上 下
19 / 449
光の入らない部屋と笑わない少女

気の迷い

しおりを挟む
「ちょっと駅から遠いけど、まあまずまずだったよね」

「綺麗だしオートロック付きだしでまずまずどころか最高ですよ!」

「ならよかった。家電とか買えた?」

「とりあえず必要な分は。新生活、頑張ります」

 私がガッツポーズを取ったのを見て、彼は優しく微笑んだ。その笑みが、安心から来てるものだと私は気づいていた。

 ここで働くと決めた日、「歓迎会だあ!」と伊藤さんに連れられ3人で夜居酒屋に行った時、お酒の力も借りて私は過去の話を伊藤さんにも話していた。

 彼は泣き上戸なのか、目を真っ赤にして私の話を聞いてくれて、まるで親のようによかったねと言ってくれたのだ。

 本当、伊藤さんって出来すぎた人。

 私がニコニコしていると、ふと彼はこちらを覗き込んだ。

 そしてうんうん、と一人で頷いて言う。

「光ちゃん素顔も可愛いけど、化粧するとまた大人っぽくなって印象変わるね!どっちもいいね~」

 私ははあ、と感嘆のため息を漏らす。拝むように手を合わせて伊藤さんに言う。

「どうやったら伊藤さんみたいに育ちますか」

「ええ?」

「いつでも100点の答えです」

「やったね100点!」

 もうほんと、完璧。気遣いの神様と呼ぼう。伊藤さんと付き合う女の子は幸せだろうな。

 私は心の中でそう呟くと、事務所内をようやく見渡した。そこには、私と伊藤さん以外はいない。

「九条さんはまだなんですか?」

「ああ、今日は起きるの早くて3回目の電話で起きたからね。そろそろ来ると思うよ」

「3回目で早いんだ……」

 呆れて呟く。そもそも、いい大人がモーニングコールしなきゃ起きないってありえない、人間として。

 伊藤さんが困ったように頭をかく。

「放っておくと夕方まで寝てたりするし、その間依頼人の人が来たら待たせる羽目になるからさー。いつのまにかモーニングコールが習慣になっちゃったよね」

「寝起き悪すぎですからね九条さん……仕事中は寝なくてもシャキッとしてるくせに」

「仕事に関しては真面目だからね。しかし電話だとほんと中々起きなくて、ほかにいい方法はないか探してるんだけどねぇ~……」

 腕を組んで考える伊藤さんを不憫に思う。面倒見がいいからなぁ、伊藤さん。相手があれでは彼の気苦労は絶えないだろうに……

 そう話していた時、背後の扉がガチャリと開いた。私と伊藤さんは同時に振り返る。

 扉から出てきた人は、すらりとしたスタイルに白い肌、高い鼻。整った顔はそこいらの俳優よりよっぽど美しく、初見ならば二度見は必須なほどだった。

 白い服に黒いパンツ、黒いコート。見慣れたモノトーンなコーディネイト。彼はニコリともせず、私たち2人を見て挨拶をした。

「おはようございます」

 その人が現れた瞬間、自分の心臓が一瞬どきりとなった。顔を見るのは3日ぶりだった。

 伊藤さんが挨拶を返す。

「あ、九条さんおはようございます~!今日は早かったですね!」

「ええ、なんだか今日はスッと目が覚めたので」

「いつもこうであってくださいよ~」

 九条さんはゆっくりと私に視線をうつした。目が合った瞬間、またしても私の心は飛び跳ねる。

「黒島さん、もういいんですか」

「あ、はい、おやすみありがとうございました!」

「はい。またよろしくお願いします」

 抑揚のない言い方でそう簡潔に述べると、九条さんはスタスタと事務所内に入り、コートも着たままソファに腰掛けた。私はその光景を、目で追って見ていた。

 まあ、そうだよね。この人が伊藤さんみたいに、私のメイクした顔にコメントするなんてありえない。

 だって気遣いや配慮という言葉と一番遠いところにいる人なんだから。





 九条尚久27歳。この人が、この事務所の責任者であり私の上司、そして命の恩人でもある。

 彼も私と同じように『視える』人で、その能力を使い怪奇な現象に悩む依頼をこなしている人だ。

 ただし彼の場合、視えると言っても黒いシルエットだそう。その代わり、霊の声が聞こえて場合によっては会話もできると言う特技の持ち主だ。

 誰しもが見惚れるビジュアルをお持ちの人だが、当の本人はとんでもなくマイペースで天然、生活力なし。悪い人ではないのだがあまりに変な人すぎる。

 ……その変な人を少し意識してしまっている自分は趣味が悪いのだろうか。

 仕事の最中の真剣な眼差しや頭の回転の速さ、時折見せる優しさと笑顔にときめいてしまった私は、これを恋と断定していいのかまだ迷っている。正直に言えば、恋したくない。こんな変人を好きになっては苦労するのが目に見えてるからだ。多分叶うことはないだろう。

 一人で九条さんの横顔を見ながらこっそりため息をつく。好き、なのかなぁ。

 そう悩んでいるとき、ふと彼の黒髪が気になった。私は無言でそうっと九条さんに近寄る。

 普段寝癖が付いてる事が多い彼の髪は今日は跳ねてはいなかった。その代わり。

「……九条さん、髪濡れてません?」

 信じられない物を見た。彼の髪は半乾き状態であったのだ。

 九条さんは何か問題でも?とばかりにこちらを向いた。

「朝シャワーを浴びてまだ乾いてないんです」

「ちゃ、ちゃんと乾かしてくださいよ!今真冬ですよ!?」

「今乾かしてます」

「自然乾燥じゃなくてドライヤーで!」

「ドライヤーなんて持ってません」

「!?」

 目を丸くして九条さんを見た。嘘だ、嘘だよ。多分半分くらい禿げてるオヤジでもドライヤーくらい持ってるでしょう?!

 衝撃で固まる私の肩に、伊藤さんが手を置く。彼の表情はもはや諦めの表情だった。

「いつものことだから」

「…………」

 当の本人は飄々として、私に言った。

「ここは暖かいからすぐ乾きますよ。それより黒島さん、ポッキー取ってきてもらえませんか」

 出ました、彼が何より大好きなお菓子。私が本格的に事務所に入って最初の仕事はポッキーを運ぶ事だった。

 私は脱力したまま事務所奥でカーテン一枚に仕切られた仮眠室へ入る。

 小さな冷蔵庫にコンロ。その隣にある戸棚を開けると、ぎっしり例のお菓子が詰め込まれていた。

 ああ、私やっぱり違うよ。

 あの人を好きだなんて勘違いだ。一時の気の迷いだ。

 そう心の中で断言して、私はポッキーを掴み戻って行った。



しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

401号室

ツヨシ
ホラー
その部屋は人が死ぬ

無名の電話

愛原有子
ホラー
このお話は意味がわかると怖い話です。

女子切腹同好会

しんいち
ホラー
どこにでもいるような平凡な女の子である新瀬有香は、学校説明会で出会った超絶美人生徒会長に憧れて私立の女子高に入学した。そこで彼女を待っていたのは、オゾマシイ運命。彼女も決して正常とは言えない思考に染まってゆき、流されていってしまう…。 はたして、彼女の行き着く先は・・・。 この話は、切腹場面等、流血を含む残酷シーンがあります。御注意ください。 また・・・。登場人物は、だれもかれも皆、イカレテいます。イカレタ者どものイカレタ話です。決して、マネしてはいけません。 マネしてはいけないのですが……。案外、あなたの近くにも、似たような話があるのかも。 世の中には、知らなくて良いコト…知ってはいけないコト…が、存在するのですよ。

生きている壺

川喜多アンヌ
ホラー
買い取り専門店に勤める大輔に、ある老婦人が壺を置いて行った。どう見てもただの壺。誰も欲しがらない。どうせ売れないからと倉庫に追いやられていたその壺。台風の日、その倉庫で店長が死んだ……。倉庫で大輔が見たものは。

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

体育教師に目を付けられ、理不尽な体罰を受ける女の子

恩知らずなわんこ
現代文学
入学したばかりの女の子が体育の先生から理不尽な体罰をされてしまうお話です。

すべて実話

さつきのいろどり
ホラー
タイトル通り全て実話のホラー体験です。 友人から聞いたものや著者本人の実体験を書かせていただきます。 長編として登録していますが、短編をいつくか載せていこうと思っていますので、追加配信しましたら覗きに来て下さいね^^*

【1分読書】意味が分かると怖いおとぎばなし

響ぴあの
ホラー
【1分読書】 意味が分かるとこわいおとぎ話。 意外な事実や知らなかった裏話。 浦島太郎は神になった。桃太郎の闇。本当に怖いかちかち山。かぐや姫は宇宙人。白雪姫の王子の誤算。舌切りすずめは三角関係の話。早く人間になりたい人魚姫。本当は怖い眠り姫、シンデレラ、さるかに合戦、はなさかじいさん、犬の呪いなどなど面白い雑学と創作短編をお楽しみください。 どこから読んでも大丈夫です。1話完結ショートショート。

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。