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真夜中に来る女
全てを知ってしまった時
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あれだけ八重さんは怯えていたのに。今から生まれてくる命をこんな扱いして。罪のない小動物たちをこんなふうに使って。許されないことだと思った。
黙って見ていた麗香さんも口を開ける。
「お腹の子を呪えば八重さん自身だって危害が及ぶかもしれない……それくらいわからなかった?」
京也さんは私が引っ叩いた頬を痛そうにすることも摩ることもしなかった。まるで何事もなかったかのように麗香さんを見る。
「もし八重が入院したり障害をもったりすればそれこそ僕だけのものに出来るから本望でしたね」
「…………」
「でもそもそも、呪殺は法律では裁けない。そういうことですよね、僕は悪いことなんてしてないでしょう? どうにかして八重の体からこの命を出したかった。一種の祈りみたいなものですよ、そもそも呪いがうまく行くなんて思ってもないですし」
彼は本当に自分の何が悪いのかわからない、というようにペラペラと話した。その光景を見て、ああこの人には何を言っても理解されることはないんだなと悟った。
根本的に何かが欠けている。この人はそういう人なんだ。
八重さんという女性に執着し、それさえ手に入ればどんなことをしてもいいと思ってる。それが普通だと思っているんだ……。
九条さんの厳しい声が響いた。
「我々は八重さんから呪詛を掛ける人物を特定するよう依頼を受けた者です。もうこれであなたの呪詛は終わりです、八重さんにも全て報告します」
「八重から依頼? なんでそんな……。言っておきますけど八重は僕を信じてますよ。これまでどれほどの時間を掛けて信頼関係を築いたと思っているんですか。どこの誰かもわからないあなたたちの話を信じるわけがない」
鼻で笑いながら京也さんは言った。そして床に落ちていた金槌を再び手に持つ。
「なんでもいいからどっか行ってください。作業の邪魔です」
そう言い放って再び写真の方向を向く。私ははっとそれを止めようとした。
「もうやめ」
「…………京也?」
ポツン、とそんな声が響いた。
全員がハッとし、その声に振り返る。
八重さんとそれを支えるまさこさんが、木の影からゆっくり姿を現した。しっかりミラーを握りしめた八重さんは、呆然とした顔でこちらを見ていた。
「八重さん? どうしてっ……」
「やっぱり、私も、行かなきゃと思って……車を降りてよく見たら、京也の車で……懐中電灯の明かりを頼りに、来て……」
震える声で八重さんが途切れ途切れに言う。私は京也さんを無言で見た。彼は瞬きもせず驚いた顔で八重さんをじっと見ていた。
八重さんがゆっくり京也さんに近づく。まだ目の前の光景を信じられていない、そんな顔をしている。
「本当なの? さっきの話……私の、お腹の子、呪っていたの……?」
「八重」
「それがあなたの本心だった?」
八重さんの声は涙声になっていた。その悲痛な声に私は心を痛める。
見せたくなかった。八重さんにこんな光景。見せたくなかった。
仕事に結婚に希望を抱いている彼女にこんな場面、見せたくなかったのに……。
しばらく沈黙を流していた京也さんだったが、少し経ってようやく口を開いた。その口から出るのは謝罪か、言い訳か。
彼は金槌をまた地面に放ると、八重さんの両肩に手を置いた。
「八重。そう、それが僕の気持ちだ」
「…………京也」
「ずっと黙っていてごめん。驚かせた」
「そん、な」
「泣かせてごめん。僕が間違っていた。初めからちゃんと僕の気持ちを言うべきだった。
君なら理解してくれるよね、これで僕らは本当の夫婦になれる」
彼の口からこぼれた言葉に、理解が追いつかなかった。
全員がぽかん……として京也さんを見る。これほど理解できない日本語を私は知らない。
京也さんはにっこり笑った。とても優しい笑顔で、写真に釘を打ち付けるような人物にはまるで見えなかった。
「夫婦間に隠し事はいけないね。これからはもっと正直に僕の気持ちを言うよ。君なら受け入れてくれるはずだよね。愛してるよ八重」
もう、この人には何を言っても通用しない。
それはもはや人間かどうかも疑ってしまうほどの、異質。
全員の沈黙がそう物語っていた。
そして八重さんは自分の肩に置かれた京也さんの腕を強く振り払った。
「触らないで!」
「八重……?」
「触らないで、怖い……! あんな、あんな恐ろしい女を送るような人、そんな……もう、無理……!」
首を強く振って拒絶する。少しずつ後退する八重さんを庇うように、まさこさんが抱きしめた。怒りに震えた声でまさこさんも叫ぶ。
「もう私たちの前に姿を現さないでください! あの女だけなんとかして……」
当然とも言える反応だが、京也さんは首をかしげた。そして不思議そうに言う。
「女、って一体なんのこと?」
「……は」
「八重、怖がらせたなら謝るよ。こっちにおいで。これからのことを二人で話そう」
笑顔でそういう京也さんを見て気がつく。
もしや京也さん、あの女の存在は知らない……?
すぐそばにいた九条さんの顔を見上げた。何も言わなくとも私が聞きたいことがわかったのか、彼は小さく頷く。
京也さんは呪詛に関しては素人だ。非常に才能があるらしいが。
だから、自分が呪詛をかけたことによって生み出されたあの恐ろしい女を知らずにいるのか。八重さんがあれだけ怖い目に遭っていたこともまるで知らないのだ。
再び怒りが沸き出て彼に詰め寄ろうとしたときだ。
辺りの空気感が突然変わる。足先から背中、そして頭のてっぺんに掛けて一直線に悪寒が走った。一気に駆け抜けるような速さと衝撃で、私は踏み出した足を止める。
この感覚は。まさか。
次の瞬間麗香さんが叫んだ。
「来た!!」
はっと八重さんの方を見る。八重さんとまさこさんは抱き合うような形で立ち尽くしていた。
その八重さんの三、四メートル背後に立つ立派な樹木。
太い幹のすぐ隣に、
真っ赤なワンピースの裾が揺れる。
黙って見ていた麗香さんも口を開ける。
「お腹の子を呪えば八重さん自身だって危害が及ぶかもしれない……それくらいわからなかった?」
京也さんは私が引っ叩いた頬を痛そうにすることも摩ることもしなかった。まるで何事もなかったかのように麗香さんを見る。
「もし八重が入院したり障害をもったりすればそれこそ僕だけのものに出来るから本望でしたね」
「…………」
「でもそもそも、呪殺は法律では裁けない。そういうことですよね、僕は悪いことなんてしてないでしょう? どうにかして八重の体からこの命を出したかった。一種の祈りみたいなものですよ、そもそも呪いがうまく行くなんて思ってもないですし」
彼は本当に自分の何が悪いのかわからない、というようにペラペラと話した。その光景を見て、ああこの人には何を言っても理解されることはないんだなと悟った。
根本的に何かが欠けている。この人はそういう人なんだ。
八重さんという女性に執着し、それさえ手に入ればどんなことをしてもいいと思ってる。それが普通だと思っているんだ……。
九条さんの厳しい声が響いた。
「我々は八重さんから呪詛を掛ける人物を特定するよう依頼を受けた者です。もうこれであなたの呪詛は終わりです、八重さんにも全て報告します」
「八重から依頼? なんでそんな……。言っておきますけど八重は僕を信じてますよ。これまでどれほどの時間を掛けて信頼関係を築いたと思っているんですか。どこの誰かもわからないあなたたちの話を信じるわけがない」
鼻で笑いながら京也さんは言った。そして床に落ちていた金槌を再び手に持つ。
「なんでもいいからどっか行ってください。作業の邪魔です」
そう言い放って再び写真の方向を向く。私ははっとそれを止めようとした。
「もうやめ」
「…………京也?」
ポツン、とそんな声が響いた。
全員がハッとし、その声に振り返る。
八重さんとそれを支えるまさこさんが、木の影からゆっくり姿を現した。しっかりミラーを握りしめた八重さんは、呆然とした顔でこちらを見ていた。
「八重さん? どうしてっ……」
「やっぱり、私も、行かなきゃと思って……車を降りてよく見たら、京也の車で……懐中電灯の明かりを頼りに、来て……」
震える声で八重さんが途切れ途切れに言う。私は京也さんを無言で見た。彼は瞬きもせず驚いた顔で八重さんをじっと見ていた。
八重さんがゆっくり京也さんに近づく。まだ目の前の光景を信じられていない、そんな顔をしている。
「本当なの? さっきの話……私の、お腹の子、呪っていたの……?」
「八重」
「それがあなたの本心だった?」
八重さんの声は涙声になっていた。その悲痛な声に私は心を痛める。
見せたくなかった。八重さんにこんな光景。見せたくなかった。
仕事に結婚に希望を抱いている彼女にこんな場面、見せたくなかったのに……。
しばらく沈黙を流していた京也さんだったが、少し経ってようやく口を開いた。その口から出るのは謝罪か、言い訳か。
彼は金槌をまた地面に放ると、八重さんの両肩に手を置いた。
「八重。そう、それが僕の気持ちだ」
「…………京也」
「ずっと黙っていてごめん。驚かせた」
「そん、な」
「泣かせてごめん。僕が間違っていた。初めからちゃんと僕の気持ちを言うべきだった。
君なら理解してくれるよね、これで僕らは本当の夫婦になれる」
彼の口からこぼれた言葉に、理解が追いつかなかった。
全員がぽかん……として京也さんを見る。これほど理解できない日本語を私は知らない。
京也さんはにっこり笑った。とても優しい笑顔で、写真に釘を打ち付けるような人物にはまるで見えなかった。
「夫婦間に隠し事はいけないね。これからはもっと正直に僕の気持ちを言うよ。君なら受け入れてくれるはずだよね。愛してるよ八重」
もう、この人には何を言っても通用しない。
それはもはや人間かどうかも疑ってしまうほどの、異質。
全員の沈黙がそう物語っていた。
そして八重さんは自分の肩に置かれた京也さんの腕を強く振り払った。
「触らないで!」
「八重……?」
「触らないで、怖い……! あんな、あんな恐ろしい女を送るような人、そんな……もう、無理……!」
首を強く振って拒絶する。少しずつ後退する八重さんを庇うように、まさこさんが抱きしめた。怒りに震えた声でまさこさんも叫ぶ。
「もう私たちの前に姿を現さないでください! あの女だけなんとかして……」
当然とも言える反応だが、京也さんは首をかしげた。そして不思議そうに言う。
「女、って一体なんのこと?」
「……は」
「八重、怖がらせたなら謝るよ。こっちにおいで。これからのことを二人で話そう」
笑顔でそういう京也さんを見て気がつく。
もしや京也さん、あの女の存在は知らない……?
すぐそばにいた九条さんの顔を見上げた。何も言わなくとも私が聞きたいことがわかったのか、彼は小さく頷く。
京也さんは呪詛に関しては素人だ。非常に才能があるらしいが。
だから、自分が呪詛をかけたことによって生み出されたあの恐ろしい女を知らずにいるのか。八重さんがあれだけ怖い目に遭っていたこともまるで知らないのだ。
再び怒りが沸き出て彼に詰め寄ろうとしたときだ。
辺りの空気感が突然変わる。足先から背中、そして頭のてっぺんに掛けて一直線に悪寒が走った。一気に駆け抜けるような速さと衝撃で、私は踏み出した足を止める。
この感覚は。まさか。
次の瞬間麗香さんが叫んだ。
「来た!!」
はっと八重さんの方を見る。八重さんとまさこさんは抱き合うような形で立ち尽くしていた。
その八重さんの三、四メートル背後に立つ立派な樹木。
太い幹のすぐ隣に、
真っ赤なワンピースの裾が揺れる。
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