上 下
41 / 449
光の入らない部屋と笑わない少女

外へ

しおりを挟む
 光の入らないこの部屋では朝も夜も感じないが、時計は午前三時。外は真っ暗のはずだった。

 緊張で吐いてしまいそうだった。正直なところ、私にそんな重要な役割はないのだがどうしても気持ちが昂る。

 今回一番重要なのは伊藤さんだった。いつもニコニコしている彼が、珍しく影を落とし表情も暗くなっていた。さっきから何度も落ち着きなさそうに咳払いをし、困ったように息を吐いていた。

 そんな彼を励ますように、九条さんが言う。

「大丈夫です。この二日間もリナさんと打ち解けて仲良くなってましたから。あなたはいつものように笑っていればそれで十分です」

「はい、行けます」

「もし感づかれた場合は計画通り強行突破です。いいですね」

「はい」

 強く頷いた。そしてみんな顔を見合わせ、伊藤さんが先頭となって部屋から出る。

 足音を立てないようにそうっと歩み、廊下に出た。床の軋む音すらどきりと心臓を鳴らせた。

 伊藤さんがゆっくり目の前の扉を開ける。真っ暗な部屋に入り、九条さんが足元をライトで照らした。私は出入り口で見守ることにする。

 二人は細心の注意を払いながらベッドに近づいた。熟睡しているリナちゃんと岩田さんがいる。

 伊藤さんはしゃがみ込み、優しく寝ているリナちゃんの肩を叩いた。

 とんとん、とんとん

 その小さな衝撃だが、意外と彼女は目を覚ました。子供なら起きないかもしれないと心配していたが、彼女はパチっと目を覚ましたのだ。これも、何かの力が働いているのだろうか。

 目を覚ましたリナちゃんを見て、伊藤さんがニコリと笑った。

 そして人差し指を立て、口元に当てた。しーっと小声が漏れる。

 リナちゃんは無言で頷いた。

 伊藤さんは目を細めて優しく微笑み、ゆっくり布団を剥ぐ。リナちゃんも音を立てないように起き上がり、そうっとベッドから足を下ろした。

 伊藤さんがそんなリナちゃんを抱きかかえた。素直にそれに従い、彼の服を握りしめている。

 岩田さんはまるで起きなかった。寝息すら聞こえてこない。不気味なほどに、彼女は熟睡している。ハラハラしながら私はただ見守っていたが、これまでは思った以上にスムーズで早く事が進んでいる。

 九条さんたちはそこから退散した。

 寝室から出てきてハッキリ見えたリナちゃんの顔は、どこか柔らかく見えた。伊藤さんに抱っこされてるからなのか、これから外に出られる事を分かっているのか。

 九条さんが先頭になり玄関へ急いで移動する。どうしても岩田さんが寝ている隙に外へ出たかった私達は、どうか彼女が起きませんようにと祈った。リナちゃんを外に出すだなんて、反対することはわかり切っているのだ。

 そして私たちはそのまま玄関から飛び出し、あの光の閉ざされた部屋から脱出した。廊下は夜中のためひっそりとしており、当然ながら人気はない。

 私は走り出し、すぐにエレベーターを呼んだ。エレベーターは即座に扉を開けた。

 全てが驚くほど順調だ、恐ろしいほどに。

 みんなで箱に乗り込み1階へと下がる。誰も言葉を発さなかった。ぐんぐんと下降するエレベーターの中で、みんなが険しい顔をしていた。ただ一人伊藤さんだけは、優しく微笑んでリナちゃんに笑いかけていた。今更ながら、彼のこういう気遣いは感嘆してしまう。

 そしてついにエントランスに辿り着き、私たちはリナちゃんを連れて外に飛び出したのだ。


 未だ暗い道。でも、外気の空気は心地よく街灯の灯りだけでも、あの部屋よりずっと明るく感じた。



「で、出た……っ」

 私は声を出し、すぐにリナちゃんを振り返った。

 彼女は怖がることもなく、暴れることもなかった。伊藤さんにしがみつき、キョロキョロとあたりを見回していた。伊藤さんはリナちゃんが寒くないよう、抱っこしながら自分のコートの中に彼女を入れる。

 はあ、と息を吐く。緊張が解けた。

 九条さんが言った。

「まだ迎えは来てませんでしたか。すぐ来るはずです、伊藤さんと黒島さんはここで待機しててください」

「え……九条さんは?」

 私は驚いて彼を振り返る。九条さんはまだマンションの出入り口の扉を開いたままにしていた。オートロック式の入口なので、閉まったらもう中には入れなくなるのだ。

「戻ります」

「は」

「岩田さんは私のクライアントなので。調査報告をせねばなりません」

「で、でも!」

 言葉を出したのは伊藤さんだった。九条さんはそれでも続ける。

「これを逃すとチャンスは無くなりますから。あなた方はここで迎えを待っていてください」

 九条さんはそう告げると、くるりと踵を返してマンションの中へと入って行ってしまった。私は反射的に、閉まりそうになった扉を手に掴む。

 こんな時に、律儀さを出さなくてもいいのに。調査報告なんて、今やってる場合ではない。

 九条さんの白い服がエレベーターの中に吸い込まれていく。その背中を見て、どうしようもない不安に包まれた。

 胸が締め付けられる。嫌な予感がする。

 焦燥感に苦しくなり拳を握った。

 諦めたように背後で伊藤さんが声を掛けてくる。

「光ちゃん、もう少し灯りのあるところに……」

「私……」

「え?」

「私、九条さんと一緒に行ってきます!」

「え、ちょ、ちょっと待って!!」

 伊藤さんが慌てて私を呼んだが、それを無視して駆け出した。リナちゃんを抱っこして両手が塞がっている彼に、私を止める術などない。

 マンションの中へ再び入り、すでに動き出してしまったエレベーターを見て焦りを感じる。私は隣にある階段を駆け上がった。

 胸騒ぎがする。

 もし、もし九条さんに何かあったら。

 そんな想像をするだけで息が止まりそうだった。必死に足を回転させて階段を駆け上がっていく
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

藍沢響は笑わない

橘しづき
ホラー
 椎名ひなのは、毎日必死に働く新米看護師だ。    揉まれながら病院に勤める彼女は、ぱっと見普通の女性だが、実は死んだ人間が視えるという、不思議な力を持っていた。だが普段は見て見ぬふりをし、関わらないように過ごしている。    そんな彼女にある日、一人の男が声をかけた。同じ病棟に勤める男前医師、藍沢響だった。無口で無愛想な彼は、ひなのに言う。 「君、死んだ人が見えるんでしょう」   同じ力を持つ藍沢は、とにかく霊と関わらないことをひなのに忠告する。しかし直後、よく受け持っていた患者が突然死する……。    とにかく笑わない男と、前向きに頑張るひなの二人の、不思議な話。そして、藍沢が笑わない理由とは?

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

意味がわかるとえろい話

山本みんみ
ホラー
意味が分かれば下ネタに感じるかもしれない話です(意味深)

意味がわかると怖い話

邪神 白猫
ホラー
【意味がわかると怖い話】解説付き 基本的には読めば誰でも分かるお話になっていますが、たまに激ムズが混ざっています。 ※完結としますが、追加次第随時更新※ YouTubeにて、朗読始めました(*'ω'*) お休み前や何かの作業のお供に、耳から読書はいかがですか?📕 https://youtube.com/@yuachanRio

#この『村』を探して下さい

案内人
ホラー
 『この村を探して下さい』。これは、とある某匿名掲示板で見つけた書き込みです。全ては、ここから始まりました。  この物語は私の手によって脚色されています。読んでも発狂しません。  貴方は『■■■』の正体が見破れますか?

勝負に勝ったので委員長におっぱいを見せてもらった

矢木羽研
青春
優等生の委員長と「勝ったほうが言うことを聞く」という賭けをしたので、「おっぱい見せて」と頼んでみたら……青春寸止めストーリー。

イケメン王子四兄弟に捕まって、女にされました。

天災
BL
 イケメン王子四兄弟に捕まりました。  僕は、女にされました。

(ほぼ)1分で読める怖い話

アタリメ部長
ホラー
ほぼ1分で読める怖い話! 【ホラー・ミステリーでTOP10入りありがとうございます!】 1分で読めないのもあるけどね 主人公はそれぞれ別という設定です フィクションの話やノンフィクションの話も…。 サクサク読めて楽しい!(矛盾してる) ⚠︎この物語で出てくる場所は実在する場所とは全く関係御座いません ⚠︎他の人の作品と酷似している場合はお知らせください

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。