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オフィスに潜む狂気

穏やかな日常

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 いつのまにか、この事務所に働き出して五ヶ月が経とうとしていた。

 季節は春を越え夏を迎える。暑さにうんざりしながら、私は今日もあのビルの五階を目指して歩みを進めていた。

 事務所、とは他でもない。大変怪しい名前で大きな声では言いたくないのだが、『心霊調査事務所』というものだ。

 名前だけ聞けば普通の人はぽかんとするはず。私も最初は訝しんだ。でも中身は至って健全、みえざるものが視えてしまう私や話ができる九条さんが、この世に彷徨う霊達の浄霊を手伝うというものだ。

 私、黒島光。この能力のせいで仕事や恋愛もうまくいかず、死んでしまおうとしたところを九条さんに助けられ事務所の一員となった。

 九条尚久。私の命の恩人。霊と会話をする特技を持つ事務所の責任者だ。顔面は国宝並、生活力は3歳児並。……さすがに言いすぎたかな。寝たら中々起きず指摘しなければ食事をポッキーで済ますくらいの生活力の人だ。あれ、やっぱり表現間違えてないかも。

 マイペースで天然の変わった人なのだけれど、仕事上は頭は回るし悔しいがカッコいい。そのせいで、私はこっそり彼に片想いをするハメになっている。

 これがまた、実りそうのない無謀な思い。九条さんといえばもはや恋愛に興味があるのかすら分からないレベルのお人なので、全然攻略方法がわからない。元々私自身恋愛などの人付き合いが苦手な方なので、さらにお手上げというわけだ。

 私にせめて人並のコミュニケーションスキルがあれば……

 そんなことを考えながら、私はため息をついて今日も看板のない事務所の扉をあけるのだ。

「おはようございます」

「あ、光ちゃんおはよー」

 私が入ったと同時に明るい声が返ってきた。その声を聞いただけでつい頬が緩む。中で椅子に座ってパソコンと向かい合っていたのは、伊藤陽太さんだった。

 私や九条さんと違って何も視えないお人。ただやたら霊を寄せ付ける体質らしいのだが、当の本人は感じることすらしないのだそう。

 そんな伊藤さんがなぜこの事務所にいるのかというと、とにかく彼は面倒見がいい、人当たりがいい、性格がいい、コミュニケーション能力が高い。褒めるところしか見当たらない。

 ぱっと見大学生くらいに見える童顔の可愛らしい人で、明るくて人の心にするりと入るのが非常にうまい。なので、依頼者との橋渡しだったり、調査に必要な情報収集などを行うのが伊藤さんの大事な役割なのだ。

「伊藤さん、おはようございます。早いですね」

「光ちゃんこそ。もっとゆっくりしておいでー。この前の調査も疲れたでしょ?」

「あ、ええ……でも比較的楽な調査でした」

「そういえるようになったの、現場をたくさんこなしてきたからだね。頑張ってるもんねー」

 片方にエクボを浮かべて伊藤さんが笑った。拝みたくなるほどの明るい笑顔、私は願望に従ってそのまま拝んだ。こんないい人出会ったことない。

「あはは、光ちゃんって手を合わせて拝むの癖だよね」

「伊藤さんにだけです。神々しいので……」

「え、僕にだけなの? そういえば九条さんに拝んでるとこ見たことないか」

「多分私だけじゃなくていろんな人が伊藤さんに拝んでるはずです」

「はは、何それ!」

 出会った頃から伊藤さんはいつも私を気遣って優しくしてくれていた。変人の九条さんに慣れるまで、伊藤さんのフォローがなくてはきっと続けていられなかったと思う。

 本当に素敵な人だなあと、毎日心の中で思っている。

「九条さんは起きましたか?」

 私は伊藤さんに尋ねた。朝が異常なほど弱い九条さんは、毎日のように伊藤さんに電話で起こしてもらっているのだ。伊藤さんが色々奇抜な目覚まし時計をプレゼントしたけど、どうやら効かないらしい。(私が思うに、起きる時間のセットをし忘れているんじゃないかと思う)

「あーうん。今日は早く起きたよ珍しくね」

「そうですか、よかった」

「ここ数日は依頼もないし、ゆっくりしてもいいんだけどさ。いつ依頼者が来るか分からないからね。どうせここにきても九条さんは寝てるだけだし」

「まあ、確かに……」

「光ちゃんも寝てていいんだよ、調査始まったら大変なんだから」

「そ、そんなことできませんよ!」

「そう? 気遣いさんだね」

 白い歯を出して伊藤さんが笑ったときだった。後ろの扉がノックもなしに突然開いたのだ。

 そこに立っているのはすらりとしたスタイルに、整った顔立ちをした男性だった。九条さんだ。高い鼻に切長の目。初見なら二度見必須な顔立ちのお人だ。

 黒いシャツに黒いパンツという、全身真っ黒で現れた。この人は服のセンスもまるでなく、いつも白か黒の服しか持っていない。多分私がピンクのウサギの服をプレゼントしたとしても、何も考えずに翌日着てくると思う。

 そしていつものように、九条さんの髪の毛は濡れていた。どうやらドライヤーを持っていないらしく、朝シャワーを浴びた彼はいつも濡れた髪で出勤してくる。黒い服の襟元が濡れていた。

 私は呆れて言った。

「おはようございます九条さん、もっとちゃんと拭かないと服濡れてますよ」

「おはようございます光さん。夏なのですぐ乾きますよ」

「冬でもその状態のくせに……」

 九条さんはニコリともせず無表情のまま事務所に足を踏み入れ、すぐさま革のソファに寝そべった。調査以外はこの人はほとんどをこのソファの上で過ごす。もう見慣れた光景だった。

 ため息をついてその姿を横目で見る。普段は本当にめちゃくちゃな人だ。調査中はあんなにかっこいいのになあ。

 私は諦めて伊藤さんに話かけた。

「何かお仕事ありませんか」

「あ、そうだなー最近穏やかだからなあ。ほんと光ちゃんもソファに寝ててもらっていいんだけど」

「い、いやあ……」

「そこの棚のファイルがいっぱいになってきたから整理でもしてもらおうかな。ゆっくりでいいよ、ゆーっくりね!」

 ニコニコと、仕事とは呼べないような簡単な指令を頂いた。私はペコリと頭を下げる。まあ、調査がない時くらいゆっくりしてもいいかとも思うけどさ。

 伊藤さんは何やらパソコンに向かって作業をしだし、私は言われた通り事務所隅にある大きな棚の前に移動した。これまで扱った調査の途中経過や結論など全てを記してある事件ファイルだ。ここにきて五ヶ月にもなれば、私が携わった調査も増えてきている。

 一つを手に取って中身を見た。懐かしい調査内容が記されている。
 
 懐かしみながらそれを読み、穏やかな事務所の時間を感じていた。

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