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聞こえない声

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 九条さんが話の続きを話す。

「と、いう事情をあの日、私と伊藤さんで聞いたわけです。そこでようやく私は今まで感じていた違和感の答えにも気づき、菊池正樹がとんでもない輩だと分かったわけです」

「で、私に電話をくれたってわけですか」

「残念ながら遅かったのですが」

 やや悔しそうに九条さんが呟いた。あの日のことを思い出す。丁度九条さんから電話をもらったとき、もう私は菊池さんを招き入れ告白を断ったあとだった。逆上した彼に気を失わされ運び出された、というわけだ。

 私が言葉を発する前に、九条さんが説明を続ける。

「電話で光さんに何かあったのは明白でした。私も伊藤さんも戸惑い正直パニック状態でした。警察に電話し私たちもすぐに事務所へ戻りましたが、案の定あなた方の姿はもうなかった」

「すれ違いだったんでしょうね……」

 九条さんは思い出すようにやや険しい表情で前を向き話す。普段より声も僅かに低いように感じた。

「常識的に考えて菊池正樹が普段住んでるアパートに連れ帰ってる可能性は低い。ではどこに連れて行かれたのか。なんの手がかりもなくただ焦りで混乱しているところに、二つの存在が現れました」

「……え?」

 九条さんがゆっくりとこちらを向く。綺麗なガラス玉のような瞳が揺れた。

「首なしと大福です」

「…………」

「首なしは無言で立ったまま、ある方向を指さしていた。もしやと思いそちらに足を運んでみると、今度は勢いよく大福が走り出したのです。もうそれしか信じるものがない我々は、大福のあとを追ってあの場所にたどり着いたんです」

「大福と、弥生さんが……?」

 不思議に思っていた。菊池さんが普段住んでいるのとは違ったアパートに九条さんたちが時間もかからずにたどり着けたことが。だがようやく答えがわかった。

 弥生さんと大福に、私は生かされたのか……。

 付け加えるように九条さんが言った。

「それに菊池も言っていましたが、玄関の鍵は掛けたはずと。でも私たちが到着したとき鍵は開いていました。掛け忘れたと結論づけるのは簡単ですが、私はそれよりももっと不思議な力が関わっていたと考える方が納得がいきます」

 ようやく事件の全容を知り、一つだけ長い息を吐いた。

 全てを理解した。たった一人の頭の狂った男に振り回されただけの調査。嘘にまみれ、嘘を重ねたあの人は一体なぜあんなふうになったんだろう。

 菊池さんの嘘さえなければなんて簡単なこと。弥生さんは自分を殺した人物、そして自分の首が保管されている場所に愛犬と共に現れていただけ。

「……弥生さんは、私に警告してくれてたんでしょうね……」

 私の部屋や事務所に出てきたのはてっきり、調査が進まないことに対する催促かと思っていた。でも今思えば違う、彼女はただ菊池さんに気をつけてと言いたかったのだ。そして私の命も助けてくれた。

 声が出ないので中々伝わらなかった。首のない姿で必死に訴えてくれていたのに。

 私の囁きをきき、目の前に座る須藤さんがとうとうポロポロと涙を溢れさせた。それは次から次へと頬をつたいそのまま膝へと零れ落ちる。肩を震わせ、須藤さんは嗚咽を漏らす。

「どうして、お姉ちゃんがあんなことに……! 私、これで、とうとう一人ぼっちになってしまったっ……。しかも、死んだ後も首を切られるだなんて、そんなこと。何をしたって言うの? お姉ちゃんは私のたった一人の家族だったのに……!」

 あまりに悲しい響きだけが事務所に籠る。私たちは何も言えず彼女を見つめた。小さな体を震わせながら涙するこの人を励ます言葉なんて、今はこの世のどこにも存在しない。

 なんの罪もないのに大切な人を奪われた悲しみは、どう努力しても第三者がすぐに癒せるわけがない。

 どんどんこぼれ落ちる涙を眺めながら、私は小さく言った。

「須藤さん。ご存じかもしれませんが、私は霊の姿を見ることができます、時にはその霊の思考を読み取ることも」

「は、はい……」

「お姉さまはお話ができない状態でしたが、それでも弥生さんの気持ちは感じ取れました。
 菊池さんへの恨みや怒りより、ただ大事な人の元へ帰りたい……その気持ちが弥生さんの全てでした」

 須藤さんの涙が一瞬止まる。真っ赤になった鼻もそのままに、私を見た。

 ゆっくり微笑んでみせる。

「あなたですよね、須藤さん。妹であるあなたの元に帰りたいって、ずっとずっと願っていたみたいです」

 一度だけ入られたとき、首を切られる瞬間の気持ちがシンクロした。たった一人の大事な人にもう一度だけ会いたい、そんな心で弥生さんはいっぱいだった。

 間違いなくその相手は須藤さんだ。一緒に暮らしてきた大事な妹、きっと彼女に会いたくて仕方なかったんだ。

 止まった涙は再び溢れ出し、彼女は大きな声を出して泣いた。

 私たちはそのまま見守った。

 そうか、弥生さんは妹である須藤さんをあんなに大事に思っていたのか。きっと想像以上の絆が二人の間にはある。それを引き裂いたあの男には怒りを通り越えて言葉にできない感情が沸き出るが、もはやぶつけることもできない。

 弥生さんは亡くなってしまった。須藤さんにとってはそれが全て。

 耐え難い苦しみで私には想像もつかない。病気などとはまた違う、誰かに奪われたという真実。

 そのまま誰も言葉を発することなく彼女の泣き声だけが響いてる中、ふと気がつくと九条さんがある一点を見つめていた。事務所の出入り口のようだった。

 私は釣られてそちらへ視線を向ける。その瞬間どきりと自分の心臓が鳴った。

 長い黒髪の女性が立っていた。紺色のワンピースに白い肌、大人しそうな垂れ目に目元のホクロが印象的だった。優しく微笑んだ女性は、腕にふわふわのポメラニアンを抱いていた。白い犬は舌を出して笑っているようにしてこちらを見ている。

「 ! 」

 彼女はゆっくりこちらに足音もなく歩み寄ってくる。未だ泣いている須藤さんの隣に立った。温かい目でじっと須藤さんを見ている。そして幸せそうに笑うと、その目から一つだけ涙をこぼした。

 私は言葉もなく、その人に見入っていた。とても美しい人だと思った。美人だとかそういう言葉ではなく、優しさが詰まっているような包容力のある人だ。首のない状態では恐怖心があったが、こうしてみれば敵意も悪意も何もない、優しい霊だった。

 泣いた弥生さんの頬を、大福がぺろりと舐めて涙を拭き取った。弥生さんはくすぐったそうに笑う。そして私たちの方に向き直った。

 彼女は私たち三人の顔をしっかり順に見ていくと、ゆっくりと頭を下げた。ありがとうございます、と言っているようだった。私の目からも涙がこぼれたがそのままに必死に答える。

 お礼を言うのはこっちです、助けてくれてありがとう。私の命があるのは弥生さんのおかげです。

 あなたがいてくれなければきっと私はこの世にいない。散々警告してくれたのに気づけなくてごめんなさい、どうか安らかに。

 顔をあげた弥生さんは笑った。そして最後に今一度泣いている須藤さんを見、その頭に片手を置いた。ふわりと頭を撫でるように腕を動かしながら、彼女は大福と共に消えた。

 温かな空気が残っている気がした。優しさと愛しさでできた空気。


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