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家族の一員

本物は

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「…………あ、の」

 私が小さな声を漏らした瞬間、伊藤さんと九条さんが一気に息を吐き出した。

「いやだなあ光ちゃん夢だなんて面白いこというんだからそんなわけないよちゃんとこれは現実で光ちゃんの生きてる世界に間違いないんだよどうしてそんなこというのなんか変だよ光ちゃん」

「きっと疲れているんですねそうに違いないですここ最近色々ありましたから疲労が溜まっているんでしょうね今日はもうこのまま寝ましょうかきっとじっくり眠ったなら朝になればいつも通りのあなたに戻っているはずですそうしましょう」

 まるで壊れた機械のように喋り続ける二人の声が耳をこじ開けるように聞こえてくる。一気に恐怖の海へ投げ込まれた私は、反射的に目を瞑って耳も塞いだ。

 入られてる。私、入られてる!

 これは現実じゃない。二人とも本物じゃない。返してほしい、私を元いた世界に返して!

 必死に耳を抑えてもうっすら二人の声が聞こえてくる。息継ぎもしないようにベラベラ喋り続けるその声はいつのまにか知らない人の声に変わっていた。

 さめろ、さめろ、さめろ、さめるんだ!!

「どっか行け!!!」





 声の限りそう叫んだ瞬間、自分の体が誰かに揺さぶられているのを感じた。ガクガクと頭が揺れる衝撃に気づき、反射的に目を開ける。

「光さん?」

 目の前にいたのは、九条さんだった。

「……く、九条さん」

「どうしました。うなされているようでしたよ」

 ぽかんとして見てみると、九条さんの隣には伊藤さんが心配そうにしてこちらを見ている。私は二人を見比べて、はあーと脱力する。とりあえず必死に酸素を吸った。

 見れば、隣にはイヤホンがついたままのスマホ。私はソファの上に横になっていた。ゆっくり起き上がってみると、見慣れた九条さんの部屋だった。やや頭がふらふらする。

「どうしたんですか、顔色も悪いです」

 眉を顰めて九条さんが言う。私は頭を抱えて言った。

「入られたのか、何なのか……とりあえずその人形が原因であることは間違いないと思うんですけど」

 私はテーブルの上を見てみる。赤い着物を着た人形が微笑んだまま私を見つめていた。ゾッと寒気がして視線を逸らす。

「僕水持ってくるね」

「あ、ありがとうございます」

 伊藤さんが気を利かせて冷蔵庫に向かう。それを見送りながら、頭にずきんと痛みが走り顔を歪めた。

 頭を抱えると、九条さんがこちらを覗き込んでくる。

「どうしました、体調が?」

「少し頭痛が……。でも大丈夫です、痛み止め持ってるので飲もうかな」

 小声でそう言った時、伊藤さんが戻ってくる。手にはペットボトルの水を持っていた。私は素直に受け取る。

「ありがとうございます……」

「大丈夫? 顔色悪いね」

「心配かけてすみません」

「全然。大変だよね、でもいくらでも頼っていいんだから」

 優しい言葉にお礼を返す。伊藤さんも九条さんも私を見守るように見ながらこちらを覗き込んでいる。私は冷たいを水を喉に流し込み、その刺激に頭が冴えるような気がした。

 ふうと一息ついて、二人を見上げる。

「この前は偽物の伊藤さんでしたが……今日は九条さんも出てきて。混乱して、怖くてたまらなかったんです」

 ぱっと見いつもと変わらない光景だった。足をぶつけた痛みも現実と変わらなかったし、二人だって外見はおかしいところ何もなかった。気づけたのは運がよかったかもしれない。

 再び強い頭痛に襲われ頭を抱えた。痛み止めを飲もうか、とそばに置いてあるはずのカバンに手を伸ばす。

 するとそんな私を気遣ったのか、誰かが私にカバンを手渡してくれた。ふと目を開けると、小さな手が私のカバンを握っている。

「はい、どうぞ」

 その手の先に視線を移す。心配そうに、でも笑顔でこちらを見つめてくる少女がいた。綺麗な黒髪と瞳が私を捉えている。しばらくじっとその顔を見つめた。

「ああ、ありがとう」

 私は笑顔でお礼を言った。一重瞼の女の子だ。頬がふっくらして、揃えられた前髪が可愛らしい。私がカバンを漁っていると彼女が舌足らずな声で話しかけてきた。

「何探してるの?」

「薬探してるの、頭痛いから飲もうかなって」

「そっか、出してあげるよ」

「いいの? ありがとう」

 私は素直に彼女にカバンを預けた。短い腕を必死に伸ばして中を漁っている。微笑ましくそれを見ていると、そばにいた九条さんが言う。

「出せますか、手伝いましょうか」

「うーんこれかなあ」

「それは財布ですね」

「これ?」

「ああ、それではないですか。渡してあげてください」

 小さな手はちゃんと薬を出してくれた。私は微笑んで受け取り早速口に入れる。水で流し込むと同時に笑みがこぼれ落ちた。それを見た伊藤さんが不思議そうに私に尋ねてくる。

「どうしたの?」

「いえ、九条さんって子供相手苦手なのに、怖がられなくてよかったなあって」

「あはは! そうだよね、九条さんってどうも無表情で顔怖いから、初対面の子供とかびっくりしちゃうよねー」

「伊藤さんは何もしなくても子供に好かれるスーパー人間ですけどね!」

「そんなんじゃないよー」

 彼と笑い合うと、再び頭痛が襲ってきて目を瞑った。薬は飲んだばかりだ、しばらくすれば効いてくるはず。もう少しの我慢だ。

 そう思っている私の手を、優しい力で握ってくる存在に気がついた。心配そうにこちらを見てくる女の子。

「大丈夫? お姉ちゃん」

「ありがとう、大丈夫だよ」

「よかったあ」

 可愛らしい笑顔にこちらも頬を緩めながら、その手を握り返した。自分よりずっと小さなそれにどこか懐かしさを感じる。昔は仲がよかった妹と手を繋いで歩いたな、なんて。今はもうどこで何をしているのか分からない家族を思い出す。そんな私に気づいたのか伊藤さんが言った。

「どうしたの光ちゃん、なんか嬉しそうに」

「いえ。妹を思い出していました。もう随分あってませんけど」

 そう私が言った瞬間、突然握っていた手が氷のように冷たく変化した。驚きで反射的に手を離す。前を向いてみると、ひっと声を漏らした。

 可愛らしかった少女の面影がなかった。健康的だった肌色は灰色に変色し目が窪んで真っ黒だった。水分のない髪を振り乱しながら彼女はずいっと私に顔を寄せた。思わずのけぞる。

「どうして他の家族思い出してるの?」

「……え」

「お姉ちゃんは私の家族なんだよ。どうして他のこと考えてるの。他の人なんかいらないじゃない、ずっと私と居ればいいんだよ。ずっとずっとずっとずっとずっと私と居ればいいんだよ」

 そういった少女の隣に九条さんと伊藤さんがしゃがみ込む。三人は瞬きもせずじっと私を見つめた。その圧迫感と恐ろしさに体を強ばらせる。

 なんだろう、なんだっけ、何かが変だよ。でもよくわからない、何が変なのかもう自分でも分からない。

 ぐるぐると頭が混乱する。変だ、いや変じゃないかも。何か忘れてる? いやそんなことない、忘れてないよ。大丈夫、私は大丈夫だ。

 それでも違和感が消えない。自分の心の中にポッカリ穴が空いて何も埋まっていないようだった。気持ち悪くてたまらない、この変な感じはなんだっけ。私どうなっているの?

 三人の顔をゆっくり見るけれど私の知っている人たちだった。そう、私の大切な人たちだ。何を疑ってるんだろう、三人とも私を心配してくれている。ちゃんと笑って答えなきゃ。

 そう考えた時、突然頭の中で声が響いた。高い女の人の声だった。得意げに、それでいて凛としたしっかりした声だった。


『とにかく少しでも状況がおかしいと思ったら落ち着いて一旦冷静になる。脈がないと思ったらそれは夢の中と一緒。さめろと自分を言い聞かせるしかないわね』


 誰だっけ、誰の言葉だっけ。知らない人の知らない言葉だ。それでもその声は私の全てのように感じた。この違和感だらけの世界の中で唯一真実を語っているように思える。
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