122 / 449
真夜中に来る女
全てを知ってしまった時
しおりを挟む
あれだけ八重さんは怯えていたのに。今から生まれてくる命をこんな扱いして。罪のない小動物たちをこんなふうに使って。許されないことだと思った。
黙って見ていた麗香さんも口を開ける。
「お腹の子を呪えば八重さん自身だって危害が及ぶかもしれない……それくらいわからなかった?」
京也さんは私が引っ叩いた頬を痛そうにすることも摩ることもしなかった。まるで何事もなかったかのように麗香さんを見る。
「もし八重が入院したり障害をもったりすればそれこそ僕だけのものに出来るから本望でしたね」
「…………」
「でもそもそも、呪殺は法律では裁けない。そういうことですよね、僕は悪いことなんてしてないでしょう? どうにかして八重の体からこの命を出したかった。一種の祈りみたいなものですよ、そもそも呪いがうまく行くなんて思ってもないですし」
彼は本当に自分の何が悪いのかわからない、というようにペラペラと話した。その光景を見て、ああこの人には何を言っても理解されることはないんだなと悟った。
根本的に何かが欠けている。この人はそういう人なんだ。
八重さんという女性に執着し、それさえ手に入ればどんなことをしてもいいと思ってる。それが普通だと思っているんだ……。
九条さんの厳しい声が響いた。
「我々は八重さんから呪詛を掛ける人物を特定するよう依頼を受けた者です。もうこれであなたの呪詛は終わりです、八重さんにも全て報告します」
「八重から依頼? なんでそんな……。言っておきますけど八重は僕を信じてますよ。これまでどれほどの時間を掛けて信頼関係を築いたと思っているんですか。どこの誰かもわからないあなたたちの話を信じるわけがない」
鼻で笑いながら京也さんは言った。そして床に落ちていた金槌を再び手に持つ。
「なんでもいいからどっか行ってください。作業の邪魔です」
そう言い放って再び写真の方向を向く。私ははっとそれを止めようとした。
「もうやめ」
「…………京也?」
ポツン、とそんな声が響いた。
全員がハッとし、その声に振り返る。
八重さんとそれを支えるまさこさんが、木の影からゆっくり姿を現した。しっかりミラーを握りしめた八重さんは、呆然とした顔でこちらを見ていた。
「八重さん? どうしてっ……」
「やっぱり、私も、行かなきゃと思って……車を降りてよく見たら、京也の車で……懐中電灯の明かりを頼りに、来て……」
震える声で八重さんが途切れ途切れに言う。私は京也さんを無言で見た。彼は瞬きもせず驚いた顔で八重さんをじっと見ていた。
八重さんがゆっくり京也さんに近づく。まだ目の前の光景を信じられていない、そんな顔をしている。
「本当なの? さっきの話……私の、お腹の子、呪っていたの……?」
「八重」
「それがあなたの本心だった?」
八重さんの声は涙声になっていた。その悲痛な声に私は心を痛める。
見せたくなかった。八重さんにこんな光景。見せたくなかった。
仕事に結婚に希望を抱いている彼女にこんな場面、見せたくなかったのに……。
しばらく沈黙を流していた京也さんだったが、少し経ってようやく口を開いた。その口から出るのは謝罪か、言い訳か。
彼は金槌をまた地面に放ると、八重さんの両肩に手を置いた。
「八重。そう、それが僕の気持ちだ」
「…………京也」
「ずっと黙っていてごめん。驚かせた」
「そん、な」
「泣かせてごめん。僕が間違っていた。初めからちゃんと僕の気持ちを言うべきだった。
君なら理解してくれるよね、これで僕らは本当の夫婦になれる」
彼の口からこぼれた言葉に、理解が追いつかなかった。
全員がぽかん……として京也さんを見る。これほど理解できない日本語を私は知らない。
京也さんはにっこり笑った。とても優しい笑顔で、写真に釘を打ち付けるような人物にはまるで見えなかった。
「夫婦間に隠し事はいけないね。これからはもっと正直に僕の気持ちを言うよ。君なら受け入れてくれるはずだよね。愛してるよ八重」
もう、この人には何を言っても通用しない。
それはもはや人間かどうかも疑ってしまうほどの、異質。
全員の沈黙がそう物語っていた。
そして八重さんは自分の肩に置かれた京也さんの腕を強く振り払った。
「触らないで!」
「八重……?」
「触らないで、怖い……! あんな、あんな恐ろしい女を送るような人、そんな……もう、無理……!」
首を強く振って拒絶する。少しずつ後退する八重さんを庇うように、まさこさんが抱きしめた。怒りに震えた声でまさこさんも叫ぶ。
「もう私たちの前に姿を現さないでください! あの女だけなんとかして……」
当然とも言える反応だが、京也さんは首をかしげた。そして不思議そうに言う。
「女、って一体なんのこと?」
「……は」
「八重、怖がらせたなら謝るよ。こっちにおいで。これからのことを二人で話そう」
笑顔でそういう京也さんを見て気がつく。
もしや京也さん、あの女の存在は知らない……?
すぐそばにいた九条さんの顔を見上げた。何も言わなくとも私が聞きたいことがわかったのか、彼は小さく頷く。
京也さんは呪詛に関しては素人だ。非常に才能があるらしいが。
だから、自分が呪詛をかけたことによって生み出されたあの恐ろしい女を知らずにいるのか。八重さんがあれだけ怖い目に遭っていたこともまるで知らないのだ。
再び怒りが沸き出て彼に詰め寄ろうとしたときだ。
辺りの空気感が突然変わる。足先から背中、そして頭のてっぺんに掛けて一直線に悪寒が走った。一気に駆け抜けるような速さと衝撃で、私は踏み出した足を止める。
この感覚は。まさか。
次の瞬間麗香さんが叫んだ。
「来た!!」
はっと八重さんの方を見る。八重さんとまさこさんは抱き合うような形で立ち尽くしていた。
その八重さんの三、四メートル背後に立つ立派な樹木。
太い幹のすぐ隣に、
真っ赤なワンピースの裾が揺れる。
黙って見ていた麗香さんも口を開ける。
「お腹の子を呪えば八重さん自身だって危害が及ぶかもしれない……それくらいわからなかった?」
京也さんは私が引っ叩いた頬を痛そうにすることも摩ることもしなかった。まるで何事もなかったかのように麗香さんを見る。
「もし八重が入院したり障害をもったりすればそれこそ僕だけのものに出来るから本望でしたね」
「…………」
「でもそもそも、呪殺は法律では裁けない。そういうことですよね、僕は悪いことなんてしてないでしょう? どうにかして八重の体からこの命を出したかった。一種の祈りみたいなものですよ、そもそも呪いがうまく行くなんて思ってもないですし」
彼は本当に自分の何が悪いのかわからない、というようにペラペラと話した。その光景を見て、ああこの人には何を言っても理解されることはないんだなと悟った。
根本的に何かが欠けている。この人はそういう人なんだ。
八重さんという女性に執着し、それさえ手に入ればどんなことをしてもいいと思ってる。それが普通だと思っているんだ……。
九条さんの厳しい声が響いた。
「我々は八重さんから呪詛を掛ける人物を特定するよう依頼を受けた者です。もうこれであなたの呪詛は終わりです、八重さんにも全て報告します」
「八重から依頼? なんでそんな……。言っておきますけど八重は僕を信じてますよ。これまでどれほどの時間を掛けて信頼関係を築いたと思っているんですか。どこの誰かもわからないあなたたちの話を信じるわけがない」
鼻で笑いながら京也さんは言った。そして床に落ちていた金槌を再び手に持つ。
「なんでもいいからどっか行ってください。作業の邪魔です」
そう言い放って再び写真の方向を向く。私ははっとそれを止めようとした。
「もうやめ」
「…………京也?」
ポツン、とそんな声が響いた。
全員がハッとし、その声に振り返る。
八重さんとそれを支えるまさこさんが、木の影からゆっくり姿を現した。しっかりミラーを握りしめた八重さんは、呆然とした顔でこちらを見ていた。
「八重さん? どうしてっ……」
「やっぱり、私も、行かなきゃと思って……車を降りてよく見たら、京也の車で……懐中電灯の明かりを頼りに、来て……」
震える声で八重さんが途切れ途切れに言う。私は京也さんを無言で見た。彼は瞬きもせず驚いた顔で八重さんをじっと見ていた。
八重さんがゆっくり京也さんに近づく。まだ目の前の光景を信じられていない、そんな顔をしている。
「本当なの? さっきの話……私の、お腹の子、呪っていたの……?」
「八重」
「それがあなたの本心だった?」
八重さんの声は涙声になっていた。その悲痛な声に私は心を痛める。
見せたくなかった。八重さんにこんな光景。見せたくなかった。
仕事に結婚に希望を抱いている彼女にこんな場面、見せたくなかったのに……。
しばらく沈黙を流していた京也さんだったが、少し経ってようやく口を開いた。その口から出るのは謝罪か、言い訳か。
彼は金槌をまた地面に放ると、八重さんの両肩に手を置いた。
「八重。そう、それが僕の気持ちだ」
「…………京也」
「ずっと黙っていてごめん。驚かせた」
「そん、な」
「泣かせてごめん。僕が間違っていた。初めからちゃんと僕の気持ちを言うべきだった。
君なら理解してくれるよね、これで僕らは本当の夫婦になれる」
彼の口からこぼれた言葉に、理解が追いつかなかった。
全員がぽかん……として京也さんを見る。これほど理解できない日本語を私は知らない。
京也さんはにっこり笑った。とても優しい笑顔で、写真に釘を打ち付けるような人物にはまるで見えなかった。
「夫婦間に隠し事はいけないね。これからはもっと正直に僕の気持ちを言うよ。君なら受け入れてくれるはずだよね。愛してるよ八重」
もう、この人には何を言っても通用しない。
それはもはや人間かどうかも疑ってしまうほどの、異質。
全員の沈黙がそう物語っていた。
そして八重さんは自分の肩に置かれた京也さんの腕を強く振り払った。
「触らないで!」
「八重……?」
「触らないで、怖い……! あんな、あんな恐ろしい女を送るような人、そんな……もう、無理……!」
首を強く振って拒絶する。少しずつ後退する八重さんを庇うように、まさこさんが抱きしめた。怒りに震えた声でまさこさんも叫ぶ。
「もう私たちの前に姿を現さないでください! あの女だけなんとかして……」
当然とも言える反応だが、京也さんは首をかしげた。そして不思議そうに言う。
「女、って一体なんのこと?」
「……は」
「八重、怖がらせたなら謝るよ。こっちにおいで。これからのことを二人で話そう」
笑顔でそういう京也さんを見て気がつく。
もしや京也さん、あの女の存在は知らない……?
すぐそばにいた九条さんの顔を見上げた。何も言わなくとも私が聞きたいことがわかったのか、彼は小さく頷く。
京也さんは呪詛に関しては素人だ。非常に才能があるらしいが。
だから、自分が呪詛をかけたことによって生み出されたあの恐ろしい女を知らずにいるのか。八重さんがあれだけ怖い目に遭っていたこともまるで知らないのだ。
再び怒りが沸き出て彼に詰め寄ろうとしたときだ。
辺りの空気感が突然変わる。足先から背中、そして頭のてっぺんに掛けて一直線に悪寒が走った。一気に駆け抜けるような速さと衝撃で、私は踏み出した足を止める。
この感覚は。まさか。
次の瞬間麗香さんが叫んだ。
「来た!!」
はっと八重さんの方を見る。八重さんとまさこさんは抱き合うような形で立ち尽くしていた。
その八重さんの三、四メートル背後に立つ立派な樹木。
太い幹のすぐ隣に、
真っ赤なワンピースの裾が揺れる。
28
お気に入りに追加
546
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
赤い部屋
山根利広
ホラー
YouTubeの動画広告の中に、「決してスキップしてはいけない」広告があるという。
真っ赤な背景に「あなたは好きですか?」と書かれたその広告をスキップすると、死ぬと言われている。
東京都内のある高校でも、「赤い部屋」の噂がひとり歩きしていた。
そんな中、2年生の天根凛花は「赤い部屋」の内容が自分のみた夢の内容そっくりであることに気づく。
が、クラスメイトの黒河内莉子は、噂話を一蹴し、誰かの作り話だと言う。
だが、「呪い」は実在した。
「赤い部屋」の手によって残酷な死に方をする犠牲者が、続々現れる。
凛花と莉子は、死の連鎖に歯止めをかけるため、「解決策」を見出そうとする。
そんな中、凛花のスマートフォンにも「あなたは好きですか?」という広告が表示されてしまう。
「赤い部屋」から逃れる方法はあるのか?
誰がこの「呪い」を生み出したのか?
そして彼らはなぜ、呪われたのか?
徐々に明かされる「赤い部屋」の真相。
その先にふたりが見たものは——。

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?
冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。
オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。
だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。
その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・
「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」
「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

【完結】『霧原村』~少女達の遊戯が幽の地に潜む怪異を招く~
潮ノ海月
ホラー
五月の中旬、昼休中に清水莉子と幸村葵が『こっくりさん』で遊び始めた。俺、月森和也、野風雄二、転校生の神代渉の三人が雑談していると、女子達のキャーという悲鳴が。その翌日から莉子は休み続け、学校中に『こっくりさん』の呪いや祟りの噂が広まる。そのことで和也、斉藤凪紗、雄二、葵、渉の五人が莉子の家を訪れると、彼女の母親は憔悴し、私室いた莉子は憑依された姿になっていた。莉子の家から葵を送り届け、暗い路地を歩く渉は不気味な怪異に遭遇する。それから恐怖の怪奇現象が頻発し、ついに女子達が犠牲に。そして怪異に翻弄されながらも、和也と渉の二人は一つの仮説を立て、思ってもみない結末へ導かれていく。【2025/3/11 完結】
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

【完結】兄の事を皆が期待していたので僕は離れます
まりぃべる
ファンタジー
一つ年上の兄は、国の為にと言われて意気揚々と村を離れた。お伽話にある、奇跡の聖人だと幼き頃より誰からも言われていた為、それは必然だと。
貧しい村で育った弟は、小さな頃より家の事を兄の分までせねばならず、兄は素晴らしい人物で対して自分は凡人であると思い込まされ、自分は必要ないのだからと弟は村を離れる事にした。
そんな弟が、自分を必要としてくれる人に会い、幸せを掴むお話。
☆まりぃべるの世界観です。緩い設定で、現実世界とは違う部分も多々ありますがそこをあえて楽しんでいただけると幸いです。
☆現実世界にも同じような名前、地名、言葉などがありますが、関係ありません。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
このユーザをミュートしますか?
※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。