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聞こえない声

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「光さん、大丈夫ですか」

「は、はい、ちょっと耳鳴りが」

「いいですか。いつにも増して気を張ってください。入られないように。
 あんな輩たちに入られたら狂いますよ」

 そう九条さんが厳しい声で言ったのを聞いてはっとする。ずっと見ていた前方方向には何もない。私は恐る恐る、後ろを振り返った。

 さっき通った時にはいなかったはずの人たちがいた。暗いトンネルの中に横並びで一列に並んでいる。光が入らない場所だと言うのに、彼らの姿や表情がはっきりと見えた。

 やや時代を感じさせる古い服装に思えた。老若男女、多くの人たちが無表情でじっと私たちを見ている。でもその身に纏うオーラは、敵意と怒りを感じた。

「く、九条さ」

「数が多いですね。そして、どんどん増えている」

 私は再び前を向く。その瞬間自分の口からひっと声が漏れた。

 進行方向に、まるで私たちの車を覗き込むようにしてこちらをみる人たちがいる。彼らは何かを言うわけでもなく、ただ隅の方に立って私と九条さんを見つめ続けている。

 これは、本物だ。

 私はぐっと冷静さを努めて、とにかくネガティブなことを考えないようにした。今は隣に九条さんがいるんだから大丈夫。一人じゃない。帰りにサービスエリアでソフトクリーム奢ってもらおう!

 霊が集まりやすい場所、というところは多くある。賑やかな学校や水辺。ただそれでも、これほどの数の霊を集めている場所は珍しい。私は震える手を必死に押さえ込む。

「スピードを上げます。これはあまりよろしくない」

 そう九条さんは言うと、ぐっとスピードを上げた。私は車のシートに背中を貼り付けて固まっている。それでも、せめて私はしっかり周りを見なくてはと思い必死に目を動かした。例えば、首だけが落ちているとか。そう、今回は首無しの霊の正体が知りたくてきたんだから……!

「いけない!」

 そう隣から声がした。驚いたと同時に、車が突然急ブレーキをかける。車体が大きく揺れ、そのせいで前のめりになった体を、シートベルトが抑えてくれた。

 出口はもう間も無くだった。明るい日差しがすぐそばまで見えている。

 突然車が停止した衝撃に一瞬何がなんだかわからず、唖然としながら隣を見た。

「くじょうさ」

 言いかけて止まる。

 彼はまっすぐ前をみていた。慌てるとか、パニックになっている様子もない。ただ、非常に怖い顔をしているのが私にはわかった。

 声をかけれない。私はじっと彼の横顔を見た後、少しだけ視線をおろした。

 黒いハンドルを握る九条さんの両手が見える。しかし、そこにもう二本、小さな白い手が見えた。

 ゆっくりと更に視線を落とす。九条さんが履いている黒いパンツの間に、白い顔が見えた。

 子供だった。

 四、五歳ほどの男の子がじっと九条さんを見上げながら、腕を上に伸ばしハンドルを握りしめているのだ。無表情な顔は痩せこけ、唇は乾いて割れていた。私はただ呆然とその霊を見つめるしかできない。

「離しなさい」

 九条さんが声を出す。まっすぐフロントガラスを見たままだ。いつもより低く、強い口調だった。

「ここで我々を仲間にしても何もいいことはない。気持ちよく眠ってみたいなら協力しましょう。今すぐその手を離しなさい。そうしないと」

 九条さんが一息おく。そしてようやくゆっくり自分の足元を見た。

「消す」

 低い声を聞いて、少年は無言で九条さんを見上げた。

 しばらく二人が見つめ合い続ける。そして数秒か、いや数分か経った頃、子供は静かにハンドルから手を離した。そしてそのまま無言で消えていく。

 九条さんはそのまま何も言わずまたアクセルを踏んだ。一気に加速し、トンネルを出て光を浴びたのである。




 明るい太陽の下に出られた後、車をすぐに寄せて一度止めた。私は脱力からがくりと頭を垂らす。九条さんも珍しく息を吐いて上を見上げた。

 とんでもなかった。これは本物の心霊スポットだ。一歩間違えれば死人が出るほどの。

 あれだけたくさんの人がここに居座っているなんて、二度と近寄りたくないと思った。私はぐっしょりかいた額の汗を拭う。

「とん、とんでもなかったですね……」

 私が言うと、九条さんがゆっくり頭を戻す。ホルダーに置いてあった水を掴み、一気に飲み干した。

「徒歩だと確実に引き摺り込まれてましたね。まあ車でも危なかったですが」

「ハンドル、握ってましたね……」

「あのままハンドル操作を失敗させて私たちを引きずり込むつもりだったんでしょうね。悪意ある霊が集まると厄介です」

「九条さん、ああやって追い払うこともあるんですね、初めて見ました」

「霊に近づかれた時は、下手に出ないのが一番です。こちらの方が強いのだとハッタリでもかましておかないと調子に乗りますからね。さっきはうまく引き下がってくれてよかったです」

「なるほど」

「ですがまた通るのは危険です、帰りはもう通らず迂回しましょう」

「賛成です」

「このままに置いておくのも危険が大きい。知り合いの除霊師に頼みましょう。浄霊なんてできるわけないですからね」

 彼は次にポッキーを取り出して齧り出す。もう飽き飽きしていたその甘味がひどく欲しくなって、私は珍しく自分から一本もらった。慣れた味が恋しくてたまらない。
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