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オフィスに潜む狂気
やりきれなさ
しおりを挟む調査が終わった後、しばらく休みを挟んでいた私たちだが、久しぶりに出勤となり朝事務所へ向かっていた。
悲しい終わりを遂げた調査に、未だ心は沈んでいた。最後の消えいく拓郎さんの表情があんまりに悲しくて切なくて、自分の無力さを嘆いた。
暑い気温の中ぼんやりと歩いて事務所を目指す。
切り替えて次の調査を頑張るしかない、と分かっている。それでも、やっぱり沈んだ気持ちはそう簡単に戻ってきてはくれない。
はあとため息をつきながら足を進めていると、ふといつも通る公園が目に入った。真ん中に噴水がある綺麗な公園なのだが、早朝は人がほぼいない。そんな場所に、見覚えのある横顔を見つけた。
ベンチに腰掛けてぼんやりと空を見ている。足を止めてしばらくその光景を見ていたが、迷った挙句私も中へ入って声をかけた。
「伊藤さん」
私が呼ぶと、彼はこちらを向いた。そしていつもの人懐こい笑顔で笑いかけてくれる。
「あ、おはよー光ちゃん」
「どうしたんですか、こんなところで」
「ん? べつにぼーっとしてただけ。あ、もうこんな時間か、行かないとねー」
時計を見てそう呟いた彼を見て、私は悟る。そして立ち上がりかけた伊藤さんの隣にどしんと腰掛けた。少し驚いた顔をして伊藤さんが見てくる。
私は青い空を見上げながら言った。
「伊藤さん。確かに伊藤さんの明るさは事務所に必須のスーパースマイルですけど」
「なんかどんどん表現が大袈裟になってるよね」
「べつに落ち込んでる時は無理しなくっていいですよ! あんなことがあった直後なら元気がないのは当然です。……ていうか私もなんですけど」
いつもの笑顔より力無い感じが伝わってきた。やっぱり伊藤さんって、案外不器用なところあるんだな。早朝からこんなところで一人ぼうっとしてるなんて、普通に考えてかなり疲れちゃってるよ。
彼は目をまん丸にして私を見ていた伊藤さんは、少ししてかすかに笑った。そのまま再び空を観察するように見上げる。
「やっぱり光ちゃんって面白いね」
「ふ、普通ですよ……」
「ううん、面白い。めちゃくちゃ面白い女の子だね」
褒められてるのかからかわれてるのか? 私は追求しようとしてやめた。伊藤さんが穏やかな口調で話し出す。
「僕は前、あの職場にいたからさ。九条さんと会うことで辞めちゃったけど、もしそうじゃなかったらのぞみさんと一緒に働いていたかもしれないって思って」
「そう、ですね……」
「そう考えると、やっぱり複雑だよね」
いつも笑って明るい伊藤さんの切ない声は破壊力がすごい。私は何だか泣きそうになってしまった。死にたくて死んだわけじゃないのぞみさん、あんな最期はやっぱり悲しい。
「僕は光ちゃんが思ってるような聖人じゃないからさ、長谷川さんが怪我したこととかはあんまり気にしてないんだよね。てゆうかあっそう、くらい。まあ調査を受けた以上防げたらよかったのはわかってるんだけど」
サラリと言った言葉にちょっと驚いた。まあ、実は私も心の中ではそうだけどさ。でも口に出しちゃうなんて、しかも伊藤さんが。
驚く私を見て、彼は苦笑する。
「ね? 僕そんないい人じゃないでしょ?」
そう言ってくる頬の片方に、見慣れたエクボ。いつも見ていた伊藤さんの笑顔より少しだけ力無い笑み。なんだかひどくそれが切なく見えた。
「ただ、のぞみさんのお父さんが最後ああしたって知って。やるせない気持ちになったな、きっと本人も辛かったはずだから」
「それは……わかります」
「僕、こんな体質だけど霊に入られたのは初めてなんだよね。お父さんの気持ちがそのまんま伝わってきて本当に辛かった。のぞみさんを思う気持ちが本当に温かくて。子供がいない僕にはまだわかんないね」
「あ、そうか……」
私はのぞみさんに、伊藤さんは拓郎さんに入られた。きっと誰より拓郎さんの気持ちを理解しているのは伊藤さんなのだ。
伊藤さんはぼんやり上を見上げながらいう。
「安らかに、眠れてるといいんだけどなあ」
死後の世界は分からない。それはきっと今の私たちが知ることは一生ないのだ。のぞみさんが、拓郎さんが、今どうしているのかは絶対に知ることができない。
願うくらいしか、できることはない。
私も伊藤さんが見つめるように空を見上げる。青いそれがやけに胸を苦しくさせた。最後に見た拓郎さんの表情が蘇る。
「伊藤さんは、やっぱり優しいですよ」
私がポツリと呟くと、彼がこちらを見た。
「優しいって、別に誰にでも隔たりなく振り撒くことじゃないと思ってます。時々ブラックな伊藤さんもいいじゃないですか、それは優しくないわけじゃなくて人間らしいだけです。
こうしてのぞみさんや拓郎さんのことを悼む気持ちは、やっぱり伊藤さんの優しさからきてますよ」
私の言葉に彼は何も答えなかった。そのまま二人の間に沈黙が流れる。
やるせないこの気持ちと辛さを、それぞれ胸に抱きながらただ空を仰いでいた。
この気持ちいい青の上に、のぞみさんたちが笑ってるといいのになあ、と想像しながら。
「……ほんと、面白い子だね」
「何回めですか」
「言っておくけど最高に褒めてるよ、光ちゃんみたいな子初めて会った」
「私だって、九条さんほど変な人も、伊藤さんほどいい人も初めて会いましたよ」
私が言い返すと、彼は声をあげて笑った。公園に伊藤さんの笑い声だけが響く。
「ありがと。うちの事務所に来たのが光ちゃんでよかったよ」
「そ、そんな」
「さてもう行かなきゃね。仕事仕事」
伊藤さんは立ち上がって大きくのびをした。私もそれに続く。まだ依頼の予約が入ってるわけじゃないし、今日はゆっくりできる日かなあ……。
ぼんやり考えながら歩き出すと、伊藤さんが思い出したように言った。
「あ、そうだ。光ちゃんは鋭い人だから気づくと思うけど」
「はい?」
「きっと、九条さんも落ち込んでるだろうから。励ましてあげてね」
「え? 九条さんですか?」
私はキョトンとしてしまう。九条さんといえばエブリデイ能面人間だ。もちろん時々笑うし怒るし、慣れれば表情の変化はわかるけど、それでも落ち込んでる姿は見たことない。
私は正直に言った。
「まあ、きっと責任を感じたりはしてそうですけど……意外と責任感強いし。でもあの九条さんが周りに気づかれるほど落ち込んでる姿想像つかないんですけど」
例えば暗い顔してたり、ため息ばっかり漏らしてたり、もしくは向こうから弱音を吐いてくる? どれもかしこも全く想像できない。九条さんは今まで出会ってきた人の中で一番わかりにくい人なのだ。
でも伊藤さんは優しく笑った。
「まあ九条さんはわかりにくいけど。でも、光ちゃんは多分気づくと思うよ」
そう言って、事務所に向かって歩き出していく。私はとにかくその背中を追いかけるしかなかった。
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