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「あ、えっと、すみません、せっかくの……」

 慌てて謝ったが上手く言葉にならず唇が震える。混乱でどうしていいか分からずパニックに陥っていると、突然自分の体に誰かの上着が掛けられた。はっとして顔を上げる。

 玲だった。

 彼は真っすぐな目で私を見ていた。そして、次の瞬間私の体を軽々と抱き上げた。ふわりと全身が浮き、驚きで声すら失くす。玲は母親に言った。

「もうすぐ救急車は来ると思います。もう大丈夫ですね?」

「は、はい、ありがとうございます!」

 私は抱きかかえられたまま、玲に言った。

「玲、玲の服まで汚れちゃう」

 そんな私の言葉を無視し、彼は周りをぐるりと見渡して言った。

「妻は看護師なんです。彼女の咄嗟の判断と行動で命が救われました。今、舞香を汚いものを見るような目で見ている人は自分の人間性を見直した方がいい。人が死にかかっていても一歩も動けず、役に立たなかったくせに、人を見下すな」

 それだけきっぱり言うと、玲はくるりと踵を返して歩き出した。勿論私を抱きかかえたままだ。どうしていいか分からず、とにかく自分は体を小さくしていた。会場は静まり返り、遠くから救急車のサイレンの音だけが響いていた。
 
 会場を出てフロントへ向かっていることに気が付き、慌てて玲に声を掛けようとする前に、圭吾さんの声が響いた。

「玲さん、舞香さん!」

 彼は駆け足で歩み寄る。そして驚きの表情で私たちを見ていた。会場内にいなかった彼からすれば、一体何があったのだと驚きだろう。玲は淡々と言う。

「圭吾、どこでもいいから部屋を一つとれ」

「え!? あ、あーはい、分かりました、すぐに!」

 圭吾さんが代わりにフロントへ走る。玲はそのままの体制で圭吾さんを待っていた。私は小声で言う。

「歩けるから、おろして」

「おろしてその格好で歩き回るつもりか」

「あ、ホテルの床とか汚しちゃうかもしれないか……」

「とにかく着替えるぞ」

「…………はい」

 圭吾さんはすぐに戻ってきた。彼からキーを受け取ると、玲はエレベーターに乗り込む。圭吾さんは扉が閉まる直前に、早口で私たちに言った。

「お二人の着替えを用意して持っていきます!」

「頼んだ」

 その会話だけ交わすと、扉が閉まった。

 エレベーターが上昇する。すぐにたどり着きそこから降りた。玲は廊下を少しだけ歩くと、ある部屋の前で立ち止まり、ロックを解除した。そのまま中へと足を入れる。

 ごく普通の部屋だった。ダブルのベッドがあり、テレビと小さなソファ。彼はそのソファに私を下ろす。

「あ、ありがとう……」

「脱げ。風呂に入ってこい、俺も脱ぐ」

 そう宣言すると、玲はすぐさま服を脱ぎだした。だが私は動けなかった。彼が掛けてくれた上着を強く握りしめ、唇を噛む。

 そんな私の様子に気が付いたのか、玲が言った。

「ああ、ファスナー下ろさないとな。後ろ向け」

「ごめん」

「は?」

 私は後ろを向くことなく頭を垂れた。

「ごめん……今日のために買ってくれたドレスも、玲の服もぐちゃぐちゃで……セットしてもらった髪もぐちゃぐちゃで」

「いや別に」

「完璧とまではいかなくても、少しでもご両親にいい印象を抱いてもらいたかったのに……最後、あんな幻滅されたような顔で見られることになっちゃって」

 じんわりと涙が出た。

 少女が助かってよかった、その気持ちは揺るぎないし、自分を誇らしく思う。それと同時に、振り返った時のあの目が忘れられない。必死に頑張った自分とあの女の子を蔑むような、恐ろしい目が自分を酷く苦しめる。

 何より、玲に申し訳ない。

 ついに涙が零れそうになった時、突然玲が私の前にしゃがみ込み、ぐっと顔を寄せた。そして、きっぱりと断言した。



「お前はあの会場の中で、間違いなく一番いい女だった」



「…………え」

「間違いなくだ。救命行為をして汚れた服を嘲笑うクソみたいな人間なんて気にしなくていい。あの中にも、ちゃんとした人間は多くいる。そいつらは舞香を賞賛の眼差しで見ていたことに気づかなかったか? ゲロまみれで何が悪い」

「でも、一番肝心なお義父さんたちが」

「何も気にしなくていい。ていうか、想像以上の働きっぷりだ。俺はお前を称えたい、さすが看護師だな。度胸もあるし判断力もすさまじい。お前がいなけりゃあの子、死んでただろ」

「…………玲が励ましてくれるなんて、変」

「馬鹿、励ましじゃない、状況を冷静に分析してるんだ。俺は嘘は言わない、舞香は今日一番いい女だった」

 普段私の事を馬鹿にしてばかりの男からの優しい言葉は、酷く自分の胸に突き刺さった。はらりと涙が零れる。これはうれし泣きだ、玲がそう言ってくれたのなら心強い。

 私が一番いい女だった、なんて、普段の玲からは考えられない褒め言葉だもの。
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