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光の入らない部屋と笑わない少女

暴走

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 呆然とした顔で九条さんを見つめている。

「ぱっと見てわかるような物は勿論、目視では確認できない林檎の混入も避けている。恐らく成分表を見て判断しているのでしょう。子供の好き嫌いはよくあることですが、成分表を見てまで避ける事は中々ありません。恐らく、本当のご両親が指導されていたのですよ、賢い子です」

「…………」

「あなたが母親であるなら、なぜあの子のアレルギーについて知らないのですか? 命に関わる事ですよ」

「…………」

「……まあ、ここまで述べた事全て否定してもらっても構いません。
 我々はもうすでに警察に相談済み、拝借した髪の毛で、あの子が半年前行方不明になっていた福井加奈子さんだと判明しているのです。警察が突入するより、出入りが自由な我々が保護した方が安全だと計画を立てた上での今日です。まもなくここにも警察が入ってきます。

 あの子の失声症の原因は誘拐され監禁されたショックから。あなたのうなされる原因はあの子の守護霊からの攻撃だったから。以上が今回の調査報告です」
 
 九条さんの説明に、初めて岩田さんは項垂れた。

 私は壁にもたれながら目を瞑って息を吐く。

 答えは全て出た。

 リナちゃんを恐ろしいと思った。きみが悪いと思っていた。でも、あれは全て当然の反応だった。

 突然誘拐されて親と離れ離れになり、監禁までされて知らない女性が母親として接してくる。彼女からすれば恐怖そのものだろうし、自分を誘拐した相手が夜中うなされていても無表情で眺めてしまうのは致し方ない反応だ。言葉を失い心が病んでしまっていた。

 思えば、私は最初リナちゃんに「お母さんを助けるために来た」と自己紹介していた。あれでは、私たちも岩田さんの仲間だと思って心を開いてくれないのも頷ける。

 対して伊藤さんは「リナちゃんを助けられたらいいな」と自己紹介していた。無論伊藤さんの癒しパワーも大きいが、あの言葉にリナちゃんは伊藤さんに心を開いたのかもしれない。

 ……言葉を失くしても、私たちにサインを出そうとしてくれた事は多々あった。今なら気づけるのに。それを、きみが悪いで片付けていたなんて。自分に呆れる。

 もっと早く気づいてあげられなくてごめん。君は、とても強い子だよ。

 悔しさと後悔から少し目の前が滲んだ時、沈黙を流していた岩田さんがポツリと低い声を漏らした。

「……あの子、は」

 少し震えている声だった。今まで聞いたことのない、苦しそうな声に聞こえる。

「あの子は……
 私の子です。 返してください」

 はっとして岩田さんを見る。その瞬間、彼女は隣にあるキッチンに入り込み素早い動作で何かを取り出し、すぐにまた戻った。僅かな隙間から見える岩田さんの顔は蒼白で目は血走っているように見えた。それを見てゾッとする。

 ああ、……やばい気がする!

 岩田さんがそっと手に持つ銀色を掲げた。キラリと反射する包丁だった。

「あの子は私の子です、私がお腹痛めて生んだ子なんです、今すぐに! 連れ戻して!!」

 耳がキンとするような金切り声がリビングに響き渡る。その顔と行動から、彼女に正気がないことは確かだった。いや、人を誘拐して監禁する時点で正気などないのだろうか。

 九条さんの姿はこちらから見えなかった。ただ私には、包丁を九条さんに向かって構える女しか見えない。

「私の子です、私の子なんです、私の子なんです、私の子なんです、私の子なんです、私の子なんです……私の娘、私の娘、私の可愛い娘ぇ!」

 壊れたテープのように何度も繰り返し言う岩田さんは、包丁を持ったまま走り出した。

「! 待っ!」

 岩田さんが叫びながら九条さんに飛びかかろうとした瞬間、私は目の前の扉を思い切り開いていた。そして、無我夢中でその背中に両手を広げ、彼女を背後から羽交い締めにしたのだ。

 ようやく見えた九条さんの表情は、岩田さんと言うより私を見て驚きで目を丸くしていた。

「九条さっ、逃げ」

 私と体型はほとんど変わりない岩田さんだが、これが我を失っている人間の馬鹿力なのだろうか。包丁を持ちながら体を捻る彼女の力と強引さはとんでもないものだった。岩田さんが首を振るたび、その傷んだ黒髪が顔に当たって痛い。

 先の尖った包丁をブンブンと振り回すその腕に恐怖を感じながらも、私は必死にその力に食らい付いていた。

「黒島さん!」

 九条さんの声が響いた瞬間、岩田さんの力に押された私はつい腕が解けて背後に倒れ込んでしまった。腕が滑ったことにはっとし、目の前の岩田さんを目で追う。彼女は私には目もくれず、九条さんだけを見ていた。

「九条さん!!」

 夜叉のような顔をした岩田さんが九条さんに突進していく。私は悲鳴を上げながらそれを目で追っていた。

 九条さんはパニックになることもせず、到って冷静に岩田さんを見つめていた。鋭いその黒目は獲物を捕える野生動物のようにも思えた。

 包丁を両手で構えたまま突進してきた女を、九条さんはさらりと身を返して避けた。一切無駄のない動きだった。

 そして、振り返った岩田さんを睨み付けると、黒いパンツを履いた長い足をすばやく蹴り上げ、ピンポイントで包丁を蹴り上げた。洗練されたその動きが美しい、と思った。

 一瞬の流れだった。包丁が岩田さんの腕から落ちる。

 カラン、と金属音が部屋に響いたかと思うと、九条さんは唖然としている岩田さんにすぐさま接近しその腕を捻り上げた。彼女は苦痛の表情を浮かべながらされるがまま床に倒れ込む。

 九条さんはそれを見下げながら言い放った。

「ちなみに守秘義務は約束通り守れなかったので、今回は依頼料は結構です。まあ、相手が犯罪者となれば守秘義務も何も関係ないのですがね。
 あなたのようなクズ相手には、依頼料すら貰いたくない」

 冷たい九条さんの声が部屋に消え入った。そしてそのタイミングで、ようやく玄関が開きバタバタと騒がしい足音が響いたのだ。

「警察です!」

 警察の突入だった。数名の男性が状況を見てすぐに把握したのか、床に倒れ込んでいる岩田さんを拘束する。

 岩田さんはもう何も言わず無言でグッタリしていた。ようやく諦めたのかもしれなかった。

 数名の男性に囲まれ、九条さんはようやく岩田さんから手を離した。慌ただしく人々が入ってくる中で、私は床に座り込んだまま呆然としていた。
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