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オフィスに潜む狂気

また何を言い出すのかこの人は

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 昼食は珍しく、三人で外へ食べに出かけた。生活に余裕のなかった私も、ここで働いてそこそこいいお給料をいただいてしばらく経つ。それなりに余裕も出来てきたので、時々伊藤さんや九条さんと外食することがあった。

 とはいっても、なんやかんや伊藤さんにうまく言いくるめられて奢ってもらうことも多々。お礼に時々お弁当を作ってこれまたみんなで囲って食べる、というお決まりのパターンになっていた。

 その日は定食屋に入り三人で食べた後、伊藤さんは郵便局に用があるとのことで一人道を分かれた。私と九条さんはそのまま事務所へ帰っていった。

 エレベーターに乗り込んで、ようやく乾いてきた彼の後ろ髪が目に入る。乾いてないのに寝るもんだから、後頭部は寝癖がついていた。

「九条さん、髪のびましたね」

 私は思ったことを言った。

 元々無造作でやや長めだった九条さんの髪は、以前に比べてさらに伸びている。前髪は目を隠してしまいそうなほどで鬱陶しいだろうに。

 九条さんはああ、と思い出したように言う。

「そういえばそうですね」

「そういえばって……」

「最後に切ったのはいつだったか……そろそろ切らねば。面倒です」

 本当に彼はめんどくさそうにため息をついた。私はつい笑う。美容室に行くのに、そんな嫌そうにするかな普通。

 二人で五階に到着したエレベーターから降りた。廊下を歩き事務所の扉を目指す。

「夏だから暑そうだし、洗うのも面倒じゃないですか」

「それを言うなら光さんこそ、そんなに長い髪の毛面倒じゃないんですか」

「面倒ですよ」

「なぜ短くしないんですか」

「女心です」

「はあ」

 絶対わかってないのに返事したな。私は軽く隣をにらみつけた。

「ショートヘアも可愛いけど、長い方が顔の形とか合ってるかなーって自分なりに思ってるんです。女は色々考えてるんですよ」

「そうですか、大変ですね」

 抑揚のない声でそう言いながら彼は事務所のドアを開けた。身だしなみになんの興味もない九条さんからすれば、どーーでもいい話なんだろうなあ。身だしなみこんなんでも顔がこれだとあまり気にならないし。顔がいいってズルい。

 心の中で九条さんに恨みをぶつけていると、突然彼が振り返った。ぶつかりそうになったのを慌てて足を止める。

 九条さんは私をじっと見下ろした。突然の奇行に驚き体を固める。しばらく私を見つめたあと、九条さんは納得したように頷いた。

「確かに、光さんはその髪型が一番似合ってそうですね。髪、綺麗ですし」

 ドカン、と爆発したかと思った。私の心臓が。

 ……なんでこの人って突然こういうこと言うの。そりゃ女として髪ぐらい綺麗にしてたいって気遣ってたけど、褒められるなんて思ってもみなかった。もう、髪の手入れサボれない。むしろもっといいトリートメント買ってやろうか。単純すぎる私はそう思った。

「は、ははは、どうも……」

 恥ずかしがっている私に気づくことなく、九条さんは再びくるりと前を向いて事務所へはいっていった。裏からポッキーを取ってきて立ったまま早速封を開けて食べ始める。

 ニヤニヤを隠すように私は言う。

「私ロングヘア歴長いんですけどね。ロングって頻繁に美容室に行かなくていいって言う利点もあるんですよね、私前髪とかいつも自分で切っちゃってますもん」

 褒められて気分良くした私は口数を増やしてそう笑った。その瞬間だった。ポッキーを咥えたまま、九条さんが目を見開いてこちらを見たのだ。

「はい?」

 その表情にこちらが目を丸くする番だ。え、なに。私変なこと言ったっけ?

「ど、どうしました九条さん」

「髪、自分で切ってるんですか」

「え、前髪だけですよ?」

 九条さんは持っていたお菓子の封をそっと近くの机に置いた。そして私のそばまで歩み寄り、再びじっと見つめて見下ろしてくる。

 真っ直ぐ見つめられるもんだから、私はついドキドキと心臓が鳴ってしまう。今日はなんだかよく見られる日だ、外から帰ってきたばかりだけどメイク崩れてないかな、最近ニキビができちゃったんだけど……

「光さん」

「は、はい」

「私の髪も切ってくれませんか」

「は、……え?」

 九条さんはそばにあるデスクの引き出しからハサミを取り出した。そしてツカツカとソファに歩み寄り座る。

「お願いします」

「……は、はあ!?」

「伸びてきて困ってたんです。美容室に行くなんて時間かかるし面倒で嫌いなんです。光さんが切ってください」

 阿呆かこの男は!! 素人に髪切らせるか普通!!

 唖然としてソファに座る男を見る。彼はもう準備万端です、とばかりにキリッとした表情で前だけを向いていた。

「何言ってるんですか、人の髪なんて切れませんよ!」

「前髪自分で切ってるんでしょう」

「自分のだからですよ、九条さんも自分で切ればいいじゃないですか!」

「以前そうしようとしたら、伊藤さんに『もし自分で髪をカットしてきたら裏にあるポッキー全て処分する』と宣言されてできないんです」

「え? あ、そうか……」

 すぐに伊藤さんが言った台詞の意図が読める。もし九条さんがセルフカットしたら、すんごい髪型になりそうだもの。前さえ見れて涼しければいい、という感じで、とんでもなく短くしたり、某国民的アニメのようなギザギザ前髪とか、とにかくとんでもない髪型にしてきそうだ。

 だから伊藤さんは止めたんだな。それは正しい、伊藤さん。

「いや、だからといって私って……」

「失敗してもいいですから」

「私が嫌ですよ」

「お願いします。美容室好きじゃないんです」

 九条さんは持っていたハサミを私に差し出した。頑ななその姿に彼の固い意志が見える。困り果てた私は、ついに諦めてそのハサミを受け取った。
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