日給10万の結婚〜性悪男の嫁になりました〜

橘しづき

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これからやること

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 圭吾さんが荷物を持ってくれ、家の案内から始まった。

 マンション内は驚くほど広かった。案内されて歩くと、こんな広いところで一人暮らしていたのか、と呆れてくるほど。磨き抜かれた浴室に、本がぎっしり詰まった本棚が並ぶ部屋。難しそうな書類が積まれた玲の仕事部屋。トレーニングルームらしきものまであったぶったまげた。

 そして最後に案内された場所に着いたとき、私はついぐっと息をのんだ。

 中央に置かれた大きなベッド。掛け布団が人が抜けたそのままの形になっていた。奥には大きなウォークインクローゼット。床はふわふわのカーペットで、自分の心までふわふわしてしまいそうだった。

 恐る恐る圭吾さんを見上げる。

「あのう、もしかして」

「寝室です。荷物はあちらへ、クローゼットはお好きに使って構いません」

「寝るの同室ですか!?」

 ひっくり返った声を出す。そりゃ結婚って言ったけどさ、まさか夜も一緒に過ごすつもり?

 圭吾さんは申し訳なさそうに眉を下げた。

「見て頂いた通り、他に部屋が空いていないんです、それにベッドもない。話が急なことでしたし、何より本当にこの話に乗るなんて思ってなかったんです」

 そりゃそうか。私は納得してしまった。

 いくら金を積むと言われても、父親の借金がなければ私はこの話には乗っていなかっただろう。殆ど初対面の男と結婚、勇太とも離れて暮らすことになるし。今まで通り普通に働いて、節約して生きていけばいいと思ったはずだ。

 父親の借金さえなければ。

「そうですよね……私が来たの、圭吾さんびっくりしましたよね……」

「驚きはしました、ですが事情を伺ってなるほどと思いましたし」

「いえ、こんなめちゃくちゃな話に乗った私も悪いんです。えっと、とりあえずはここで休ませてもらいます」

 私は乾いた笑みを何とか作った。圭吾さんは困ったように言う。

「玲さんはああ見えてちゃんとしてる人ですので、その、無理やりなことはしないですよ」

(ああ見えてって、褒めてるのか貶してるのか)

 ちゃんとしてる人という言葉に違和感を覚えつつ、私は頷いた。

「分かりました、ありがとうございます。荷物を片付けさせてもらいます」

「僕は夜になったら帰宅しますから、あとは玲さんと二人で」

 緊張で頬を吊り上げた。そうだよね、圭吾さんもいなくなっちゃうよね。

 私はあのよく分からない男と過ごさなければならないのである。



 


 クローゼットだけで私が住んでいたアパートの部屋が収まるぐらいの広さがあった。私の部屋ここでいいんじゃないか? とすら思う。

 その場にそぐわない安物の服をこっそり隅の方に掛けておく。ほかは高そうなスーツが多かった。仕事着なんだろう、今日彼が身に着けていたものも大分高級そうだった。

 しばらくして圭吾さんがお風呂にの準備をしてくれ、まずはゆっくりするよう促された。お言葉に甘え、テレビでしか見たことないような広すぎるお風呂に入り、もはや現実とは思えない環境にのぼせそうになった。シャンプーだってめちゃくちゃ高そう、絶対薬局なんかに売ってないやつだ。

 ふらふらになりながら出ると冷たい飲み物を用意してくれた圭吾さんが待っていてくれた。その気遣いと優しさが染み入る。どうせならこういう人と結婚したかった。

 そうこうしているうちにようやく玲が帰宅した。入れ替わりで圭吾さんが帰宅する。外はもう真っ暗になっていた時間なので、彼が帰宅するのも当然だろう、仕事として私の世話を焼いてくれたのだ。

 だが彼は帰るとき、玲に『舞香さんを困らせないようにちゃんとしてください』ときっぱり言ってくれた。神か、と思った。

 玲はめんどくさそうに返事しただけで、そのあとすぐに自分もお風呂に入ってしまったのだ。圭吾さんもいなくなり、私は広すぎるリビングに一人ぽつん。

 何をしていいのかもわからないし、困り果てる。だが持ってきたスマホの存在を思い出し見てみると、勇太から心配のメッセージが何通も入っていた。とりあえずそれに丁寧に返事を返す。

 今のところ、素晴らしいぐらいもてなされているだけだ。いいお茶を飲み、いい風呂に入り寛いでるだけ。自分でも戸惑ってばかりだ。

 少しして玲が上がってくる。そして彼を見てびっくりした。バスローブを着ていたからだ。あんなの、洋画の中ぐらいしかないのかと思ってた、日本人って使うの?

 唖然として見ていると、玲と目が合った。彼は濡れた髪を拭きながら、ゆっくりと眉が顰めた。しまった、見すぎただろうか。

「何お前のその服」

「え? あ、お風呂先に頂いたのでパジャマ着ちゃった……まだ出かけたりするんだった?」

「いやダルダルで裾穴開いてんじゃん」

「でもまだ着られるから」

「はあ……まああの家見たら想像つくけど、それほどとはね」

 呆れたようにため息をつく玲にムッとする。こいつ貧乏馬鹿にしすぎだ。

 ちょいちょい感じていたけれど、この男はかなりプライドも高いし腹黒いと見た。性格の悪さが隠しきれてないんだよ。

 私は睨みつけて言った。

「金持ち自慢したいのは結構ですけど、大概人間が金を持ってるか持ってないかは、一部を除いて自分の努力じゃなくて親の力なの。あんたが二階堂の会社を一から作ったっていうなら素直に感動するけど、そうじゃないなら金持ち自慢もかっこ悪いからやめた方がいいよ」

 淡々とそう言うと、玲は少しだけ目を見開いた。そこでしまった、と後悔する。これから一つ屋根の下で暮らしていかねばならない人間に、正論をストレートに言いすぎただろうか。

 ひやひやして見守る。だが、玲は少しだけ吹き出すと、小さな声で笑った。髪を拭きながら言う。意外な反応にあれっと不思議に思う。

「ほんと昔から変わってないな」

「え?」

「俺子供の頃も同じこと言われた」

「うそ、覚えてない」

「まあ正論だな。だが、残念ながら親の力だろうが自分の力だろうが、力を持ってることには変わりない。そういう相手には正論なんて紙くずみたいなもんだ、俺以外に突っかかると痛い目見るぞ、覚えておけ」

「玲にはいいの?」

「夫婦だからな」

 そう言った玲は冷蔵庫まで歩いて行ってしまった。私は何も言い返さずぐっと押し黙る。気まずくなり黙っていると、目の前に缶ビールが置かれた。見上げると、玲も手に一つ持っている。

「飲める?」

「あ、まあ人並みに」

「よし」

 そう言った彼は私の隣りに腰かけた。ソファがぐんと沈む。そしてすぐに封を開け、爽やかな音とアルコールの香りが鼻をつついた。彼は私に促す。

「舞香も飲め」

「あ、はあ」

 言われた通り開けてみる。実際のところ、あまりお酒は好んでは飲んでいない。職場の歓迎会だとか、そういう時だけしか飲んだことがない。だが貰ったビールは、今まで飲んだどれより美味しく感じた。やはりいいビールなのだろうか。

 ていうか、三千万肩代わりしてもらった相手と酒飲んで、私は何をやってるんだろうか?

 不思議に思いながらも飲み続けていると、玲が切り出した。

「婚姻届けは出してきた、これでもう戸籍上は夫婦な。二階堂舞香になったからよろしく」

「あ、はい」

「今日はまあ家に慣れるためにもゆっくりすればいい、時間も遅いしな。だが、明日から働いてもらう」

 働く、の言葉を聞きごくりと唾をのんだ。手に缶ビールを包み、玲の横顔をじっと見る。やけに整った顔をした彼は、濡れた髪のせいもあって酷く色っぽく見えた。

「私は何をすればいいの?」

「まずは人前に出すレベルになってくれ」

 なんという失礼な言い草。

 信じられない気持ちで見ていると、玲がこちらを見た。そしてずいっと顔を近づけてくる。あまりの距離についのけぞってしまった。

「お前スキンケアしてる?」

「え? ああ、まあ薬局で買う安い化粧水ぐらい」

「トリートメントは?」

「いや普通の安いコンディショナーだけ……」

「圭吾に揃えさせるから、明日からちゃんとしたやり方で手入れをしろ」

 女として最低限の身だしなみはしてきたつもりだが、彼から見るとまるでなってないらしかった。ちょっとショック。そりゃ夜勤とかある仕事だし、肌が荒れてるなって思う時期もあるけども。

「あと服とかも揃える。全部買い換えろ」

「そんなにひどい?」

「素材は悪くないんだから」

 唯一のフォローだった。まあ、玲はお世辞を言うタイプには見えないので、ここは素直に受け取っておこう。

「あとそれから勉強だ」

「勉強?」

「まずはマナー。食事は勿論、歩き方や立ち姿、人と会話する時の話し方。それが出来たら次は知識だ。馬鹿だとは思ってないし無知だとも思ってないが、仕事関係の人間と話すときに受け答えできなければ困る。世界情勢に株価の変動、二階堂が手掛けてる仕事内容も合わせて覚えてもらう。勿論会社の歴史も。あとは人の名前などもな。仕事関係は付き合いが多い」

 早口で告げられ、くらくらした。持っていた缶ビールを落下させてしまいそうだ。

 なるほど、これは確かにものすごい仕事かもしれない。私は特に一般家庭よりむしろ貧乏で、ナイフとフォークすらほとんど使ったことがない。そのためまずはテーブルマナーからとは。

 覚えるべきことは山ほどありそうだ。
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