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真夜中に来る女

過去の話

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 私の表情に現れていたのか、八重さんが不思議そうに首を傾げてこちらを見る。私は苦笑して告げた。

「私も以前結婚の予定があったんですけど。ずっと内緒にしてたこういう……視る能力のことがバレて、それが原因で別れちゃって」

「……え」

「あ! 私の場合と八重さんの場合はまた違うと思います! 信じてくれる人は信じてくれますし。でも、言い出せない気持ちはよくわかるし、無理に言わなきゃいけないことでもないかな、と私は思っています。言える時になってからでもいいのかなって」

 私の言葉に彼女は微笑んだ。初めて会った時から思っていたが、八重さんはとても柔らかい雰囲気をもった女性だと思った。本人が言うように、誰かに恨まれるとか考えられないほどに。

 紺色のスカートに白いカーディガンが特に八重さんに似合っている。可愛らしい人だと思う。

「八重さん、今お仕事はお休みなんですよね?」

「ええ……あの女が来るようになって仕事に集中できなくなって。最近体調不良を理由に休んでました。昨日の朝比奈さんのお話を伺って、本格的にこれからどうしようか考えてねばなりませんね」

「どんなお仕事をされてるんですか?」

「靴を作ってます。デザインするんです」

「へえ! すごい、なんか似合ってます納得!」

 私は素直にそう言った。嘘偽りない感想だ。なんか八重さんが靴をデザインして作ってるって、すごく似合ってる。繊細で可愛らしいデザインをしてそうだ。

「本当ですか? 小さい頃から靴が大好きで。仕事も楽しくできてます」

「そういえばここの靴箱、最初に家を調査するときに覗かせてもらったけど可愛らしい靴が多いなあと思ってました」

「え! 本当に?」

 私の言葉に、八重さんの顔がぱあっと輝いた。ここ最近疲れた表情ばかりだった彼女に光が差し込んだよう。よっぽど靴が好きらしい。

「あの中にも私がデザインしたものたくさんあるんです」

「すごい! ちょっと見せてもらってもいいですか?」

「喜んで!」

 八重さんはニコニコと立ち上がって玄関へと向かっていく。スキップさえ始めそうなその後ろ姿を見て可愛らしすぎて微笑んだ。

 玄関についた八重さんは、出してあった靴を適当に履くとすぐにしゃがみ込む。あまり大きいとは言えないよくある靴箱の扉を引いた。

 中には多くの靴が並んでいる。特にヒールが多かった。さまざまな色の靴に女としてほうっとため息を漏らした。

 八重さんはそのうちの一つを取り出して私に見せてくれる。

「一番最近のものです」

 ネイビーに黒いリボンが付いていた。女性らしく、それでいて可愛らしすぎないデザインはお世辞抜きにとても素敵だと思った。

「可愛い!」

「本当ですか? 嬉しい!」

「こういう色が一番使いやすいですよね」

「そうそう、服に合わせやすいんです。黒島さんはどういった靴をよく使います?」

 聞かれた瞬間うっと言葉に詰まる。私が今持っているのはちょうどそこの隅に置いてあるローヒールの履き古したもの一足なのだ。丁度今八重さんが履いているものもローヒールのものだが、それとは似ても似つかないほど地味でくたびれている。

 私は正直に言った。

「私今、ちょっと色々あって。その靴しか持ってないんです。そろそろ新しい靴欲しいなと思ってたんですけど……」

「え?」

「少し前までちょっとこう、人生のどん底で。今這い上がってきたところなんです」

 私の言葉を聞いて、八重さんは深く追及はしなかった。優しく微笑んで小さく頷くだけ。それでもその対応が私は嬉しいと思えた。

 八重さんは持っていた靴をしまって言う。

「ヒールはあまり履かないですか?」

「そうですね、今の仕事がどうしても結構歩くことが多いんですよね。今回はそこまでだけど……だからヒールあると疲れちゃうかも」

「そうかあ。体を動かすお仕事だと靴って重要ですよね。靴はデザインもだけど履き心地も重要だし」

「八重さんはファッションから見てもヒールが似合いそうですね」

「そうですね好きです!」

 麗香さんにしろ八重さんにしろ、やっぱり足元はオシャレな靴を履いているのは共通していると思った。やっぱり私はもう少し身だしなみも考えたい。お金に余裕はないけど、安くてももう少し可愛い靴を買ってみようか。でも靴って足に合わないと歩くのが辛いんだよなあ……。

 八重さんが嬉しそうに取り出してくれる靴たちを見ながらそんなことを考える。紹介してくれる八重さんは本当に楽しそうで、これだけ好きなことを仕事にできているのは羨ましいとさえ思った。

「八重さんの結婚相手の方は、同じ職場の方とかですか?」

「ええ、そうなんです! 私の靴好きをわかってくれてるからありがたいです」

「あはは、それ重要ですね。どんな人なんですか彼氏さん」

 八重さんは持っていた靴をしまいながら、少し恥ずかしそうに言った。

「とても素敵な人ですよ。仕事もできるし、その、結構モテる人です」

「へえ!」

「ふふ、惚気に聞こえちゃいますね。でもほんと、なんで私が選ばれたのかなあって思うくらい」

 目を細めて笑う八重さんがあまりに幸せそうで、私もつい一緒になって笑った。

「いいえ、凄く納得ですよ。八重さんとても素敵な人だと思います。お世辞じゃないですよ」

「そんな……ありがとうございます。
 でも、誰かに恨まれてるのも確実ですから……」

 悲しげに呟いた八重さんの言葉を聞いて、慰めることはできなかった。誰かに並じゃないほど恨まれているのは事実なのだ。

 でも、なあ。

 私はぼんやりと八重さんをみる。やっぱりこうやって話してても人に恨まれるなんて全然思えない。凄く優しい人なのに。

 もしあるとしたら、九条さんが言っていたように何かの逆恨みだと思った。そうだ、婚約者の人はモテるって言ってたし、どこかの女がそのことで八重さんを恨んでいるとか。十分ありえる話だと思う。

「黒島さん?」

「あ、すみません、ぼうっとしてた」

「いいえ、私が興奮して一人話しすぎちゃった。戻りましょう」

 二人で立ち上がった。さてリビングへ戻ろうとした時、背後で聞き覚えのあるガラス戸の揺れる音が響いた。

 ガシャン、と小さな音とともに声がする。

「ごめんね、ちょっと開けてくれるー? 荷物がいっぱいなのよー」

 まさこさんの声だった。明るい外が見えるすりガラスに、まさこさんのシルエットが映り込む。少し困ったように体を揺らしていた。

 八重さんが笑いながら言う。

「お母さん。ちょっと待ってね」

 そう彼女が一歩踏み出した瞬間、私ははっと違和感に気がついた。

「……っ、八重さん!!!」

 大声で叫び、慌てて彼女の腕を力強く掴んだ。驚いた顔で八重さんが振り返る。彼女の右手はガラス戸に触れていたが、まだ戸を開けてはいなかった。
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