みえる彼らと浄化係

橘しづき

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あなたは凄い人

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 初めて聞く彼の声は、想像以上にずっと優しいものだった。声色から、彼がどんな人かわかるほど。

 そのたった一言が、どれほど辛かったのか分かった。理不尽に命を奪われた挙句、ずっと囚われていた苦痛なんて、私には理解できない。そんな彼を加害者だと勘違いしていた自分が憎かった。

「情けなくなんて……ないですよ!」

 つい反射的に言ってしまった。彼はきっと、ここから出られず成仏すらできなかった自分をそう呼んだのだろうが、それは違う。暁人さんも頷いた。

「あの女の執着心が異常だっただけであって、あなたに非は何もありません。死んだ後の力は、残念ながら腕力や気持ちだけではどうにもならない世界です。今まで誰からも気づかれず辛かったでしょう。やっと行きたい場所へ行けます」

『行きたい場所……』

「安心して眠れる時間が来る。解放されて思い切り伸びが出来る。それだけで、あなたにとっては大きな変化でしょう。大丈夫、あなたとあの女はここから去ったあとも、決して会うことはない。二人の行き先は全く別の場所なのですから」

 暁人さんの言葉に、西雄さんは少しだけ微笑んだ。すると、徐々に彼の体に変化が訪れた。

 血まみれだった体に、肌色が戻ってきたのだ。真っ赤な血が徐々に消えていく。痛々しく残った全身の刺し傷も、自然と治癒していく。

 あまり見えなかった彼の顔がようやく見えた。

 とても優しい顔をした青年だった。真面目そうで、柔らかい表情をしている。佳子さんとは全く違った、温かな人間性が分かる人だった。

ーーああ、本当はこんな顔をしていたんだ。

 胸が締め付けられる思いだった。一方的に好意を持たれた挙句、刺し殺され、今までずっとここに閉じ込められていた。それでも彼は完全な悪霊になることなく、自分を保っていたのだ。

 綺麗だ、とても。

「……本当はそんな優しい顔をしてらしたんですね。やっとあなたの顔が見えました」

 私が涙ぐみながら言うと、彼は照れたように少し笑った。そんな西雄さんに暁人さんは近づき、黒い数珠を持ったまま手を合わせる。

「悔しいし無念な思いもあるでしょう。でも来世で必ず報われます。必ずです。それだけはあなたを救える」

 じっと目を閉じ、祈るように手を合わせている。そして、西雄さんに向かって手を翳した。たったそれだけの動作が、とても美しく、尊いものだった。

 西雄さんは眠るように、自然と目を閉じる。そして安らかな顔をしたまま、すっと音もなく消えていったのだ。

 彼がいなくなったその場所をぼんやりと眺め、目から浮かんだ涙を拭いた。やっと眠れるんだ……長かっただろうなあ。今まで誰も助けてあげられなかったのだ。

 もうあの女におびえることなく、安らかに眠ってほしい。そして来世では、幸せになって長生きしますように。

「柊一!」

 暁人さんが勢いよく振り返ったので、私もはっと思い出す。柊一さんは苦しそうに床に突っ伏していた。
  
 暁人さんが彼に近づく。

「大丈夫だ、西雄さんの方は食べる必要はない、もう消えた!」

「……そう、よかっ」

 私も急いで柊一さんの元へと駆け寄る。そこで、彼の胸からあの黒いもやが出だしていることに気が付いた。それはどんどん大きくなっているようだった。

 安心したのか、柊一さんはふっと意識を失って脱力する。暁人さんがそれを抱え、私に言った。

「井上さん、お願いできますか?」

「は、はい!」

 改めて彼の顔を見てみると、汗だくになり、苦痛で表情が歪んでいる。あんな怖い霊が、今柊一さんの体内にいるのだ。苦しくないわけがない。

 私はだらりと垂れている彼の手を取った。汗ばんだその手をしっかり両手で握る。ひんやりとした手だった。

 柊一さんの胸元からは、どんどん黒いもやが出現しだしている。ここから出せと佳子さんが言っているような気がして、恐ろしくなった。

「頑張ってください!」

 食べた直後なので、浄化は上手く行くはずだ。そう思いつつも、不安になる。この前はたまたま成功しただけで、今日はちゃんと出来なかったら……。

「大丈夫、効いてますよ」

 私の不安を感じ取ったのだろうか、暁人さんが小声で言ってくれた。じっとモヤを見つめてみると、確かに広がっていく感じはない、ように見える。私は精神を集中して祈った。

 さっきの様子はなんだか怖くて呆気にとられたけれど、柊一さんがいなくては、西雄さんが解放されることもなかった。やっぱり彼は凄い人だ、こんな苦痛を請け負って誰かを救うんだから。私は今日、守ってもらってばかりで何も役に立ってないんだから、今こそ彼を助けたい。

 長く時間がかかった。だが、黒いモヤは確実に小さくなっていった。しばらく経ち、柊一さんの表情も和らぎ、うっすら彼が目を開ける。

「柊一!」

 彼はぼんやりとした目で私たちを見上げる。そして、小さな声で言った。

「ごめん……」

「え?」

「気持ち悪かったでしょ、食べるところ」

 私に謝っているんだ、と気が付き、絶句した。

 私があの時、恐れていたことに気付いていたんだろうか。確かに、あの光景は言葉に表現できない、不思議な恐ろしさがあった。佳子さんが溶けていく様もだし、それが柊一さんの体内へ戻っていくところも、とにかく凄かった。

 でも、一番辛かったのは柊一さんのはずなのに、ここで私を気遣ってくれるなんて。

「柊一さんは凄いです!」

 私はきっぱり言うと、彼が少しだけ目を見開いた。

「あの、実はちょっと怖かったんです、食べるところ。私、今までこういう世界を見てこなかったし……でも、西雄さんが穏やかな顔になったところ、すごく感動して、ああよかったなあ、って。それは柊一さんがあの悪霊を食べてくれたからなんですよ。だから怖いより、今は感動が勝ってます。柊一さん、すごいです!」

 私はぎゅっと彼の手を握る力を強めた。

 嘘はこれっぽっちもついていない。柊一さんも、それから西雄さんを安らかにした暁人さんも、二人とも凄い。私には到底出来ないことだ。

 私の言葉を聞いた柊一さんは、ふわっと微笑んだ。その綺麗な顔に、少しだけどきっとした。

「よかった」

 そう一言だけ言うと、彼はまた目を閉じて静かに眠っていった。疲れが出ているのだろう、当然だ。

 柊一さんの体を覆う黒いモヤはほんのわずかにまで減ったところで、暁人さんが私に声を掛けた。

「井上さん、ありがとうございます」

「柊一さん、大丈夫でしょうか?」

「ここまで小さくなっていれば大丈夫ですよ。ほら、顔を見ればわかる」

 言われて見てみると、確かに柊一さんの表情は穏やかなものになっていた。心地よさそうにすら見える。私はほっと胸を撫でおろした。

「車に戻りましょう。柊一、行くぞ」

 暁人さんは柊一さんの肩を抱え、立ち上がる。私も慌てて柊一さんの肩を支えてみるが、身長差もあるし役に立っているとは思えない。でも、少しでも手助けしたくて頑張った。

 そのまま二人で柊一さんを連れ、ホテルを後にした。


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