273 / 449
待ち合わせ
久々の会話
しおりを挟む
「光」
はっとする。恐る恐る振り返ると、信也がこちらを見ていた。そう呼ばれるのはどれぐらいぶりだろう。
彼は少し困ったような表情で、でも無理に口角を上げて言った。
「えっと、元気そう……だな」
そんな風に声をかけられただけで、心臓が収縮するようになった。悲しさとか、愛しさとか、怒りとか、いろんな感情を混ぜ合わせて私を押しつぶす。
でもかろうじて頷き答えた。
「うん、今は充実した毎日を送ってるよ」
信也は黙り込んだ。気まずい雰囲気に耐えられなくなりそうだ。彼はポツリと小さな声を漏らした。
「急に仕事もやめたから、驚いた」
ちょっと恨みを込めた視線を彼に送る。が、信也の悲しそうな顔を見て、何も言えなかった。本当は怒ってやりたかった、一体誰にどんな話をしたの? まともに仕事をこなせないほど嫌がらせを受けたんですけど。
でも、その顔を見るにきっと信也はそれを知らないんだろう。どこでどうなったかは分からないが、過去のことをグダグダ言いたくなかった。というより、慎ましいながらも平穏に過ごしているこの毎日を、揺るがしたくなかったのだ。彼はただの依頼人、そう接するのが一番だと思っている。
「まあ、ちょっと」
「連絡もつかないし、アパートも越してたし、どこに行ったんだろうって」
「私に連絡したかったの?」
あんな仕打ちをしたくせに、なぜ? そういう意味を込めて強めに言うと、信也はまた黙り込んだ。私は視線を逸らす。
結婚しよう、と言ってくれた彼はどこにもいない。あの時の愛情は枯渇した。遠い昔のようで、でも昨日のように思い出せるのに。
聡美と別れた理由を尋ねようとして口を閉じる。仲がいい姉妹でもないのに、そんな事を聞いてどうするというのだ。
「信也も、聡美も信じてないと思うけど、うちはちゃんとした事務所だよ。私はこの仕事を誇りに思ってやってる。いい人たちに囲まれてるし、それなりに幸せなの」
私はキッパリと言い切った。これは見栄でもなんでもなく、本当のこと。一度は死んでしまいたいくらい落ちたけど、今は本当に幸せにやってる。
信也はこちらをじっと見て、意を決したように口を開いた。
「光、俺」
「光さん、お待たせしました。いきましょうか」
その言葉に被せるように九条さんの声がした。信也の背後から彼が現れる。私はほっとして頷いた。九条さんはじっとこちらを見つめている。
「はい、行きましょう。あ、スマホだけ持って、っと。大丈夫です」
「では、原さん。我々は外に出て調べますので」
信也は何も言わずに頷いた。私は彼を通り過ぎ、九条さんの隣へと急ぐ。そのまま信也の方を振り返ることなく、玄関へと歩いた。
扉を開けると寒さがぐっと厳しい。外はすっかり暗くなっていた。信也の部屋から出たことで、なんだか肩の力が抜けてほっとする。
「すみません、二人にして」
「え?」
突然九条さんが謝ってきたので隣を見上げた。彼は頬を掻きながら言う。
「気まずかったでしょう」
「い、いえ! そんな、トイレに行く時間ぐらい大丈夫ですよ! それに九条さんがそんなことを気遣ってくれるのがびっくりです」
「まあ、ここに来る前に伊藤さんに『なるべく二人にさせないよう気をつけて』と言われたんです」
「なるほど……さすがの……」
さすがの伊藤さんだ。気遣いすごい。でも、それを覚えて忠実に守ってる九条さんも素直で優しいなと思ってしまったり。
私の顔を覗き込む。
「何か言われましたか」
「……いいえ。世間話です。元気そうだね、って」
「そうですか。言いましたがあなたが嫌だと思ったら調査終了ですよ。すぐに言ってください」
「大丈夫です。ありがとうございます」
私は微笑んで返事をした。伊藤さんと九条さんの優しさが、この寒い冬すら暖かくしてくれそうだと思った。
しばらくマンション内を歩き回っていた。
時々住民の人と会ったので、ここに住んでいるふりをして尋ねた。『さっき地震あったように思ったんですが、感じました?』と。
相手は首を振って不思議そうにした。信也よりさらに鈍感タイプなのか、あの怪奇は限られた部屋にだけ起こるのか。
無駄にエレベーターに乗ったり階段を降りたりしながら、何度もマンション内を行ったり来たりした。エントランス周辺の観察を終え、また上にあがろうとエレベーターを呼び出しながら私は言う。
「九条さん」
「はい」
「これ、私たち通報されませんかね? このマンションに監視カメラあったらどうしよう」
「エントランスにありましたね」
「げ!」
「まあ、その時はその時です。原さんに説明してもらえばいいでしょう」
のほほんと言ってるけど、こんなにマンション内を徘徊してる人間なんて住民からみたら不安要素でしかないのに! 大事になったらどうしよう、とげんなりする。
ちょうどやってきたエレベーターに乗り込む。他に人はおらず、私と九条さん二人きりだ。とりあえず一番上の階のボタンを押してみる。
「はあ……警察のお世話になったらどうしよう」
「今まで言ってませんでしたが実は何度かそう言ったことがありました」
「げげ!」
「大丈夫です、ちゃんと事情を話して伊藤さんに迎えにきて貰えば注意だけで帰れます」
(大丈夫って言っていいのかそれは?)
呆れながら目の前の『閉』ボタンを押した。警察の人からみても怪しいだろうになあ、心霊調査してます、だなんて。実は目をつけられてたりして。
そう考えながら扉が閉まるのを待っていると、一向にそれが動かないことに気がついた。
「?」
私は再び『閉』ボタンを押す。しっかり点滅するが、やはり目の前のドアはまるで動かない。
「あれ、なんだろう不具合かな?」
私はボタンを連打してみる。それでもびくともしない扉に首を傾げた時、私の手首を九条さんが掴んだ。少しひんやりしたその温度に心が跳ねる。
「光さん」
はっとする。恐る恐る振り返ると、信也がこちらを見ていた。そう呼ばれるのはどれぐらいぶりだろう。
彼は少し困ったような表情で、でも無理に口角を上げて言った。
「えっと、元気そう……だな」
そんな風に声をかけられただけで、心臓が収縮するようになった。悲しさとか、愛しさとか、怒りとか、いろんな感情を混ぜ合わせて私を押しつぶす。
でもかろうじて頷き答えた。
「うん、今は充実した毎日を送ってるよ」
信也は黙り込んだ。気まずい雰囲気に耐えられなくなりそうだ。彼はポツリと小さな声を漏らした。
「急に仕事もやめたから、驚いた」
ちょっと恨みを込めた視線を彼に送る。が、信也の悲しそうな顔を見て、何も言えなかった。本当は怒ってやりたかった、一体誰にどんな話をしたの? まともに仕事をこなせないほど嫌がらせを受けたんですけど。
でも、その顔を見るにきっと信也はそれを知らないんだろう。どこでどうなったかは分からないが、過去のことをグダグダ言いたくなかった。というより、慎ましいながらも平穏に過ごしているこの毎日を、揺るがしたくなかったのだ。彼はただの依頼人、そう接するのが一番だと思っている。
「まあ、ちょっと」
「連絡もつかないし、アパートも越してたし、どこに行ったんだろうって」
「私に連絡したかったの?」
あんな仕打ちをしたくせに、なぜ? そういう意味を込めて強めに言うと、信也はまた黙り込んだ。私は視線を逸らす。
結婚しよう、と言ってくれた彼はどこにもいない。あの時の愛情は枯渇した。遠い昔のようで、でも昨日のように思い出せるのに。
聡美と別れた理由を尋ねようとして口を閉じる。仲がいい姉妹でもないのに、そんな事を聞いてどうするというのだ。
「信也も、聡美も信じてないと思うけど、うちはちゃんとした事務所だよ。私はこの仕事を誇りに思ってやってる。いい人たちに囲まれてるし、それなりに幸せなの」
私はキッパリと言い切った。これは見栄でもなんでもなく、本当のこと。一度は死んでしまいたいくらい落ちたけど、今は本当に幸せにやってる。
信也はこちらをじっと見て、意を決したように口を開いた。
「光、俺」
「光さん、お待たせしました。いきましょうか」
その言葉に被せるように九条さんの声がした。信也の背後から彼が現れる。私はほっとして頷いた。九条さんはじっとこちらを見つめている。
「はい、行きましょう。あ、スマホだけ持って、っと。大丈夫です」
「では、原さん。我々は外に出て調べますので」
信也は何も言わずに頷いた。私は彼を通り過ぎ、九条さんの隣へと急ぐ。そのまま信也の方を振り返ることなく、玄関へと歩いた。
扉を開けると寒さがぐっと厳しい。外はすっかり暗くなっていた。信也の部屋から出たことで、なんだか肩の力が抜けてほっとする。
「すみません、二人にして」
「え?」
突然九条さんが謝ってきたので隣を見上げた。彼は頬を掻きながら言う。
「気まずかったでしょう」
「い、いえ! そんな、トイレに行く時間ぐらい大丈夫ですよ! それに九条さんがそんなことを気遣ってくれるのがびっくりです」
「まあ、ここに来る前に伊藤さんに『なるべく二人にさせないよう気をつけて』と言われたんです」
「なるほど……さすがの……」
さすがの伊藤さんだ。気遣いすごい。でも、それを覚えて忠実に守ってる九条さんも素直で優しいなと思ってしまったり。
私の顔を覗き込む。
「何か言われましたか」
「……いいえ。世間話です。元気そうだね、って」
「そうですか。言いましたがあなたが嫌だと思ったら調査終了ですよ。すぐに言ってください」
「大丈夫です。ありがとうございます」
私は微笑んで返事をした。伊藤さんと九条さんの優しさが、この寒い冬すら暖かくしてくれそうだと思った。
しばらくマンション内を歩き回っていた。
時々住民の人と会ったので、ここに住んでいるふりをして尋ねた。『さっき地震あったように思ったんですが、感じました?』と。
相手は首を振って不思議そうにした。信也よりさらに鈍感タイプなのか、あの怪奇は限られた部屋にだけ起こるのか。
無駄にエレベーターに乗ったり階段を降りたりしながら、何度もマンション内を行ったり来たりした。エントランス周辺の観察を終え、また上にあがろうとエレベーターを呼び出しながら私は言う。
「九条さん」
「はい」
「これ、私たち通報されませんかね? このマンションに監視カメラあったらどうしよう」
「エントランスにありましたね」
「げ!」
「まあ、その時はその時です。原さんに説明してもらえばいいでしょう」
のほほんと言ってるけど、こんなにマンション内を徘徊してる人間なんて住民からみたら不安要素でしかないのに! 大事になったらどうしよう、とげんなりする。
ちょうどやってきたエレベーターに乗り込む。他に人はおらず、私と九条さん二人きりだ。とりあえず一番上の階のボタンを押してみる。
「はあ……警察のお世話になったらどうしよう」
「今まで言ってませんでしたが実は何度かそう言ったことがありました」
「げげ!」
「大丈夫です、ちゃんと事情を話して伊藤さんに迎えにきて貰えば注意だけで帰れます」
(大丈夫って言っていいのかそれは?)
呆れながら目の前の『閉』ボタンを押した。警察の人からみても怪しいだろうになあ、心霊調査してます、だなんて。実は目をつけられてたりして。
そう考えながら扉が閉まるのを待っていると、一向にそれが動かないことに気がついた。
「?」
私は再び『閉』ボタンを押す。しっかり点滅するが、やはり目の前のドアはまるで動かない。
「あれ、なんだろう不具合かな?」
私はボタンを連打してみる。それでもびくともしない扉に首を傾げた時、私の手首を九条さんが掴んだ。少しひんやりしたその温度に心が跳ねる。
「光さん」
27
お気に入りに追加
546
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
赤い部屋
山根利広
ホラー
YouTubeの動画広告の中に、「決してスキップしてはいけない」広告があるという。
真っ赤な背景に「あなたは好きですか?」と書かれたその広告をスキップすると、死ぬと言われている。
東京都内のある高校でも、「赤い部屋」の噂がひとり歩きしていた。
そんな中、2年生の天根凛花は「赤い部屋」の内容が自分のみた夢の内容そっくりであることに気づく。
が、クラスメイトの黒河内莉子は、噂話を一蹴し、誰かの作り話だと言う。
だが、「呪い」は実在した。
「赤い部屋」の手によって残酷な死に方をする犠牲者が、続々現れる。
凛花と莉子は、死の連鎖に歯止めをかけるため、「解決策」を見出そうとする。
そんな中、凛花のスマートフォンにも「あなたは好きですか?」という広告が表示されてしまう。
「赤い部屋」から逃れる方法はあるのか?
誰がこの「呪い」を生み出したのか?
そして彼らはなぜ、呪われたのか?
徐々に明かされる「赤い部屋」の真相。
その先にふたりが見たものは——。
【⁉】意味がわかると怖い話【解説あり】
絢郷水沙
ホラー
普通に読めばそうでもないけど、よく考えてみたらゾクッとする、そんな怖い話です。基本1ページ完結。
下にスクロールするとヒントと解説があります。何が怖いのか、ぜひ推理しながら読み進めてみてください。
※全話オリジナル作品です。

【完結】兄の事を皆が期待していたので僕は離れます
まりぃべる
ファンタジー
一つ年上の兄は、国の為にと言われて意気揚々と村を離れた。お伽話にある、奇跡の聖人だと幼き頃より誰からも言われていた為、それは必然だと。
貧しい村で育った弟は、小さな頃より家の事を兄の分までせねばならず、兄は素晴らしい人物で対して自分は凡人であると思い込まされ、自分は必要ないのだからと弟は村を離れる事にした。
そんな弟が、自分を必要としてくれる人に会い、幸せを掴むお話。
☆まりぃべるの世界観です。緩い設定で、現実世界とは違う部分も多々ありますがそこをあえて楽しんでいただけると幸いです。
☆現実世界にも同じような名前、地名、言葉などがありますが、関係ありません。

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?
冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。
オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。
だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。
その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・
「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」
「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」
後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~
菱沼あゆ
キャラ文芸
突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。
洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。
天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。
洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。
中華後宮ラブコメディ。
【完結】『霧原村』~少女達の遊戯が幽の地に潜む怪異を招く~
潮ノ海月
ホラー
五月の中旬、昼休中に清水莉子と幸村葵が『こっくりさん』で遊び始めた。俺、月森和也、野風雄二、転校生の神代渉の三人が雑談していると、女子達のキャーという悲鳴が。その翌日から莉子は休み続け、学校中に『こっくりさん』の呪いや祟りの噂が広まる。そのことで和也、斉藤凪紗、雄二、葵、渉の五人が莉子の家を訪れると、彼女の母親は憔悴し、私室いた莉子は憑依された姿になっていた。莉子の家から葵を送り届け、暗い路地を歩く渉は不気味な怪異に遭遇する。それから恐怖の怪奇現象が頻発し、ついに女子達が犠牲に。そして怪異に翻弄されながらも、和也と渉の二人は一つの仮説を立て、思ってもみない結末へ導かれていく。【2025/3/11 完結】
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
このユーザをミュートしますか?
※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。