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オフィスに潜む狂気

ずっと聞いてみたかったこと

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「せいぜい頑張ってね」

 邪魔するだけ邪魔をして、彼女は帰宅するらしかった。馬鹿にするように私たちに挨拶をすると、そのまま手を振って無人の廊下を歩き出した。一人分の足音が遠ざかっていく。それが完全に聞こえなくなったところで、九条さんがため息をついた。

「本当、依頼者側に敵がいるとやりにくいです」

「あ、話聞けましたか……? 随分取り乱しているように見えましたが」

「残念ながら。私の声を聞いた途端、相手はすごい剣幕で叫び出したのです。喉が潰れそうなほどの声で、聞き取りも困難。唯一理解できたのは、『とめて』という言葉だけでした」

「とめて……?」

 首を傾げる。止めて、泊めてじゃないだろうし。一体何をなんだろう。

「落ち着かせようとしたところに彼女登場ですよ。全く、敵意を持つのは構いませんが邪魔はしないでもらいたいものです。それで、光さんは何が見えましたか」

「あ、恐らく楠瀬さんたちが言っていた中年男性だと思います。ポロシャツを着て、よくいる感じのおじさんでした。ただ、腹部に刃物が刺さっていて血が出ていました」

「刃物?」

 九条さんが反応した。私も頷く。

「廊下中にも血痕が残ってて。斉木さんは目元だけだし、楠瀬さんは正座してたって言ってたから気づかなかったんでしょうね。それとあの男の人からは、すごく悲しい気が伝わってきました。トイレで会った時はとても怒ってたんですけど……」

「悲しみの気には同感です。非常に苦しみ悲しんでいる霊です。一体なぜあんなにも悲しんでるのか。また現れて話してくれればいいのですが……」

 二人で腕を組んで考え込んだ。トイレではなんであんなに怒ってたのかな……それも何かヒントになる気がするんだけど。私はいつものごとくよくあるストーリーを考えて言ってみた。

「お腹を刺された、ということは、もしかして他殺でしょうか? その犯人を探してるとか! ……だと、止めての意味が分かりませんねえ」

「分かりませんよ、次の犯行を止めてという意味なのかも」

「 ! 」

 ぎょっとして隣を見上げる。九条さんは冗談ではなく本気らしかった。真剣な眼差しでこちらを見ている。

「だとすればスムーズですよ。誰かに刺されてその犯人を止めてほしい、次に被害者が出ないように」

「そうなると、この営業部に犯人がいるってことになりません……?」

「そうなりますね」

「ひぇ」

「ただ、そうなれば普通悲しみの感情より怒りの感情が沸き出てくるとは思うのですが、まあそこはいくらでも事情が考えられます。信じてた者に刺されて悲しかったとか、次に狙われる被害者を大切に思っているからとか」

「……なんか嫌な流れになってきましたね」

 額にかいた汗を拭った。殺人事件の犯人となれば、また違った意味で怖さが出てくる。九条さんは言った。

「ですがとりあえず、刺殺されたということが知れただけでも大きな収穫です。伊藤さんに伝えましょう、そんな死に方をする人はそうそういませんから、意外と早く霊の正体がわかるかもしれません」

 私たちは強く頷いた。






 その後睡眠もとりながら何度か辺りを回ったが、やはり男はもう出てこなかった。なんとなくそんな気がしてたのだ。ほんと、長谷川さんはいいチャンスを逃してくれた。

 朝早く営業部の人が仕事で出勤したのを機に一旦私と九条さんは引き上げて事務所に帰った。

 昼間はみなさんは仕事中だし、私たちと長谷川さんがごちゃごちゃ揉めると他の人たちの仕事に支障が及ぶかもしれない。そういう九条さんの配慮だった。昼間はとりあえず活動をやめた。

 だが情報収集役の伊藤さんはそうもいかないので朝から営業部へと行っていたらしい。昼過ぎになり、私が目を覚まして身支度を整えた頃伊藤さんが一度事務所に戻ってきた。

「ふーっ。暑いねーお疲れ様でーす」

 顔をあおぎながら入ってきた伊藤さんは前髪が汗でおでこに張り付いていた。私は微笑み返す。

「お疲れ様です伊藤さん」

「あれ、起きてたの。もっと寝ておきなよー」

「目が覚めたので一旦お風呂に行ってきてて」

「そっか、九条さんは爆睡、っと。まあ夜働いてたんだからしょうがないね」

 相変わらず黒の革のソファに寝そべる九条さんを横目で見て笑った。伊藤さんは持っていたパソコンなどをデスクの上に置く。

「昨日夜中に九条さんからお腹を刺された霊って情報きててびっくりしたよ。まだ時間もあまりないからそこまで調べきれてないんだけどね」

 パソコンを開いて何やら作業をする。私は隣に腰掛けて画面を覗き込む。そこには顔写真やその人の情報などがびっしり書き込まれていて一瞬のけぞった。え、なに今の。

「い、伊藤さん、これは」

「ほら、昨日言ったでしょ。長谷川さんがきてから移動したり辞めたりした人たちの一覧。まだ途中だけど、辞めたりした後のこととか調べてるんだ」

「………………」

 私は絶句してその幼く見える横顔を見た。たった一日でこの情報量? 本気?

 当の本人は何も気にしていないようでケロリと説明をつづけた。

「その中から中年男性を選んで優先的に見てたんだけど……あ、光ちゃん写真あるから見てみてくれない? 昨日顔見たんだもんね?」

「あ、はい」

 そうだ、あの男の人の顔はしっかり見た。この中にいればその人の霊だと確定するわけだが……。私が写真をみていく横で伊藤さんはため息をついた。

「でも、亡くなった人なんていないっていうしさ。まして刺されたってなると……調べればすぐわかりそうな情報なんだけどなあー」

「あの、ずっと聞こうと思ったんですけど。伊藤さんって一体どうやって情報を得てるんですか?」

 聞こうと思ったまま実行出来ずにいた質問を投げかけた。いつだって私たちに有益な情報をもらってくる伊藤さん。コミュ力が鬼ということは分かっているけど、それにしても、だ。

 彼は考えるように腕を組んだ。

「うーんその時によってやり方も違うけどね。まあ一つ言うなら、僕結構知り合いが多いんだよねえ。調べたい対象と同じ会社に友達がいた、とか。警察にも仲良い人いるし」

「はっ。そういえば警察にも前お世話になったんでした……」

「だからそっちからちょっと話聞いてみたり。あとは単に直接聞き込みにいったりSNS巡りしてみたり……とかかな」

「なるほど……伊藤さんに友達が多いっていうのはすごく納得です」

 もし学生時代なら、絶対にクラスの中心で色んな子に話しかけてくれるタイプの人だ。前の職場でもあれだけ愛されていたし、彼が色んな人から愛される理由はよく分かっている。
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