みえる彼らと浄化係

橘しづき

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とんだ勘違い

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「えっ、なに」

 柊一さんの厳しい声に驚いたと同時に、自分の体にとんでもない寒気が襲った。まるで冷凍庫の中に入っているかのように寒く、がくがくと全身の震えが止まらない。立っていることさえままならず、私はその場に膝をついた。頭ががんがんと痛み、胸の奥からたとえようのない恐怖の波が襲ってくる。

 怖い。恐ろしい。何に対してだろう、絶望が止まらない。

 同時に凄い量の涙があふれだした。息すら上手くできず、息苦しさで変な声を出してしまう。

「井上さん!」

 暁人さんの焦ったような声がする。私はゆっくりと上を見上げてみると、こちらを嬉しそうに見下ろしている佳子さんの顔が目に入った。

 口角を不自然なまでに持ち上げ、卑しく感じた。ニタニタと笑うその顔が、悪意で満ちている。首にある傷口はぱっくりと割れ、裂けた肉が確認できた。目からは嬉しそうな感情すら伝わってきて、違和感を覚えた。

 佳子さんも悪霊になっているかもしれない、と言ってはいた。でもこの状況は、ただの悪霊というより……。

 震えながら唖然としている私の隣から、暁人さんの手が飛び出してきた。彼は例の小さな瓶の蓋を乱暴に外し、手のひらに大量に塩を落とすと、それを思い切り佳子さんにぶつけた。小さな粒がキラキラと光ったように見え、それを佳子さんは顔を歪めて嫌がった。暁人さんは黒い数珠を握った手で、佳子さんを払うように手を翳す。

 ぎろりと、彼女がこちらを睨んで少しだけ後ろに下がった。その顔はとても恐ろしい顔で、この世のすべてを恨んでいるような顔だった。

 何が起こっているのか分からないままでいる私の肩を、誰かが抱いた。いつの間にかこちらに来ていた柊一さんだった。彼は私をそっと立たせてくれる。暁人さんが遠ざけてくれたおかげなのか、先ほどの凄い震えと恐怖の波は、いつの間にか止まっていた。

 柊一さんが真剣な面持ちで佳子さんを睨んでいる。

「しゅ、柊一さん? 西雄の方の霊は」

「とんだ勘違いをしていたね」

 私の言葉にかぶせて彼は言う。

「西雄の姿を見てやっとわかったよ。あっちは体中に刺し傷があったんだ。首や胸を集中的に、無数の傷がね」

「え……?」

 目の前にいる佳子さんの傷は、首に大きな傷が一つあるだけだ。そこから大量に出血したようだが、西雄さんは全身に刺し傷があったという。

 ああ、そうか、つまりは……。

「自殺するときに自分の体をめった刺しは難しい。つまり、刺し殺したのは佳子の方だったってことだ」

 その説明を聞いて愕然とする。でも暁人さんは冷静に答えていた。

「そういえば、記事には刺殺体が二体あること、無理心中とみられることが書かれていただけで、どっちが加害者か書かれていはいなかったな。勿論警察はすぐに事件の真相は分かっていただろうけど、続報の記事は見つからなかった。ストーカーの噂だって、大筋はあっていたけれど所詮は噂だ、重要な部分がずれていた」

 ようやく理解し、私はぽつんと呟いた。

「『ストーカーに刺殺された』と聞けば、女性が被害者の方だろう、って思い込んでた……」

 そこに落とし穴があった。

 どこにも『被害者は佳子さんの方』だとは書かれていなかったのに、腕力が弱い女性の方が被害者だろうと思い込んでいた。状況的には、宿泊している被害者の元へストーカーがやってきたという形だった。例えば寝入っていた男性相手に刃物で急に襲えば、女性の力でもたやすく命を奪うことは出来るだろう。

 『小さな子供の霊でもとてつもなく強い力を持っていたりするし、男女も関係ない』柊一さんは、霊についてそう説明していた。人を刺し殺すほどの強い念を持った佳子さんの霊が、死んだ後も好きな男を縛り付けるだけの力を得たのは不思議な話ではない。さっき見た佳子さんの様子から、上手く表現できないが、とてつもなく怖くて強い物だと感じた。

 悪意にあふれていた。被害者とは思えない、真っ黒な感情が。

 三人で前に向き直る。少し離れたところに立つ佳子さんが、じっとりとした目で私たちを見ていた。あふれ出る敵意に、ぶるりと震える。

 柊一さんが言う。

「勘違いしていた。人の命を奪っておきながら、その相手を死んでからも縛り付けているのがあなたの方だったなんて」

 彼の言葉に、佳子さんはにや~っと笑った。

『邪魔しないで。今、私は幸せだから。ずっとここで二人で暮らすの』

 冷たい声で佳子さんは言った。それに対し、暁人さんが答える。

「そこまでして相手をそばに置きたいのか」

『私たちは愛し合ってる。だから永遠に一緒にいる』

「愛し合ってたなら、西雄さんがダシテ、なんてメッセージを残すわけがないだろう。思い込みも甚だしい。相手の愛を得ていないことに気付いた方がいい」

 ストレートな暁人さんの言葉に、佳子さんがぴたりと止まる。そして怒りに燃えるように、ぶわっと表情をゆがめた。醜く、恐ろしい顔だった。
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