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真夜中に来る女
悲しい結末
しおりを挟むしん、と長い沈黙が流れる。
麗香さんがふうーと長いため息をつき、いつもの調子で私たちに振り返った。
「もういいわよ。これで完了。呪詛は終了いたしました、と」
八重さんがヘナヘナとその場にへたり込んだ。まさこんさが慌てて声をかけるが、本人はただ呆然としていて返事はなかった。
九条さんも一度大きく息を吐き、地面に置いてあるコンパクトミラーを手に取り麗香さんへ手渡す。
「さすがです」
「呪詛かけてる本人もいないし、呪いの元が手に入ったらこっちのもんよ」
「……そういえば京也さんは。よほど錯乱していたようで、樹海の深いところへ行ってしまいました」
九条さんが遠くを見つめる。そう、京也さんは女に驚いた後、車の姿も見えるというのに逆方向へ走って行ってしまったのだ。この暗闇の樹海、明かりも持たずにたったひとりで。
私は慌てて九条さんに言う。
「ど、どうしましょう……!」
「素人が動くのは危険すぎます。すぐに警察に電話しましょう。……幸運にも電波は届くようです」
ポケットから携帯を取り出して九条さんがすぐに警察に電話をかける。確かに、私たちがこの状況で探しにいけるわけもない。下手に動いてはまずい。
困ったようにオロオロしている私とは逆に、麗香さんは興味なさそうに九条さんを見ていた。そして思い出したように木に貼り付けてあったエコー写真をゆっくり剥がす。それを見て悲しそうに眉を下げた。穴だらけで、もはや元の姿はまるでわからない状況になっていたのだ。
それでも麗香さんはそれを持って八重さんの元へいく。未だ立ち上がれずにいる八重さんにそれを差し出した。
「もうこれで女は大丈夫よ」
八重さんは喜ばなかった。差し出されたそれをしばらく見つめ、ゆっくり手を出して受け取る。呆然としたように穴を見つめた。
その光景に胸が痛む。
信じていた婚約者が自分のお腹の子に呪詛をかけていたなんて。あんな恐ろしい人間だったなんて……
結婚する前に気づけてよかった、なんて安易な励ましは通用しない。
電話を切った九条さんが携帯をしまいながら言う。
「すぐに警察は来るそうです。ですが捜索は夜明けからになるでしょうね。さて呪詛やあの女についてどう説明すればよいか……」
考えるように一人話していた九条さんだが、ふと地面に座り込む八重さんに気がつく。そしてゆっくりと足を運んだ。
「大丈夫ですか。床地面に座っては冷えますよ。体によくありません」
八重さんに向かって話しかけるも、彼女はただぼうっとしていた。その頬は涙でぐっしょり濡れてしまっている。
まさこさんが着ていたカーディガンを脱いで八重さんにかける。それでも、八重さんは何も反応しなかった。
「……わた、し」
ポツンと小さな声がする。
「信じてたんです……京也のこと……いつだって優しくて、全力で、愛してくれてた……きっと彼と幸せな家庭を築けるって、今の今まで疑わなかった……」
震える声でそう話す言葉を聞いて、私はついに涙が溢れた。
愛する人がいなくなる辛さを知っている。
私もそうだった。
でも八重さんはそれよりもっともっと辛いはず。今現在妊娠しているのなら、お腹の子は? これからの生活どうしていくのか? あまりに問題が多すぎる。
信じていた人があんな人だったなんて。今の彼女のショックは計り知れない。
私は八重さんの隣に移動してしゃがみ込んだ。
「八重さん……」
「見ました? 母も、黒島さんも私を庇ってくれたのに。九条さんも朝比奈さんも女に向かってくれたのに、京也だけ私を置いて逃げたんですよ。
逃げたんですよ……」
はは、と乾いた笑みがその口から溢れる。同時に再び両目から涙が溢れ出た。真っ赤な顔をしてまつ毛を濡らす彼女に、かける言葉が見つからない。
嗚咽を漏らしながら泣く八重さんは、そっと自分のお腹を触った。紺色のカーディガンの下にいる命を撫でる。
「私。本当にこの子産んでいいのかな……」
「! 八重?」
「あんな、あんな恐ろしい人の遺伝子を引き継いでるのよ? 小動物を殺して自分の子供に呪詛をかけるような、そんな人間の子……私たった一人で育てていくの?」
まさこさんに向かって八重さんは詰め寄った。私は彼女の肩を抱いて止める。
「八重さん、気持ちは分かりますが少し落ち着いて……」
「怖い……怖いんです、私……呪詛をかけたこの子の父親が、かけられたこの子が。自分のお腹の中にいるのは本当に人間なのかななんて、そんなことを思ってしまうんです……!」
彼女は両手で顔を覆って泣き喚いた。どう答えていいのかがわからず、私も、まさこさんですら押し黙ってしまった。
八重さんの気持ちがわかる気がした。目の前であんな姿を見せられては。穴だらけのエコー写真を見せられては。こんな風に自分を見失ってしまうのは仕方がないとすら思ってしまう。
「覚悟がないのなら生むのは考え直してください」
そう抑揚のない言葉が響いた。八重さんの泣き声がピタリと止まる。
私は慌てて九条さんを咎めようとした。
「くじょうさ……!」
「私は男なので一生経験できませんが。
子を産む事は命懸けです。
もしくは産んだ後、子を欲しいと切望する夫婦に預けてください」
「九条さん、八重さんは今……!」
「産むことももちろんですが。子を育てるという気持ちは生半可はものでは成し遂げられません。愛せる自信がないのに育て続けることは誰のためにもならない」
私は言葉を飲み込んだ。それは彼の言うことがあまりに正論だったからだ。
私だってまだ経験はしていないから分からないが、彼の言うことは正しい。お産は命がけで、そしてそれ以上に覚悟がいるのは育てること。この国でも親から愛を受けずに悲しむ子供達は多くいる。
綺麗事では片付けられない問題だ。
八重さんの混乱も十分に理解できるが、九条さんの言いたいこともわかる。
八重さんは何も言わずに黙って俯いていた。涙はもう止まっていた。
九条さんはポケットに手を入れたまま立ち八重さんをじっと見つめている。
「……DNAは確かに強いものです。
ですが私はそれ以上に、育てる者の愛情や生活の環境が重要だと思っていますよ」
九条さんの言葉の節々に、優しさを感じた。
隣の八重さんを見る。彼女はじっと黙ったまま、お腹を抱えていた。
私たち第三者が何かを勧める権利はない。全ては母親である八重さんが決めること。
無責任に放棄しろとも、大丈夫だよとも言えない。
でも、伝えておきたいたった一つのこと。
「……八重さん。私は幼い頃両親が離婚して、母一人に育てられました。たくさん愛情をくれた母で、今でも感謝してます。途中辛いこともあったけど、母のおかげで今こうして楽しく生きています。
今すぐ決めることではありません。八重さんがしっかり考えて、綺麗事抜きで決断してください。でも、周りにいつでも力になる人物がいるのを忘れないでください。まさこさんも、私だって」
ぴくん、と肩が震える。八重さんが顔を上げた。
涙に濡れた顔で当たりを見渡す。
黙っていた麗香さんがツカツカと歩み寄って、八重さんが握りしめていたエコー写真を奪った。
「やっぱりこれは私が預かっておくわ。とんでもない呪詛はかけられてたけど、その力はお腹の子には及んでない。
最初にも言ったけど愛溢れる家が守ってくれたり、ナオ達が頑張ったりしたからね。この写真見ると色々思い出すでしょ、とりあえず一度検診に行って新たな写真もらってきなさい」
写真をジャケットのポケットに仕舞い込んだ麗香さんを、八重さんはじっと眺めていた。
彼女は私たちに何も返事を返さなかった。
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