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目覚めない少女たち

お給料

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 伊藤さんはそれを開くこともせずそのまま鞄に入れていた。そして私に尋ねる。

「今日もお弁当? だよね」

「あ、はいそうです!」

 節約生活のために、事務所に出勤する日はいつも弁当を持参するようにしていた。百均で買った弁当箱もそろそろいいものに買い替えられるかもしれない。

 伊藤さんははーあと悩ましげに息を吐いて九条さんの方を見た。

「いいなー九条さんは手作りの弁当で」

 どきっと胸が鳴る。

 以前から弁当を持参して事務所で食べていると、外に出るのが億劫な九条さんに『ポッキーあげるから弁当分けてください』だなんて交渉されることが日常になっていた。

 あまりに続くもんだから、おにぎりの数を多くするところから始まり、そのうち百均でもう一つ弁道箱を買い、九条さんにも作ってくるのが日課になった。普通意中の男性にお弁当を作ってくる、だなんてかなりハードルの高い事だが、今回ばかりはスムーズに事は運んだ。だってそうしなきゃ私の弁当が毎日半分減ってしまうんだもの。

 九条さんも特に深く考えず『ありがとうございます』といって受け取って食べるだけだ。伊藤さんにモーニングコールを毎日させてるんだし、彼は周りの人との距離感というものをわかっていないので、あまり特別な事とは思われていない。

 ただこちらとしては、やはり気になる人に手料理を振る舞うということで無意識に気合が入ってしまうことは否めない。自分一人なら適当で済むのに。

「いや、夕飯の残り物とか詰め込んでるだけですよ……! 大したものじゃないですし」

 私は慌てて伊藤さんにいう。彼は少し口を尖らせて言う。

「僕一人だけ寂しく外食じゃーん」

「外食の方が美味しいですよ確実に……」

「毎日じゃ飽きるんだって。じゃあ今度お金払うから僕のも作ってくれる?」

「え! い、いいですけど別に……」

「やったね! 楽しみ!」

 伊藤さんはそう言って犬のように笑った。片方の頬に浮かぶ小さなエクボにくしゃりとなるその笑顔は可愛い。これ以外に表現しようがない。私はほうっと自分の体の力が抜けるのが分かる。

 年上の、しかも男性に使う言葉ではないけど、だって伊藤さん可愛すぎる。

 彼は上着を軽く羽織ると、私に手を振った。

「んじゃとりあえず今日は行ってきまーす!」

「あ、行ってらっしゃい!」

 伊藤さんが事務所を出て行って扉がバタンと閉まると、一気に静寂が訪れた。今日は普段ついているテレビが消えているせいもある。九条さんゲームに夢中だから。

 私は持ってきた袋から弁当箱を取り出し、座っている九条さんの机の上に無言で置いた。

「ありがとうございます」

 抑揚のない声で九条さんは答えた。

 それを横目で見ながらはあと小さく息を吐く。

 ほんと、好きな人に弁当を作るのってイメージ違うよ。これじゃあ動物に餌やる飼育員の心境と同じだ。

 私は再び九条さんから離れた椅子に腰掛けると、弁当を開く前にまず先程いただいた明細書をとりだした。働くと決めてから伊藤さんに簡単な給与の説明も受けたけれど、バタバタしててあまり覚えてないし、その月の依頼の量で少し変動すると言っていたから具体的に想像つきにくい。

 こっそり明細を取り出して開く。まだ働き始めてまもないのだし、そこまでの額は期待していない。

(…………え!)  

 心の中で声が漏れた。私は目を丸くしてその数字を眺める。

 そこにあった額は、以前自分が数年働いていた会社よりも少しだが多いくらいだったのだ。勤めて1ヶ月、研修期間のようなものなのに。思ったより多かった。

「どうしましたそんなに驚いて」

 九条さんの声がする。私が顔を上げると、彼は携帯を手に持ったままこちらを見ていた。

「いや、思ったより多かったから驚きました……」

「そうですか?」

「小さな事務所だし、特殊な仕事だから正直あまり期待してなかったです」

「以前も言ったでしょう、特殊ゆえ意外と儲かるんですよ」

「そうでしたね……」

「光さんのおかげで早く解決することも多々ありますから、そうなれば依頼の数を多くこなせることになります。以前はタイミングが悪いと断っていたので。事務所にとっても助かります」

「そ、そんな……ありがとうございます」

 あまり役立ってる感じはないのだが、上司がこう言ってくれるのだから素直に受け取っておこう。私の頬がさらに緩む。

 私は再び視線を落とす。これなら、弁当箱だけじゃなくてちょっといい化粧品ぐらいも買えるかもしれない。貯金もそれなりにしておかねばならないけど、自分へのご褒美も大事だと思う。

 またしても高揚してきた気分を抑えながら明細書を細かく見ていると、ふと気になる点が一つあった。

「九条さん」

「はい」

「この特別手当、って何ですか?」

 私が尋ねると、九条さんは一瞬考えるように前を向いた。だがすぐに思い出したのか、ああ、と小さくつぶやく。

「昼食代です」

「え?」

「光さんは私に昼食を用意してくれてるので。その労力や材料代などもあるでしょうから、入れておきました」

 九条さんはそれだけ言うと、また携帯に視線をもどした。

 私はそんな無表情の彼の横顔を見ながら驚きを隠せなかった。

 九条さんは人に気遣い出来ないスーパーマイペースなお人だ。まさか、私が作ってくる弁当のお金を払ってくれるなんて思ってなかった。伊藤さんじゃあるまいし。

 意外とそういうところ気が回るんだ……。

「で、でもこれじゃ多いですよ、いつも適当ご飯なのに」

 慌てて言う。貧乏生活ゆえ、質素なおかずが多かったのに。

 しかし九条さんは平然と答えた。

「多くないですよ。
 あなたが作る物、なんでも美味しいんですから」

 油断した時に攻撃された銃弾は私の心臓を撃ち抜いた。一瞬で心臓は普段の動きから加速する。

 ……くっそ、気になる人にそんな事言われたら、嬉しいに決まってるじゃないか。

「あり、ありがとうございます……」

 少し震える声で答えたあと、心の中で九条さんにももう少しいいお弁当箱を買おう、と誓った。あと食材ももうちょっといいおかず入れてくるんだから。

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