母親が仕事中、いつもより強い暴力を受けた。そしてその後母親に電話で言われたそうなんです。『あの公園で待ってなさい、そこで反省してなさい、仕事が終わったら行くから』と……。外は真冬、それに飛鳥ちゃんはその日元々発熱してたみたいなんです。
 母親は結局仕事の後も迎えに行かず自分は一人家に帰った。躾のためだと言って。でも飛鳥ちゃんは待ち続けて、体調を悪化させ、元々栄養状態もよくなった体はそのまま……」

「もうやめて!」

 悲痛な声を上げたのは聡美だった。昨日見たあの後のことなんだろうと安易に想像がつく。そういえば、飛鳥ちゃんは咳をしていた。

 痛いほどの沈黙が流れる。誰も言葉を発せない。私は目からこぼれる涙を拭くことすらできなかった。

 飛鳥ちゃんがここで待ち続けているのは、きっと迎えにきてほしいからじゃない。待っていろ、と言われたからそれに従うしかないのだ。言いつけを破ったらどうなるかわからないから。

 でももし迎えに来られてもまたあの家に戻らなくてはならない。だから会いたくなくて隠れている。

 もう二十年も、あの子は母親に言われたたった一言の言葉に囚われているのだ。

 自分がどれほど平和な脳をしているのか痛感した。小さな体でそんな悲劇を味わってきたあの子のことを、何も知らないまま説得しようとしていたなんて。
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