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前から始まっていた作戦
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「やはりあなただったんですか、服部さん」
私はゆっくり振り返る。伊集院さんは、じっと私を見ていた。
「上達しましたね」
彼女は驚きつつも、そう褒めてくれた。私は頭を下げる。
「服部は、旧姓なのです」
「今日お顔を拝見して、そうかなと思ったんですが、名前も違うし普段より着飾っているから似ている人かと思いました」
「先生、黙っていてすみませんでした」
私と伊集院さんの会話に、周りがきょとんとしている。それはマミーたちも同様で、顔を引きつらせて伊集院さんに尋ねた。
「あの、どういうことでしょうか?」
「ああ、服部……いえ、二階堂舞香さんは、私の華道教室の生徒なんです」
「は、はい?」
驚愕の目で二人が私を見る。伊集院さんが続けた。
「少し前に入会された方で、とても熱心に頑張っていらっしゃった方です。最初本当に何も知らなかったようで、一から私がレッスンしたのです。まだまだ甘い所はありますが、入った時に比べたらずっと上達しましたよ。でも、なぜ素性を明かさなかったのです?」
「私を二階堂の人間とは知らずに、ただの教え子として接していただきたかったのです。先生は生徒の身分で忖度するような方ではないと存じ上げておりますが、それでもやりづらいところがあるかと思って……ビシバシとご指導頂きたかったのです」
「まあ」
「先ほどお義母さまが言っていた通り、私は恥ずかしながら育ちがいいとは言えず、花の素晴らしさも知らずに生きて来まして……先生の誕生会に参加することになり、どんな方なのだろうと見た時、先生の活けた花に感動したんです。どうしても先生に教わりたい、と思って、素性を隠して通ってしまったんです。騙すような形になり、申し訳ありませんでした」
私は深々と頭を下げた。
華道を学ぶ、となった時、玲はどっかの講師を雇うと言ったのを、私は止めた。いっそ伊集院さんの教室へ通ってやればいいと思ったのだ。
たった一か月学んだだけでは、どう頑張っても成長しきれない。でも、それが自分の教え子の成果ならば、話は別だと思った。結果だけではなく過程を見れば、人は感情移入しやすくなる。
ただこの作戦、大きなリスクもあった。自分の誕生会に参加すると決まった後に生徒として入会してくるなんて、気に入られたい気持ちがバレバレで、計算高く強かな女と引かれてしまう可能性が高かったのだ。まあ、実際取り入ろうと頑張った結果なので、そう思われても仕方ないとも言える。
なのでまずは素性を隠して、とにかくこの一か月頑張った。あのパーティーは都合が悪く欠席したらしいので、顔バレせずに済んだのだ。誰よりも熱心に勉強したし、家でも練習しまくった。ちなみに、華道って結構楽しいかも、と思ってきているので、才能があるかどうかはともかく、案外向いていたのかもしれない。努力してしまくって、伊集院さんにその成果を見せた。
好きで教室を開いているくらいなのだから、きっと一生懸命頑張ってる生徒には優しくなるはず、そう信じて。
今回の私の動きが凶と出るか吉と出るかは、正直賭けだった。
さて……どうだろう。
「舞香さん、伊集院様の教室へ通っていたの? なんてこと」
マミーが信じられない、とばかりに言った。
「え、だって、憧れの先生に学びたい、と思うのは至極真っ当な考えではありませんか?」
「あなた、どうせ伊集院様に気に入られたくてやったんでしょう。なんて小賢しい」
「(まあ合ってるけど)そんな……でも、そう思われても仕方ないとは思いますが、私は素直に学びたいと思ったから通っていただけです」
「よくもそんなふてぶてしいことを」
カッとなったマミーを制したのは、伊集院さんだった。彼女は驚いたようにマミーに言う。
「どうなさったの二階堂様、いつものあなたらしくない、落ち着いて」
「……そ、それはすみません」
「彼女が邪な気持ちで教室に入ったとしても私はいいんです。そんなに行動力がある人を今まで見たことがなくて感心してしまいますし、何より舞香さんは本当に頑張っていたんですよ。私は見れば分かります、努力して必死に学習されていた。それは紛れもない事実です。舞香さん、素性を隠していたのは悲しいですけど、でもあなたの言い分も分かります。私はこの一か月、あなたが必死に頑張っていた姿勢を信じていますよ」
「先生!」
私はわっと笑顔になった。よかった、本当に一か八かだったのだ。必死に努力した姿を見ていてくれたようだ、だって本当に滅茶苦茶頑張ったもんね。家じゅう花まみれになったんだから。
ぐっとマミーと楓さんが黙り込んだ。二人とも真顔で私を見ている。
「でもほら、ここの部分にもう少しこの色を加えると」
「わ……流石です、先生。ううん、難しいですねえ」
「でも全体のバランスが本当によくなりましたよ」
「ありがとうございます!」
先生と談笑が始まり、周りもぐっと和やかになった。ようやく皆それぞれ話しはじめ、放置されていた軽食たちにも人が集まっていく。倫子さんも交えて、私は伊集院さんと笑い声を上げながらしゃべっていた。
金持ちでお茶会など開く奥様ということで、始めはマミーのようなキツイおばさんを想像していたけど、案外伊集院さんは穏やかだし考え方も柔軟だ。確かに厳しい人ではあるが、少なくとも性悪なイメージはない。そうそう、どちらかと言えば畑山さんに雰囲気が似ている。
伊集院さんと盛り上がって会話をしているのを、あの二人はじっと背後から見ていた。その視線には気が付いていたけれど、私は何も反応しなかった。
私はゆっくり振り返る。伊集院さんは、じっと私を見ていた。
「上達しましたね」
彼女は驚きつつも、そう褒めてくれた。私は頭を下げる。
「服部は、旧姓なのです」
「今日お顔を拝見して、そうかなと思ったんですが、名前も違うし普段より着飾っているから似ている人かと思いました」
「先生、黙っていてすみませんでした」
私と伊集院さんの会話に、周りがきょとんとしている。それはマミーたちも同様で、顔を引きつらせて伊集院さんに尋ねた。
「あの、どういうことでしょうか?」
「ああ、服部……いえ、二階堂舞香さんは、私の華道教室の生徒なんです」
「は、はい?」
驚愕の目で二人が私を見る。伊集院さんが続けた。
「少し前に入会された方で、とても熱心に頑張っていらっしゃった方です。最初本当に何も知らなかったようで、一から私がレッスンしたのです。まだまだ甘い所はありますが、入った時に比べたらずっと上達しましたよ。でも、なぜ素性を明かさなかったのです?」
「私を二階堂の人間とは知らずに、ただの教え子として接していただきたかったのです。先生は生徒の身分で忖度するような方ではないと存じ上げておりますが、それでもやりづらいところがあるかと思って……ビシバシとご指導頂きたかったのです」
「まあ」
「先ほどお義母さまが言っていた通り、私は恥ずかしながら育ちがいいとは言えず、花の素晴らしさも知らずに生きて来まして……先生の誕生会に参加することになり、どんな方なのだろうと見た時、先生の活けた花に感動したんです。どうしても先生に教わりたい、と思って、素性を隠して通ってしまったんです。騙すような形になり、申し訳ありませんでした」
私は深々と頭を下げた。
華道を学ぶ、となった時、玲はどっかの講師を雇うと言ったのを、私は止めた。いっそ伊集院さんの教室へ通ってやればいいと思ったのだ。
たった一か月学んだだけでは、どう頑張っても成長しきれない。でも、それが自分の教え子の成果ならば、話は別だと思った。結果だけではなく過程を見れば、人は感情移入しやすくなる。
ただこの作戦、大きなリスクもあった。自分の誕生会に参加すると決まった後に生徒として入会してくるなんて、気に入られたい気持ちがバレバレで、計算高く強かな女と引かれてしまう可能性が高かったのだ。まあ、実際取り入ろうと頑張った結果なので、そう思われても仕方ないとも言える。
なのでまずは素性を隠して、とにかくこの一か月頑張った。あのパーティーは都合が悪く欠席したらしいので、顔バレせずに済んだのだ。誰よりも熱心に勉強したし、家でも練習しまくった。ちなみに、華道って結構楽しいかも、と思ってきているので、才能があるかどうかはともかく、案外向いていたのかもしれない。努力してしまくって、伊集院さんにその成果を見せた。
好きで教室を開いているくらいなのだから、きっと一生懸命頑張ってる生徒には優しくなるはず、そう信じて。
今回の私の動きが凶と出るか吉と出るかは、正直賭けだった。
さて……どうだろう。
「舞香さん、伊集院様の教室へ通っていたの? なんてこと」
マミーが信じられない、とばかりに言った。
「え、だって、憧れの先生に学びたい、と思うのは至極真っ当な考えではありませんか?」
「あなた、どうせ伊集院様に気に入られたくてやったんでしょう。なんて小賢しい」
「(まあ合ってるけど)そんな……でも、そう思われても仕方ないとは思いますが、私は素直に学びたいと思ったから通っていただけです」
「よくもそんなふてぶてしいことを」
カッとなったマミーを制したのは、伊集院さんだった。彼女は驚いたようにマミーに言う。
「どうなさったの二階堂様、いつものあなたらしくない、落ち着いて」
「……そ、それはすみません」
「彼女が邪な気持ちで教室に入ったとしても私はいいんです。そんなに行動力がある人を今まで見たことがなくて感心してしまいますし、何より舞香さんは本当に頑張っていたんですよ。私は見れば分かります、努力して必死に学習されていた。それは紛れもない事実です。舞香さん、素性を隠していたのは悲しいですけど、でもあなたの言い分も分かります。私はこの一か月、あなたが必死に頑張っていた姿勢を信じていますよ」
「先生!」
私はわっと笑顔になった。よかった、本当に一か八かだったのだ。必死に努力した姿を見ていてくれたようだ、だって本当に滅茶苦茶頑張ったもんね。家じゅう花まみれになったんだから。
ぐっとマミーと楓さんが黙り込んだ。二人とも真顔で私を見ている。
「でもほら、ここの部分にもう少しこの色を加えると」
「わ……流石です、先生。ううん、難しいですねえ」
「でも全体のバランスが本当によくなりましたよ」
「ありがとうございます!」
先生と談笑が始まり、周りもぐっと和やかになった。ようやく皆それぞれ話しはじめ、放置されていた軽食たちにも人が集まっていく。倫子さんも交えて、私は伊集院さんと笑い声を上げながらしゃべっていた。
金持ちでお茶会など開く奥様ということで、始めはマミーのようなキツイおばさんを想像していたけど、案外伊集院さんは穏やかだし考え方も柔軟だ。確かに厳しい人ではあるが、少なくとも性悪なイメージはない。そうそう、どちらかと言えば畑山さんに雰囲気が似ている。
伊集院さんと盛り上がって会話をしているのを、あの二人はじっと背後から見ていた。その視線には気が付いていたけれど、私は何も反応しなかった。
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