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まずは姿勢から

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 突然目の前が眩しくなった。顔をしかめつつ閉じていた瞼を持ち上げる。一瞬『今日の勤務は日勤だったっけ?』なんて考えてから、その必要はないのだと思い出した。

 バカでかい窓のカーテンが開いていた。その隣にスーツを着た玲が立っている。彼はスマホを眺めながら淡々と言った。

「朝だぞいい加減起きろ。随分熟睡してたみたいだな」

「朝……?」

「圭吾もそろそろ来る」

 私はがばっと上半身を起こした。そうだ、家じゃない。昨晩慣れない布団に寝つけないと思っていたが、いつの間にやらぐっすり寝ていたらしい。むしろ普段より体の疲れが取れているような気もした。

「お、おはよう!」

「おはよ。お前連絡先教えろ、俺は会社に行かなきゃならない」

「はい」

「つか、凄い髪型してるな。はは、サイヤ人かよ」

 玲は笑いながらそう言った。自分で頭を押さえてみると、なるほど確かに寝ぐせが凄いことになっているらしい。手櫛でそれを整えつつ、近くに置いてあったスマホを手に取った。立ち上がって玲の元へ駆け寄ると、彼は私の手元を見て眉を顰めた。

「それいつ発売のやつだよ、よく使えてるな」

「え? 別に不便さはないけど」

「はあ。とりあえず連絡先だけ聞いておく。そういうのも買わないとだなあ」

「スマホまで?」

「一流の人間は持ってるものも全て一流じゃなきゃいけないんだよ」

 悪かったね一流を知らなくて。私は膨れながらとりあえず連絡先を交換した。

 終わると同時ぐらいに、タイミングよく玄関から鍵の開く音がした。そして明るい声が響く。

「おはようございまーす」

「あ、圭吾さんだ」

「お前その格好で圭吾の前にいくつもり? 寝ぐせ酷いし服穴開いてるけど」

「あ、ちょっと着替えぐらいしとこうかな……」

「まあしばらく舞香は家から出ることないと思うから、そんなしっかり身だしなみしなくていいと思うけど。とりあえず穴開いた服ぐらいは何とかしとけ」

 それだけ言うと、玲は部屋から出て行った。私は慌ててクローゼットまで行き、数少ない自分の洋服を引っ張り出して着替える。それでも安物の服だったけど、穴は開いてないのでずっとマシだろう。

 置いてあった全身鏡には、なるほど確かにすごい寝ぐせの自分がいた。そろそろと洗面所に行き、手早く身だしなみを整えると、ようやくリビングへと足を運んだ。

「あ、舞香さんおはようございます」

 圭吾さんがぱっと明るい笑顔で迎えてくれた。ああ、眩しい。玲にはないこの爽やかさ、私にはありがたい。

「圭吾さんおはようございます」

「夜は眠れましたか?」

「初めは緊張で眠れなかったけど、いつの間にか爆睡でした」

「それはよかったです。簡単ですが朝食の準備をしたのでどうぞ」

「圭吾さんはそんなことまで!?」

 見てみれば、テーブルの上には確かに美味しそうな朝食が乗っている。玲は当然のように座り、すでに食べ始めていた。私はありがたくその向かいに腰かけ、手を合わせる。クロワッサンとハム、目玉焼きにサラダというワンプレートだ。

「美味しそう、頂きます!」

 お洒落な朝食にかぶりつく。ううん、なんか一つ一つの味が凄く上品。これきっといいやつなんだろうなあ。

 圭吾さんは立ったまま私たちにお茶を注ぐと、クロワッサンを齧る私に向き直った。

「さて、舞香さん、早速ですが今日の午後から講師を呼んでいます。一時に来るはずなのでよろしくお願いします」

「は、はい」

「それまでは自分で学習を。とりあえずいくつか本を用意しておいたので、読んでおいてください」

 笑顔でそういい、視線を下に向ける。私もつられて彼の足元を覗き込んでみれば、そこには分厚い本がぎっしり詰まった紙袋が置いてあった。持ち上げたら底が抜けるんじゃないのか、と思うほどの量。ごくり、とクロワッサンを飲み込んだ。

「まだほんの一部ですけど、なるべくわかりやすい入門編を選んでおきました」

「ほんの一部……」

「頑張ってください」

 圭吾さんは人懐こい顔で笑っているが、多分この人仕事出来る人だろうな、と思った。無害そうに見えて、ちゃんとしてるとこはしてるし厳しい。いやそれでいいのだ、そうじゃなきゃ玲の秘書なんて務まらないだろう。

 黙っていた玲がコーヒーを飲みながら言った。

「圭吾が選んだんなら間違いないな、とりあえずそこから始めろ」

「分かりました……」

「何かあれば連絡をよこしていい。だが仕事も忙しいから頻度は考えるように」

「多分連絡することないと思う」

「家にある物はどこ見てもいいし好きに使っていい。冷蔵庫とかも好きに食えばいい。とにかく自分の仕事に励め」

 そう言い終えた玲はコーヒーを飲み終える。私はクロワッサンの続きをもぐもぐと食した。とりあえず食べ終わって、すぐに動き出さなきゃいけない。

 私の仕事は今は勉強すること。頭をフル回転させて、早くマスターしなきゃ。

 玲は立ち上がり、私にいった。

「じゃあ俺は行くから。圭吾」

「はーい! では、舞香さんよろしくお願いします。あ、お皿そのまま置いておいてくださいね」

 二人は颯爽とその場から立ち去り、家から出て行ってしまった。遠くで玄関の戸が閉まる音が聞こえる。それをぼんやり耳で広いながら、最後の一口を頬張る。

 全てお腹に入れ終わると、冷めたコーヒーを流し込んだ。ああ、和人と別れ話した時よりうんと美味しいコーヒーだ。あの喫茶店も美味しいと思ってたのに、やっぱり状況の違いかな。

「さて!」

 そのままでいい、と言われたものの、皿の一枚や二枚すぐに洗えるので、ささっと終わらせる。そして改まって、圭吾さんが持ってきてくれた本たちのそばにしゃがみ込み、覗き込んだ。

 一冊手に持ってみる。お、なんか写真とかたくさん載ってて分かりやすそうなテーブルマナー本。これならいける。

 次はやや厚みのあるこれまたマナー本。自分が非常識だと思ってるつもりはないけれど、上級のマナーはきっと知らないんだろうなあ。

 さらに今度はずっしり重い分厚い本。文字も小さい。経済についての本のようだが……ふむふむ。全然分からない、まずは単語から調べないとだ。

 数冊分かりやすそうなものから手にして立ち上がる。そして先ほどまでお皿が置いてあったテーブルに置いた。クロワッサンの生地の一部が落ちていたので、指先で拾ってキッチンのシンクに放り込む。

 椅子に腰かけてページを開いた。まずは座る姿勢から、だそうだ。

 ちらりと自分の姿を見降ろしてみると、テーブルに肘をつき、誰もいないと思って足は力を抜ききって放り出している。猫背もあり。

「こりゃ確かに大変そう」

 そう呟いて、とりあえず本にあるように座って姿勢を正した。ふと、ポケットからスマホを取り出した。昨晩勇太とやりとりしたままだ。私を酷く心配する文章が羅列されている。

 私は決意して、手早く文字を打ち込んだ。そして、電源を切る。

 勇太ぐらいしか連絡を取る相手はいない。その勇太とも、きちんと自分自身の仕事をそれなりに進めるまでは控えよう。早く勇太と連絡を取りたいブラコンは、そのためにこの試練を乗り越えられるかもしれない。

『勇太、しばらくラインは見ないことにしました! 返事がなくても心配しないで。
 私は今からスーパーいい女になるために頑張ってくる!』







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