完璧からはほど遠い

橘しづき

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 靴を履いて最後に振り返る。私は頬に命令して笑わせた。

「ありがとうございました」

「こっちこそ。おやすみ! また会社で。戸締りしっかりね」

 そう手を振った成瀬さんは、扉を開けて外へと出て行った。その背中を見送りながら少しだけ唇を噛む。バタンと閉まり、紺色の冷たいスチール製のドアが静かにそこにあった。

 じっとそれを眺める。そして、張っていた何かが緩んだように、大きくため息をつきながらその場にしゃがみ込んだ。

「何……してるんだろう、自分」

 帰り際勢いで成瀬さんを家にまで呼んで。少し近づいただけで顔を真っ赤にして、些細なことでもドキドキして……。

 ああ、もうとっくに自覚してしまっている。

 いつのまにこんなに好きになっていたんだろう。

 成瀬さんと並んで買い物すると胸が弾んで仕方ないし、食事をすればどれも美味しくてたまらない。何気ない行動一つ一つが特別で、終わってほしくないと思った。

 この時間が続いてほしくて家にまで呼んでしまった。

「……絶対苦労するじゃん」

 会社では有名人な成瀬さんだからライバルは多いし、一見かっこいいわ仕事出来るわで釣り合ってない。

 でも家に帰ると全然動かないし家事出来ないしご飯すら食べれないし、私は彼のお母さんになりたいわけじゃない。絶対苦労する相手だって、沙織にも断言してたはずなのに。

……なにより。

「男女が部屋にいてなんもなしか。意識すらされてなさそうだった」

 ぽつんと自分の声が寂しく落ちた。

 そりゃいつも部屋に男女二人ですよ。でも今日は成瀬さんの家じゃなくて私の家だから、普段とはちょっと違う雰囲気になるかもしれない、なんて思ってしまうのは普通じゃないだろうか。

 でもまるでそんな雰囲気はなかった。成瀬さんは本当に私の部屋のテーブルを選ぶのとカレーを食べにきただけで、これっぽっちもそんな可能性を感じさせなかった。いくら何でも女としてこれはいかがなものなのか?

 痛感する。彼にとって私はやはりただの仕事仲間なのだ。だって成瀬さんの意外な一面を知ったのだってただの偶然。お金ももらってるし、家事代行の関係、それ以上何者でもない。

 がくりと首を落とした。あーあ、これから異性として見てもらうなんて出来るんだろうか。それになにより、成瀬さんは元々自分に好意を寄せていた女性の手料理にトラウマを持っている。好意を持たれていると知れば、きっと彼は私の手料理なんて食べられなくなる。

 バレれば、この関係は終止符を打つ。

「……困った」

 情けない声がした。とんでもない相手を好きになってしまったものだ私も。

「はあ、しょうがない。とりあえずこの関係のままいくしかないか」

 風呂でも入ろうかと立ち上がる。そこであっと思い出したのだ。カレーを持って帰ってもらう、と言ったのに、すっかり忘れていた。二日目のカレーを楽しみにしていたのに。

「まあ、明日また届ければいいか」

 そう独り言を言って浴室に向かおうとした時だ。

 部屋にインターホンの音が鳴り響いた。

 振り返る。頭に浮かんだのは勿論彼だ。カレーの存在を思い出して戻ってきたくれたのかもしれない。

 私は慌てて玄関に飛びつき、閉めたばかりの鍵を開けた。終わりかと思っていた映画に、まだ続きがあると発見した瞬間のようだった。笑顔で扉を開く。

「はい!」

 勢いよく開かれたそこに立っていたのは、成瀬さんではなかった。短髪にやや釣り目、こちらをどこか鋭い目で見ている相手を見つけた途端、私は素早く扉を閉じた。だが向こうの方が早かった、足を滑り込ませ阻害された。

「ひどっ。そんな勢いよく閉める?」

 苦笑して大和が言う。ドアスコープも覗かずに開いたことを後悔した。てっきり成瀬さんかと思い込んでいたのだ。

 力いっぱい扉を閉じていたが、あっさりとこじ開けられる。力で敵うはずがなかった。

 私は睨んで言った。

「何しに来たの」

「まだ話の途中だったから。お邪魔します」

「待って、入らないでよ!」

 私がいうのも聞かず、大和は勝手に入り込んだ。靴を適当に脱ぎ捨てて廊下を進んでいく。リビングの扉を開け、笑った。

「あ、今日カレーだ?」

 大和に追いついた私はその服の袖を強く引っ張った。

「入らないでってば!」

「……誰か来てたの?」

 テーブルに残されたままのコップなどを見て、大和が振り返る。私は一瞬迷いつつ、答える。

「……友達」

「あーそっか。ふーん友達ね」


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