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オフィスに潜む狂気
彼女しかみえないモノ
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「な。何を笑ってるんですか?」
「はーあ。別にいいわよ、まとまって上に訴えかければいいじゃない。でもいい? 大事なことを教えてあげる。仕事っていうのは結局結果を残せるかどうかなのよ」
長谷川さんは椅子から立ち上がった。背筋をピンと伸ばし、スーツの襟を正す。堂々とした佇まいで続ける。
「私が来てからここの成績はうなぎのぼり。それは会社もよく分かってる。別に他の支店にまわされたとしても、またそこで結果を出す自信がある。クビになったら? こんな大手で働いてた経歴があれば転職もそこそこ上手くできるわよ。そしたらまた私のやり方でやればいいだけのこと」
髪をかきあげる仕草が、これほど憎らしいと思ったことはない。私たちはただ目の前の人間を心底軽蔑しながら見つめる。
握ったままの拳が震える。自分の爪が手のひらに食い込んでしまうほどの力だった。つまりこの人は、「またどこかに移動しても同じようになってやる」と私たちに宣言しているのだ。
場所は問わない、仕事の成績さえ残せればそれでいいんだと。
頭が沸騰してしまいそう、という表現を今初めて理解できる。怒りでどうにかなってしまいそうだった。反省のかけらもない、最低な人間だ。
長谷川さんは高らかに言った。
「私は間違ってない。私が出した利益がみんなの給料にもなってる。
そもそも、弱い人間が悪い。誰だって辛いことがあっても乗り越えて強くなるのよ! 自殺するなんて自分の意志がないだけじゃない!」
頭の中が真っ白になった。もはや怒りを通り越えてしまったのかもしれない。体も力が抜けるような感覚になり、自分のものじゃないように感じた。
絶句。ただ私たちは絶句した。
どこに行ってもきっとこの人は変われない。人に優しくする気持ちや、思いやることは絶対にできない。誰かを追い詰めてでも営業成績を上げることしか頭にない。
私たちに止められる術はないというのだろうか。
震える唇から何か言ってやりたいと思うのに声すら出てこない。
唖然として声も出せない私たちを満足げに見据える。まるでダメージは受けていません、というように彼女がにっこり笑った。
だがその瞬間だった。
余裕綽々だった長谷川さんが突然、目をまん丸に見開いてどこか一点を見つめたのだ。信じられないものを見たように驚いている。
私たちは反射的に振り返ってその視線の先を見た。けれど、いたって普通の営業部があるだけで、長谷川さんが驚くようなものは何もない。
伊藤さんが声をかけた。
「長谷川さ」
「なに、なにあれ? ねえ、なに!!?」
突然高い声で長谷川さんが叫ぶ。悲鳴に近い声だった。彼女は少し上を見上げて指をさしている。それはわざとらしいほどに震えていた。
再び私たちは振り向いて指す方向を確認してみる。それでも何もみえない。
「え? あ、あれってなんですか?」
「あああ、あれ、あれよ、こ、こっちに来る、来る、なによあれみえないの!?」
ガタンと大きな音を立てて彼女が転んだ。それでも一点から目が離すことなく見上げ続けている。
何? 何が見ているの?
隣にいた九条さんと目が合うも、彼は小さく首を振った。私も頷く。私にも、九条さんにもみえていない。営業部の人たちも不思議そうに天井を見上げているだけだ。
長谷川さんにだけ見えている?
伊藤さんが慌てて彼女に近寄った。
「長谷川さん? 落ち着いて」
「いやあああ! こ、こないでよ!! こっちにこないで、あんたたち止めなさいよおお!!」
地べたに座り込んだまま長谷川さんが絶叫した。営業部がざわざわと騒ぎ出す。九条さんがすぐに長谷川さんの腕を掴んだ。
「長谷川さん!」
それを強い力で振り払った。いや、目の前に虫の大群がいてそれを払うかのように両手をブンブンと動き回している。だがやはりそこにも何もないのだ。ただ空虚を必死に拒否している。
「やめてこないで! 来る! 来る! 来る! 来る来る来る来る来る来る来る!」
おぼつかない足で彼女が立ち上がる。片方のヒールが脱げていた。体が大きくよろめいた拍子にデスクにぶつかり、置いてあった文具やパソコンも派手な音をたてて落下する。
ただごとではない。どうしたの、幻覚でもみているの?
とにかく彼女を止めなくてはと思い、私たちは長谷川さんを押さえつけにかかる。
「落ち着いて長谷川さん!」
彼女の腕をしっかり握ってそう言ってみるも、ものすごい力で突き飛ばされて驚く。もはや同じ女性とは思えない、信じられない力だった。私はそのまま床に倒れ込む。
「光ちゃん!」
伊藤さんが慌てて駆け寄ってくれる。ちらりとこちらを見た九条さんは、なんとか長谷川さんを落ち着かせようと試みているが一向に彼女が元に戻る様子が見られない。全身を使って暴れている。
唖然と豹変した長谷川さんを見上げる。彼女は次にそばに落ちていたものを無茶苦茶に投げ始めた。ボールペンから鞄、ファイルや書類、そしてついにはノートパソコンを思い切り投げつけている。
「はーあ。別にいいわよ、まとまって上に訴えかければいいじゃない。でもいい? 大事なことを教えてあげる。仕事っていうのは結局結果を残せるかどうかなのよ」
長谷川さんは椅子から立ち上がった。背筋をピンと伸ばし、スーツの襟を正す。堂々とした佇まいで続ける。
「私が来てからここの成績はうなぎのぼり。それは会社もよく分かってる。別に他の支店にまわされたとしても、またそこで結果を出す自信がある。クビになったら? こんな大手で働いてた経歴があれば転職もそこそこ上手くできるわよ。そしたらまた私のやり方でやればいいだけのこと」
髪をかきあげる仕草が、これほど憎らしいと思ったことはない。私たちはただ目の前の人間を心底軽蔑しながら見つめる。
握ったままの拳が震える。自分の爪が手のひらに食い込んでしまうほどの力だった。つまりこの人は、「またどこかに移動しても同じようになってやる」と私たちに宣言しているのだ。
場所は問わない、仕事の成績さえ残せればそれでいいんだと。
頭が沸騰してしまいそう、という表現を今初めて理解できる。怒りでどうにかなってしまいそうだった。反省のかけらもない、最低な人間だ。
長谷川さんは高らかに言った。
「私は間違ってない。私が出した利益がみんなの給料にもなってる。
そもそも、弱い人間が悪い。誰だって辛いことがあっても乗り越えて強くなるのよ! 自殺するなんて自分の意志がないだけじゃない!」
頭の中が真っ白になった。もはや怒りを通り越えてしまったのかもしれない。体も力が抜けるような感覚になり、自分のものじゃないように感じた。
絶句。ただ私たちは絶句した。
どこに行ってもきっとこの人は変われない。人に優しくする気持ちや、思いやることは絶対にできない。誰かを追い詰めてでも営業成績を上げることしか頭にない。
私たちに止められる術はないというのだろうか。
震える唇から何か言ってやりたいと思うのに声すら出てこない。
唖然として声も出せない私たちを満足げに見据える。まるでダメージは受けていません、というように彼女がにっこり笑った。
だがその瞬間だった。
余裕綽々だった長谷川さんが突然、目をまん丸に見開いてどこか一点を見つめたのだ。信じられないものを見たように驚いている。
私たちは反射的に振り返ってその視線の先を見た。けれど、いたって普通の営業部があるだけで、長谷川さんが驚くようなものは何もない。
伊藤さんが声をかけた。
「長谷川さ」
「なに、なにあれ? ねえ、なに!!?」
突然高い声で長谷川さんが叫ぶ。悲鳴に近い声だった。彼女は少し上を見上げて指をさしている。それはわざとらしいほどに震えていた。
再び私たちは振り向いて指す方向を確認してみる。それでも何もみえない。
「え? あ、あれってなんですか?」
「あああ、あれ、あれよ、こ、こっちに来る、来る、なによあれみえないの!?」
ガタンと大きな音を立てて彼女が転んだ。それでも一点から目が離すことなく見上げ続けている。
何? 何が見ているの?
隣にいた九条さんと目が合うも、彼は小さく首を振った。私も頷く。私にも、九条さんにもみえていない。営業部の人たちも不思議そうに天井を見上げているだけだ。
長谷川さんにだけ見えている?
伊藤さんが慌てて彼女に近寄った。
「長谷川さん? 落ち着いて」
「いやあああ! こ、こないでよ!! こっちにこないで、あんたたち止めなさいよおお!!」
地べたに座り込んだまま長谷川さんが絶叫した。営業部がざわざわと騒ぎ出す。九条さんがすぐに長谷川さんの腕を掴んだ。
「長谷川さん!」
それを強い力で振り払った。いや、目の前に虫の大群がいてそれを払うかのように両手をブンブンと動き回している。だがやはりそこにも何もないのだ。ただ空虚を必死に拒否している。
「やめてこないで! 来る! 来る! 来る! 来る来る来る来る来る来る来る!」
おぼつかない足で彼女が立ち上がる。片方のヒールが脱げていた。体が大きくよろめいた拍子にデスクにぶつかり、置いてあった文具やパソコンも派手な音をたてて落下する。
ただごとではない。どうしたの、幻覚でもみているの?
とにかく彼女を止めなくてはと思い、私たちは長谷川さんを押さえつけにかかる。
「落ち着いて長谷川さん!」
彼女の腕をしっかり握ってそう言ってみるも、ものすごい力で突き飛ばされて驚く。もはや同じ女性とは思えない、信じられない力だった。私はそのまま床に倒れ込む。
「光ちゃん!」
伊藤さんが慌てて駆け寄ってくれる。ちらりとこちらを見た九条さんは、なんとか長谷川さんを落ち着かせようと試みているが一向に彼女が元に戻る様子が見られない。全身を使って暴れている。
唖然と豹変した長谷川さんを見上げる。彼女は次にそばに落ちていたものを無茶苦茶に投げ始めた。ボールペンから鞄、ファイルや書類、そしてついにはノートパソコンを思い切り投げつけている。
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