上 下
105 / 449
真夜中に来る女

すりガラスの向こうに

しおりを挟む
 私は掴んだ細い手首をぐいっと手前に引き寄せる。バランスを崩しよろめいた八重さんを抱きかかえるようにして支えた。

 その途端、ぶわっと鼻がもげてしまいそうな程の異臭に包まれる。

 八重さんはただキョトンとして私の顔を見上げていたが、私は厳しい目でじっと目の前の扉を見た。

「ちょっと、開けてー」

 まさこさんの声がする。

 ショートカットの髪に低い背。映るシルエットは紛れもなくまさこさんだった。

 それでも、

 それを支える彼女の二本の足は、

 今にも折れそうだ。

「? くろしまさ」

「しっ!」

 私はしっかり八重さんを抱きしめたまま言葉を制する。バクバクと鳴り出した心臓を必死に抑え、なんとか冷静になろうとつとめた。

 ここにいてもだめだ。私には何をすることもできない。

 私は目の前のまさこさんから視線を逸らさないまま八重さんの体をゆっくり引く。私の異変に気づいている八重さんは無言でそれに従った。二人でじっくり後退りしながら廊下を進む。

「ねえー? 開けてよー」

「…………」

「おねがーい、開けてー」

「…………」

「手がふさがってるのおー」

 ただ二人で足音を立てないように玄関から離れていく。手のひらにじっとりとした汗をかきながら、私はただひたすら八重さんから手を離さず居間まで戻る。

 あと少しで居間へつく、という時、遠目に見えるまさこさんの声色が変わり、抑揚のない言い方で呟いた。

「なんであけてくれないの」





 リビングへ入った瞬間扉を閉め、慌ててポケットに入っていた携帯を取り出して九条さんへ電話をかけた。

 玄関とは違い、ここはあの匂いがなかった。恐らくだが、扉を開けてはいないから女が入ってくることはないだろうと思う。今までも玄関さえ開けなければあの女は帰っていったのだ。

 それでもやつは確実に変わっていってる。夜中しか訪問しなかったのにこんな真昼に現れ、そして出かけているまさこさんの姿に変えてきたのだ。詳しいことは私ではわからないが、とにかくよくないことだと思った。

 しばらくコール音が響いたあと、九条さんではなく麗香さんの声が響いた。九条さんは運転しているのかもしれない。

『はあい?』

「れれ、麗香さんですか!? い、いま、来たんですあの女……!」

『あら。もう待ちきれないってわけね。戸は開けてないわよね?』

「な、なんとか……今買い物に出かけているまさこさんの姿だったから、開けようとしちゃったんですけど、かろうじて……」

『よく気づいたわね。招いてないなら大丈夫よ。でも玄関には近寄らないで。もう少ししたら帰るから待ってて』

「は、はい……」

『念のため八重さんを一人にしちゃだめよ。リビングからは出ないで』

 麗香さんはそれだけ言うと電話を切った。私が振り返ると、ガタガタと震えている八重さんが立ったままこちらをみていた。

 私は慌ててキッチンに入り塩を瓶ごと手に持ち、八重さんの側にいった。私が塩を持ったところで麗香さんとは違いなんの役にも立たないだろけれど、気休めでも持っていたかった。

 彼女の肩をぎゅっと抱きしめる。

「戸を開けてないなら大丈夫ですって……! もう麗香さんたち帰ってくるみたいですから……!」

「は、母はどうしたんでしょうか……」

「え、っと、多分化けてただけだからまさこさんの身に何かあったわけじゃないと思うんですが……そうだ、一応一人で家に入らず、麗香さんたちの帰宅を外で待っててもらいましょうか」

 八重さんは頷くと、近くから携帯を取り出しまさこさんに電話をかけた。すぐに相手は電話に出たようで、八重さんはことの始終を震えた声で話す。

 まさこさんの無事に安堵したのか、彼女は少し落ち着きを取り戻したが、電話を切ったあとさめざめと泣き出してしまった。

「どうしてこんなことに……私が何をしたっていうんでしょう……」

 大粒の涙を頬に流す彼女を、私はただ無言で抱きしめることしかできなかった。



しおりを挟む
感想 51

あなたにおすすめの小説

みえる彼らと浄化係

橘しづき
ホラー
 井上遥は、勤めていた会社が倒産し、現在失職中。生まれつき幸運体質だったので、人生で初めて躓いている。  そんな遥の隣の部屋には男性が住んでいるようだが、ある日見かけた彼を、真っ黒なモヤが包んでいるのに気がついた。遥は幸運体質だけではなく、不思議なものを見る力もあったのだ。  驚き見て見ぬふりをしてしまった遥だが、後日、お隣さんが友人に抱えられ帰宅するのを発見し、ついに声をかけてしまう。 そこで「手を握って欲しい」とわけのわからないお願いをされて…?

【書籍化確定、完結】私だけが知らない

綾雅(要らない悪役令嬢1/7発売)
ファンタジー
書籍化確定です。詳細はしばらくお待ちください(o´-ω-)o)ペコッ 目が覚めたら何も覚えていなかった。父と兄を名乗る二人は泣きながら謝る。痩せ細った体、痣が残る肌、誰もが過保護に私を気遣う。けれど、誰もが何が起きたのかを語らなかった。 優しい家族、ぬるま湯のような生活、穏やかに過ぎていく日常……その陰で、人々は己の犯した罪を隠しつつ微笑む。私を守るため、そう言いながら真実から遠ざけた。 やがて、すべてを知った私は――ひとつの決断をする。 記憶喪失から始まる物語。冤罪で殺されかけた私は蘇り、陥れようとした者は断罪される。優しい嘘に隠された真実が徐々に明らかになっていく。 【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ 2024/12/26……書籍化確定、公表 2023/12/20……小説家になろう 日間、ファンタジー 27位 2023/12/19……番外編完結 2023/12/11……本編完結(番外編、12/12) 2023/08/27……エブリスタ ファンタジートレンド 1位 2023/08/26……カテゴリー変更「恋愛」⇒「ファンタジー」 2023/08/25……アルファポリス HOT女性向け 13位 2023/08/22……小説家になろう 異世界恋愛、日間 22位 2023/08/21……カクヨム 恋愛週間 17位 2023/08/16……カクヨム 恋愛日間 12位 2023/08/14……連載開始

実力を隠し「例え長男でも無能に家は継がせん。他家に養子に出す」と親父殿に言われたところまでは計算通りだったが、まさかハーレム生活になるとは

竹井ゴールド
ライト文芸
 日本国内トップ5に入る異能力者の名家、東条院。  その宗家本流の嫡子に生まれた東条院青夜は子供の頃に実母に「16歳までに東条院の家を出ないと命を落とす事になる」と予言され、無能を演じ続け、父親や後妻、異母弟や異母妹、親族や許嫁に馬鹿にされながらも、念願適って中学卒業の春休みに東条院家から田中家に養子に出された。  青夜は4月が誕生日なのでギリギリ16歳までに家を出た訳だが。  その後がよろしくない。  青夜を引き取った田中家の義父、一狼は53歳ながら若い妻を持ち、4人の娘の父親でもあったからだ。  妻、21歳、一狼の8人目の妻、愛。  長女、25歳、皇宮警察の異能力部隊所属、弥生。  次女、22歳、田中流空手道場の師範代、葉月。  三女、19歳、離婚したフランス系アメリカ人の3人目の妻が産んだハーフ、アンジェリカ。  四女、17歳、死別した4人目の妻が産んだ中国系ハーフ、シャンリー。  この5人とも青夜は家族となり、  ・・・何これ? 少し想定外なんだけど。  【2023/3/23、24hポイント26万4600pt突破】 【2023/7/11、累計ポイント550万pt突破】 【2023/6/5、お気に入り数2130突破】 【アルファポリスのみの投稿です】 【第6回ライト文芸大賞、22万7046pt、2位】 【2023/6/30、メールが来て出版申請、8/1、慰めメール】 【未完】

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

あなたのサイコパス度が分かる話(短編まとめ)

ミィタソ
ホラー
簡単にサイコパス診断をしてみましょう

【完結】伴侶がいるので、溺愛ご遠慮いたします

  *  
BL
3歳のノィユが、カビの生えてないご飯を求めて結ばれることになったのは、北の最果ての領主のおじいちゃん……え、おじいちゃん……!? しあわせの絶頂にいるのを知らない王子たちが吃驚して憐れんで溺愛してくれそうなのですが、結構です! めちゃくちゃかっこよくて可愛い伴侶がいますので! 本編完結しました! 時々おまけを更新しています。

病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない

月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。 人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。 2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事) 。 誰も俺に気付いてはくれない。そう。 2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。 もう、全部どうでもよく感じた。

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。