視えるのに祓えない~九条尚久の心霊調査ファイル~

橘しづき

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真夜中に来る女

女の姿

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「ごめんくださあい」

 しゃがれた声はやはり、第一声にそう言った。

 ちらりと隣を見ると、八重さんはしっかり両目を閉じて震えながら俯いていた。私はさらに強く肩を抱き彼女に体温を分けた。

「いますよねええええええ? ごめんくださあああい!」

 ガシャンガシャンと戸を叩きつつ女は絶叫した。それはどこか苛立ちを感じるほど余裕がなくなっており、痰が絡むような独特な声は耳を塞ぎたくなるほど不愉快な音だ。

「開いてるわよ、どうぞ」

 突如、麗香さんのそんな声が聞こえた。同時に、ピタリと女が動きを止める。

 麗香さんは腕を組んだまま動かずに女を見ていた。

 女はしばらく動かなかった。だが彼女が酷く喜んでいるというのがなぜか伝わってきた。ワクワクを隠しきれない、そんな彼女の心が読める。

 麗香さんはその場から一歩も動かなかった。長く沈黙が流れ、時が止まってしまったのかと錯覚しそうになる。

 だが次の瞬間、とうとうゆっくりゆっくりとガラス戸がひかれたのだ。

 徐々に見えてくる女の姿から目を逸らしてしまいたい衝動に駆られるも、私は必死にそれを堪えた。現場をこなして勉強したいと連れてきてもらったのは私だ、ここで目を瞑ってどうする。どんなに怖くても、私は見なくてはいけない。

 カラ…… カラ……カラ

 戸が開けられる。

 真っ赤なワンピースが目に入った。

 それは新品を下ろしたてのような鮮やかな赤で、皺のない綺麗な生地をしていた。同時に見えた女の足の皮膚はくすんだ青色をしていたので、服とあまりにアンバランスだ。

 足はやはりほとんど骨と皮だった。骨の形が分かってしまいそうなほど脂肪は見当たらない。それは手も同様で、骨が浮き上がった手先が確認できた。

 ロングヘアが見えた。ぐちゃぐちゃの黒髪だ。生まれてから一度も櫛を通したことのないような傷んだ絡まった髪たちが揺れている。

 そして身体。パンパンに膨らんだそれは赤いワンピースが破れてしまうのではないかと心配になるほど丸い。

「…………!」

 徐々に開かれた戸から、ついに顔が見えた。

 彼女がなぜあんなに顔と体が丸いのかようやく理解する。

 女の顔は、一つではなかった。

 中央に女の本体と思しき顔がある。真っ白な目にひどい団子鼻、厚い唇。そこに他の顔が加えられている。まるで粘土で作った顔たちを無理やり一つにまとめたような顔だ。他の顔たちは歪み、目も鼻も位置が崩れており性別や年齢すらわからない。

 遠目から見ても、その顔は三。三つの顔が頬や額に一体化していた。

「こんばんはあああ」

 女が言った瞬間、隣の八重さんの体がびくんと跳ねる。私はひたすらその肩を抱くしかできない。

 麗香さんも九条さんも何も言わなかった。女はそれはそれは嬉しそうに足を踏み入れる。折れてしまいそうな二本の足は靴を履いてはいなかった。薄汚い青い足が床を踏みしめる。

 不思議だ、こんなに暗い場所なのに、女の姿は一人輝いているようにハッキリと見える。

 女が家に入った瞬間、言葉で言い表せられない絶望感を覚えて眩暈を感じた。あまりに強い。この女が持つ死の力と攻撃の意が、あまりにも。

 彼女はすぐに、階段前にあるマネキンを見つけた。瞬間、中央にある大きな口がにや~っと笑う。厚い唇が広がり、頬にある顔はそれに押されてさらに歪んだ。

 その不気味すぎる顔にどきりとしたものの、すぐに自分を落ち着けた。女がマネキンを見て喜んでる。そうだ、そのままそれを八重さんだと思って攻撃して。そして早く帰って!!

 女はゆらりゆらりとマネキンに近づく。そして彼女はずいっと顔を近づけて、マネキンを見つめた。じっと長く長く、そのまま見つめた。

 嫌な静寂が流れる。

 早く、して。それを攻撃して。

 みんなの心の声に反し、女はピクリとも動かずにマネキンを眺め続けた。あまりに長い時間なので、ずっと動かなかった麗香さんさえ少し首を傾げる。

 その瞬間、ついに女が動いた。

……ゆっくりと近づけていた顔を元に戻し、何もせずに立ち尽くした。


 攻撃、しない??


 女は何もしなかった。マネキンに触れることすらしない。ただ偽の八重さんをじっと見つめているだけだ。

 麗香さんがやや戸惑うような素振りを見せた。恐らく普通ならとっくに攻撃を仕掛けているはずなのだろう。

 さっきまで満面の笑みだった女は口角を元に戻していた。じっと白い目でマネキンを見続け、次の瞬間くるりと方向を変えマネキンに背を向けた。

 そして口をぽっかり大きく開け、突如奇声を上げた。赤い舌がポロリと垂れた。

「あああああああ!」

 耳を塞ぎたくなるほどのひどい声だった。家中がその声で震える。そしてその声が発せられたと同時に、私の隣から小さな息が漏れた。

「ひっ」

 はっとして固まる。それはほとんど空気が漏れた音だ。女の絶叫に驚いて漏れてしまったものだった。

 だが、その僅かな八重さんの生命のサインを女は見逃さなかった。

 女の首がぐにゃりと曲がりながらこちらを向いた。
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