視えるのに祓えない~九条尚久の心霊調査ファイル~

橘しづき

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聞こえない声

無言の訴え

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 タオルケットがパサっと音を立ててベッドの下に落ちたのを感じた。私の鼻からは規則的な寝息が続いている。

 そんな私の足首を、誰かが両手で掴んだ。ひんやりとした手で、その冷たさには驚きで飛び上がってもおかしくないはずなのに私はそれでも眠っていた。強い力で足首に力が入れられる。痛みを感じるほどの強さだった。

 そしてそのまま、思い切り足を引っ張られた。ぐんと体が動き頭が枕から離れる。だが驚くこともなく、心の中で冷静に「誰かが引っ張ってるな」と思った。

 ぐいぐいと力は増し、私は抵抗することもなくそれを受け入れた。ついに自分の体全てがベッドからどしんと落下する。力の入っていない頭部はかなり強く打ったが、不思議と痛みは感じなかった。未だ足首は握られている。

 ひんやりとした床を背中に感じた。そしてそのまま、ズルズルと私は足から引きずられていくのだ。着ているパジャマの背中側がめくり上がったのを感じる。フローリングの溝が背部の皮膚から伝わってきた。

 そのまま誰のものか分からない手は私を引きずり続ける。全く抵抗もしないまま、私はそれを素直に受け入れた。目を開けることもなく、暴れることもなく、人形のようにただ黙っていた。

 狭いワンルームから連れ出され、あるところで体がぐいっと方向転換した。狭い場所を無理矢理通るように何度か体を捻られる。そして次に、背中に感じていたフローリングの材質が変わったことに気がついた。

 あ、浴室だ。冷静にそう思う。

 さらに冷たい床を背中から感じながら、私はなぜ起きないんだろう、と疑問に思った。足を引っ張られ、体のあちこちを傷つけながら移動させられているのに痛みも感じずまるで目は開かない。叫び出して暴れればいいのに。

 狭い浴室に仰向けに寝かされた私は、近くにいる人が何やらごそごそと動いているのを感じる。そして、私の首に何かを当てられたことに気がつき、ようやく合点がいった。

 私、もう死んでるんだ。

 聞こえていたはずの寝息は今は何も聞こえない。痛覚もなにも感じない。何かギザギザした鋭利なものが首に当てられても逃げられない。

 ああ、私、もう死んでたのね。

 驚くこともしなかった。ただ、悲しかった。私の人生こんな終わりを迎えるだなんて夢にも思ってなかった。ただ、ただ大事な人のそばにいたかった。

 とても大切な人。心の底から大事で、世界で一番私を愛してくれた人。

 別れも告げられずさよならなんて、あんまりだ。せめて一目でも、もう一度あなたに会いたかった。

 ぐっと首に圧迫感を感じる。そしてすごい力で当てられたギザギザが私の首の上を行ったり来たりするのを感じた。あまり勢いよくない血が首から出てきたのがわかる。痛みはない、ただ不思議なことに相手の動きを感じられるのはなぜなんだろう。

 ぐっぐっぐとどんどん刃物が私に食い込んでいく。叫ぶ声も失くした私は、ただただその衝撃を受け入れるしか術はなかった。






 声にならない悲鳴をあげた。

 耳に入ってきたのは苦しそうな自分の息、シーツが擦れる音。目の前はチカチカ光っていた。この部屋は暗闇だというのに、だ。

 自分の首があるということを確認するように、何度も何度も酸素を必死に吸い込んでは吐いた。ぶるぶると震える手を動かして喉に触れてみる。当然ながら確かに私の首は繋がっていたし、血が出ていることもない。

 それでも安心しきれず何度も何度も触って確認した。皮膚に当てられたノコギリみたいな、ギザギザの刃物の感触が忘れられない。手のひらにはぐっしょり汗がついた。

……夢? 夢なの今のは? いや違う、今のは

 はっとする。足元に何か気配を感じたのだ。

 慌てて上半身を起こす。そこで目に入ったのは、想像通りの景色だった。

 紺色のワンピースに血で汚れた首元。そこから上は何もなく、後ろにある私の部屋の壁が見えた。

 彼女は黙ってただ足元に立っていた。無論言葉を発することもなく、感情も何も分からない。私は怖さで震えながらも必死に声を出した。

「怒ってる、の? せっかくヒントをくれたのに、調査が進んでないから?」

 聞こえない声、届かない声。返事のない質問が部屋の壁に当たって返る。

 恐ろしさと同時に悲しみも襲ってくる。あんな思いをしてこの世と別れなければならなかった。そうか、この人は犯人に怒りを抱くというより、ただ愛しい人のことだけを考えて死んだんだ。

「大事な人がいるんですね……その人に会いたいの?」

 やっぱり返事はない。

 切なかった。苦しかった。私には、その気持ちがわかる。

 このままだったらこの人は強制的に除霊させられる。それはあんまりだ、だってこの人は何も悪くない。大切な人と引き離されて無惨に殺されれば、こんなふうに出てきてもしょうがないことなのに。

 なんとかしたい。どうにかして助けたいのに……声が聞こえないということは、これほど難しいことなんだ。

 じんわりと目に涙が出てくる。私は両手で顔を覆いながら言った。

「頑張ります。あなたが誰なのか突き止められるように頑張るから……」

 きっとこの人は私を怖がらせたいだけじゃない、と根拠はないけど確信していた。ただ、自分の思いを伝えたいだけだ。誰にぶつけることもできない無念を私に伝えたいだけ。

「Y.Sさん。私たちもう少し頑張るから、どうかもう少しヒントを」

 懇願するように言いかけたとき、彼女は音もなく消えた。自分の見慣れた部屋だけが残っている。いくら見渡しても、首なしはもうどこにも残っていなかった。

 暗闇の中一人残され、またしても私は自分の首をそっと触れた。繋がってる。あの生々しい感触を思い出しうっと吐き気を催した。

 痛みは伴わない不思議な感触。体験したことのない圧迫感。もしかして、あの女の人は死んだあとああやって自分の首が切断される感触を体験していたのだろうか。だとしたら最悪に残酷だ。

 でもあの人は恨みより悲しみが強い。大事な人を思いうかべてそれだけを考えていた。きっとあの人が言いたいのは……

「もう寝れないよ」

 小声で弱音を吐いた。

 膝を抱えて顔を埋める。なんとも表現できぬ辛い気持ちに押しつぶされそうになりながら深呼吸した。

 ああ。ついに、自分の部屋にまで連れてきてしまった。

 これまでどんな現場に行っても自分の部屋で何かを体験することはなかったというのに、こうなれば自室でゆっくりもできなくなってしまう。

 げっそりした顔で、そのまま朝を迎えるしかなかった。


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