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第30話 勇者、迷い人を救う
〜3〜
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事務所に到着して俺とニーアが馬車から下りると、自警団は見事な連携で大量のベビー用品を荷台から手早く下す。
あまりの手際の良さに嫌味の1つでも言おうとしたが、それよりも先に自警団は風のように去って行った。
「隣街のことですから、快く協力しましょう」
赤子を抱いたニーアは、不服そうな俺を宥めるように言った。
あの街に迷惑をかけられてばかりだ。
と思ったが、勇者のマントを盗まれたのは俺のせいだし、俺がやったわけじゃないけれどその騒動で店を一つ爆破してしまった。どちからと言うと、迷惑をかけているのは俺の方だ。
それに、街付きの勇者は担当の街を守るために周辺の街も一応気を配っていなければならない。オルドグの街に勇者がいればそいつに押し付けることができるが、俺が知る限りではオルドグに勇者を派遣する計画は無いようだ。
「勇者様も抱っこしてみたらどうですか?」
ニーアが赤子を押し付けて来て、俺は思わず一歩離れる。
馬車の中ではふにゃふにゃと泣きかけていた赤子だが、ニーアの腕の中が気に入ったのか今はうつらうつらと眠りかけていた。
獣人の赤子は、話には聞いていたが人間の赤子と動物の赤子の可愛い所を兼ね備えていて、ぱやぱやとした綿毛のような毛や、頭に比べて大きな耳や瞳は可愛いと思う。が、しかし、愛玩動物として可愛がるのと、育てるのは別の話だ。
「実は……俺は子供が嫌いなんだ」
「ええ、知ってます」
俺としては、己がイナムだということの次に秘密にしておきたい衝撃の事実を告白したつもりだったのに、ニーアは周知の事実のようにあっさり頷いた。
子供が嫌いな人間は一定数はいるだろうが、子供に人気の職業ナンバー1の勇者になっておきながらそんな冷たい事を言うのか、と軽蔑されるかと思ったのに。
「知ってるのか?」
「ええ、皆知ってますよ。副市長も。市長が前みたいに子供向けのイベントを提案しても、勇者様がキレたら万一のことになるからって必死で止めてますし」
そう言えば、市長が帰って来てから、市役所から俺をダシにした集客イベントの企画書がたびたび来るものの、実現に至ったのはあのヒーローショーだけだ。
陰ながら副市長が止めてくれてたのか、と副市長の好感度が上がるチャンスだったが、俺がキレたら万一のことになる、とは随分失礼な言い草だ。俺は分別のある大人だから、キレたとしても子供には手を出さない。
「ユーリたちだって、勇者様が本気で嫌がるから面白がって話しかけてるんですよ」
駄目だ。好きになる要素がない。
しかし、仕事として引き受けてしまったし、授業があるニーアに頼り切るわけにもいかなだろう。赤子を受け止めようと手を伸ばして、そのまま停止してしまった。
「大丈夫ですよ。こんなに小さいのに体はしっかりしてますよ。獣人だからですかね?」
「ど、どこを持てばいいんだ?」
「好きな所を持てばいいじゃないですか」
そんな事を言われても、と泣き言を零しながらニーアに手伝ってもらって何とか俺の腕の中に赤子が収まった。
居心地が悪そうに眉間に皺を寄せていたが、ギリギリで泣き出さずに微睡み続けている。
生暖かくて柔らかい物体に我慢ができずにニーアに返そうとしたが、ニーアは事務所の前に置かれたベビー用品を抱え上げていた。
「きっとすぐに慣れますよ。コルダさんもいるし、元気な子に育つはずです!」
ニーアの言葉に背を押されるように事務所に入ると、口の周りにケチャップを付けたコルダが駆け寄ってきた。
「おかえりなのだー!勇者様のお昼ご飯、ちょっと残しておいてあげたの、だ……?」
そのまま俺に抱き着いてマントで口を拭こうとしたコルダだったが、俺が抱いている物に気付いて足を止めた。背伸びをしてタオルの包みを覗き込む。
「それ、なぁに?」
「獣人の赤ちゃんです。オルドグで迷子になっていたので、しばらく事務所で預かることになりました」
「迷子?歩けない赤ちゃんが、どうやって迷子になるのだ?」
「えーっと……」
男の獣人が殺されたことを隠すために誤魔化したのだろうが、嘘が苦手なニーアは早速コルダに疑われている。
俺はニーアが嘘を重ねて自爆する前に、団長から受け取ったタグをコルダに見せた。
「これ、見た事あるか?」
コルダはちらりとそれを見ると、すぐにぷるぷると首を横に振る。
「知ーらないのだ。孤児なら早く孤児院に連れて行けばいいのだ」
「引き取ってくれる人が来るまで、少し預かることになった」
「コルダさん、獣人の赤ちゃんって何を食べるんですか?」
「そんなこと、コルダに聞かれても困るのだ……」
コルダはニーアの質問に拒否するように俺のマントに顔を埋めた。ぶんぶんと首を横に振っているのは、答えるのを拒否しているのか、口の周りを拭いているのか。
「面倒を看てやってくれないか?きょうだいが出来たと思って」
「嫌ー!そんな汚い弟なんていらないのだー!ばばっちいからお風呂で洗って来てなのだー!」
コルダはそう言うと、リビングに逃げて行って毛布を被ってしまった。
そんなに汚いだろうかと赤子を覗く。コルダと違って焦げ茶の毛をしていてわかりにくいが、綺麗に洗われていて石鹸の匂いがする。団長は、奥さんに逃げられた男親なりに赤ん坊の世話をしていたらしい。
「……コルダさんが他の獣人の方と話しているの、見たことないですね」
コルダを心配そうに伺いつつ、ニーアが呟いた。
ホーリアにはコルダ以外の白銀種はいないが、普通の獣人なら何人か住んでいるし、観光客でも珍しくない。しかし、コルダはあまり事務所から出ないし、外出するときはフードを被って耳や手を隠している。ホーリアの住人でもコルダを獣人だと知っている人は少ないだろう。
獣人の中でも稀な白銀種だと知られたら面倒なこともあるだろうし、コルダなりに気を遣っている可能性もある。
「よし……」
俺は叱られる覚悟でキッチンに向かい、昼食の片付けをしているクラウィスに声を掛けた。
『勇者様、どうしまシた?』
「クラウィス、事務所の一員が増えた」
俺はタオルに包まれたままの赤子を抱き上げてクラウィスの前に掲げた。
クラウィスは服も着ていない赤子を見て、俺の言っていることを理解すると困惑した笑顔を見せる。
クラウィスの言いたい事はわかる。
この事務所はただでさえ余計な仕事が多い。俺がサボっている事務仕事の他、掃除洗濯料理。特に料理は、大食漢のコルダと偏食家のリリーナがいるから労力が半端ないはずだ。そこに、ミルクだか離乳食だかが必要な赤子の世話まで押し付けられるなど堪ったものではないだろう。
「大丈夫だ。俺が面倒看るから」
『勇者様……赤ちゃんの世話は大変なんでスよ』
「平気だ。ニーアもコルダも手伝ってくれるから、クラウィスに負担はかけない」
俺がそう言うと同時に赤子がお漏らしをし始めた。オムツもしていないから、タオルを濡らして床にびたびたと広がっていく。
俺が面倒を看る、と念の為もう一度繰り返したが、すぐに拭く気になれなくてしばらくクラウィスと無言で見つめ合う時間が過ぎた。
+++++
獣人は大きな瞳と耳で見た目が幼く見えるし、体が丈夫で老化のスピードが遅いから年齢も性別も見た目からでは判別しにくい。一度体を洗ってわかったが、この獣人は男の子だ。少し痩せていて所々に擦り傷があるが、大きな怪我はない健康体だった。
しかし、団長が用意した最新の哺乳瓶を使っているのにミルクを全く飲まない。口に無理矢理入れても飲み込む前に全て吐き出してしまう。
沢山砂糖を入れれば甘くなるから喜んで飲むんじゃないか、と提案したが、ニーアに無視された。
「多分歯が生えかけているので、ご飯を食べられるんじゃないでしょうか?」
「離乳食か?」
クラウィスが食事係になってから、俺は思い出せる範囲で食事と呼べるものを作った記憶がない。
直近にキッチンに立ったのは、数日前にコルダとスライムを作って遊んだ時だ。流しいっぱいに作ってなかなか迫力のある遊びだったが、翌朝クラウィスにバレて俺だけ叱られた。そういう事情もあって、クラウィスに離乳食を作ってくれと頼むのは忍びない。
しかし、離乳食とスライムは見た目も似ているし同じようなものだろう。
俺にも作れる気がする。そう思ってキッチンに行こうとしたが、ニーアにマントを掴んで止められた。
「コルダさん。獣人の赤ちゃんって何を食べるんですか?」
「知らないのだーその辺の草でも食べさせておけばいいのだー」
コルダは赤子の世話をする気はないようで、興味無さそうにいつも通り日向ぼっこをしていた。
クラウィスは屋敷に知らない獣人が来てピリピリしていて、機嫌の悪さに比例してメイド服が派手になっていた。
そして、リリーナはここ最近養成校の講師室から帰って来ない。モベドスで職員に引き摺られて別れてから顔を合わせていないが、俺が八つ当たりをしてしまったこととか、裸を見てしまったこととか、謝らなければならないことがいくつもある気がする。
「勇者様、この子、何かお名前を付けませんか?」
「名前?」
「だって、いつまでも赤ちゃんって呼んでるのは変ですよ。お名前があった方がお世話もしやすいですし」
まさか、名前を付けて本格的に飼うつもりか。そう嫌な予感がしたが、確かに拾った子とはいえ名前も付けずに世話をするのはやりにくい気がする。
「じゃあ、黒いからクロ」
「うーん?どちらかというと、茶色じゃないですか?」
「なら、チャーコ」
「勇者様、真剣に考えてください。コルダさんは何がいいと思いますか?」
ニーアはテラスで丸まって昼寝をしているコルダにも声を掛けた。
コルダはてっきりいつも通り回答を拒否するかと思ったのに、丸まったまま耳をぴくりと動かして顔を上げないまま答える。
「お名前?それなら、リイァンュがいいのだ」
「……え?」
コルダが提案した名前は、おそらく俺が初めて聞く単語で繰り返そうとしても上手く発音できなかった。
しかし、ニーアが小さな声を上げたのは、別の理由がありそうだ。
「そうですね。それがいいと思いますよ」
「別に。クロでもチャーコでも、なんでもいいのだ」
コルダはつまらなそうに言い捨てて、そのまま昼寝を始めてしまった。
何か気付いたことがあったのだろうかと、キッチンに向かうニーアの後をついてコルダに聞こえないように尋ねる。
「さっきのリ、何とかって、ニーアは何か知ってるのか?」
「ええ、北の方の国の言語です」
ニーアが教えてくれたが、まだピンと来なかった。養成校にいる間に一通りの言語は学んだから、確かに北の言語によくある発音だとわかった。しかし、そんな単語は聞いたことがない。
「辞書に載るような単語じゃないんです。ニーアも観光客が話しているのを聞いて知りました」
「もしかして、コルダの母国語かな」
「そうかもしれませんね。コルダさん、全然自分のことを話さないから出身とかも聞いたことないですし」
「それで、リ何とかって、どんな意味なんだ?」
「親しい人同士の呼びかけです。親子とか、恋人とか。ニーアも、親が子どもに呼びかけていたので、名前と勘違いしちゃったんですけど、宝物とか、愛しい人みたいな意味らしいですよ」
名無しの赤子に付ける名前としてはセンスがある。しかし、残念なことにニーアも上手く発音できないらしい。何回か呼びかけようとチャレンジした結果、リュウと随分略した名前に落ち着いていた。
あまりの手際の良さに嫌味の1つでも言おうとしたが、それよりも先に自警団は風のように去って行った。
「隣街のことですから、快く協力しましょう」
赤子を抱いたニーアは、不服そうな俺を宥めるように言った。
あの街に迷惑をかけられてばかりだ。
と思ったが、勇者のマントを盗まれたのは俺のせいだし、俺がやったわけじゃないけれどその騒動で店を一つ爆破してしまった。どちからと言うと、迷惑をかけているのは俺の方だ。
それに、街付きの勇者は担当の街を守るために周辺の街も一応気を配っていなければならない。オルドグの街に勇者がいればそいつに押し付けることができるが、俺が知る限りではオルドグに勇者を派遣する計画は無いようだ。
「勇者様も抱っこしてみたらどうですか?」
ニーアが赤子を押し付けて来て、俺は思わず一歩離れる。
馬車の中ではふにゃふにゃと泣きかけていた赤子だが、ニーアの腕の中が気に入ったのか今はうつらうつらと眠りかけていた。
獣人の赤子は、話には聞いていたが人間の赤子と動物の赤子の可愛い所を兼ね備えていて、ぱやぱやとした綿毛のような毛や、頭に比べて大きな耳や瞳は可愛いと思う。が、しかし、愛玩動物として可愛がるのと、育てるのは別の話だ。
「実は……俺は子供が嫌いなんだ」
「ええ、知ってます」
俺としては、己がイナムだということの次に秘密にしておきたい衝撃の事実を告白したつもりだったのに、ニーアは周知の事実のようにあっさり頷いた。
子供が嫌いな人間は一定数はいるだろうが、子供に人気の職業ナンバー1の勇者になっておきながらそんな冷たい事を言うのか、と軽蔑されるかと思ったのに。
「知ってるのか?」
「ええ、皆知ってますよ。副市長も。市長が前みたいに子供向けのイベントを提案しても、勇者様がキレたら万一のことになるからって必死で止めてますし」
そう言えば、市長が帰って来てから、市役所から俺をダシにした集客イベントの企画書がたびたび来るものの、実現に至ったのはあのヒーローショーだけだ。
陰ながら副市長が止めてくれてたのか、と副市長の好感度が上がるチャンスだったが、俺がキレたら万一のことになる、とは随分失礼な言い草だ。俺は分別のある大人だから、キレたとしても子供には手を出さない。
「ユーリたちだって、勇者様が本気で嫌がるから面白がって話しかけてるんですよ」
駄目だ。好きになる要素がない。
しかし、仕事として引き受けてしまったし、授業があるニーアに頼り切るわけにもいかなだろう。赤子を受け止めようと手を伸ばして、そのまま停止してしまった。
「大丈夫ですよ。こんなに小さいのに体はしっかりしてますよ。獣人だからですかね?」
「ど、どこを持てばいいんだ?」
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そんな事を言われても、と泣き言を零しながらニーアに手伝ってもらって何とか俺の腕の中に赤子が収まった。
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「きっとすぐに慣れますよ。コルダさんもいるし、元気な子に育つはずです!」
ニーアの言葉に背を押されるように事務所に入ると、口の周りにケチャップを付けたコルダが駆け寄ってきた。
「おかえりなのだー!勇者様のお昼ご飯、ちょっと残しておいてあげたの、だ……?」
そのまま俺に抱き着いてマントで口を拭こうとしたコルダだったが、俺が抱いている物に気付いて足を止めた。背伸びをしてタオルの包みを覗き込む。
「それ、なぁに?」
「獣人の赤ちゃんです。オルドグで迷子になっていたので、しばらく事務所で預かることになりました」
「迷子?歩けない赤ちゃんが、どうやって迷子になるのだ?」
「えーっと……」
男の獣人が殺されたことを隠すために誤魔化したのだろうが、嘘が苦手なニーアは早速コルダに疑われている。
俺はニーアが嘘を重ねて自爆する前に、団長から受け取ったタグをコルダに見せた。
「これ、見た事あるか?」
コルダはちらりとそれを見ると、すぐにぷるぷると首を横に振る。
「知ーらないのだ。孤児なら早く孤児院に連れて行けばいいのだ」
「引き取ってくれる人が来るまで、少し預かることになった」
「コルダさん、獣人の赤ちゃんって何を食べるんですか?」
「そんなこと、コルダに聞かれても困るのだ……」
コルダはニーアの質問に拒否するように俺のマントに顔を埋めた。ぶんぶんと首を横に振っているのは、答えるのを拒否しているのか、口の周りを拭いているのか。
「面倒を看てやってくれないか?きょうだいが出来たと思って」
「嫌ー!そんな汚い弟なんていらないのだー!ばばっちいからお風呂で洗って来てなのだー!」
コルダはそう言うと、リビングに逃げて行って毛布を被ってしまった。
そんなに汚いだろうかと赤子を覗く。コルダと違って焦げ茶の毛をしていてわかりにくいが、綺麗に洗われていて石鹸の匂いがする。団長は、奥さんに逃げられた男親なりに赤ん坊の世話をしていたらしい。
「……コルダさんが他の獣人の方と話しているの、見たことないですね」
コルダを心配そうに伺いつつ、ニーアが呟いた。
ホーリアにはコルダ以外の白銀種はいないが、普通の獣人なら何人か住んでいるし、観光客でも珍しくない。しかし、コルダはあまり事務所から出ないし、外出するときはフードを被って耳や手を隠している。ホーリアの住人でもコルダを獣人だと知っている人は少ないだろう。
獣人の中でも稀な白銀種だと知られたら面倒なこともあるだろうし、コルダなりに気を遣っている可能性もある。
「よし……」
俺は叱られる覚悟でキッチンに向かい、昼食の片付けをしているクラウィスに声を掛けた。
『勇者様、どうしまシた?』
「クラウィス、事務所の一員が増えた」
俺はタオルに包まれたままの赤子を抱き上げてクラウィスの前に掲げた。
クラウィスは服も着ていない赤子を見て、俺の言っていることを理解すると困惑した笑顔を見せる。
クラウィスの言いたい事はわかる。
この事務所はただでさえ余計な仕事が多い。俺がサボっている事務仕事の他、掃除洗濯料理。特に料理は、大食漢のコルダと偏食家のリリーナがいるから労力が半端ないはずだ。そこに、ミルクだか離乳食だかが必要な赤子の世話まで押し付けられるなど堪ったものではないだろう。
「大丈夫だ。俺が面倒看るから」
『勇者様……赤ちゃんの世話は大変なんでスよ』
「平気だ。ニーアもコルダも手伝ってくれるから、クラウィスに負担はかけない」
俺がそう言うと同時に赤子がお漏らしをし始めた。オムツもしていないから、タオルを濡らして床にびたびたと広がっていく。
俺が面倒を看る、と念の為もう一度繰り返したが、すぐに拭く気になれなくてしばらくクラウィスと無言で見つめ合う時間が過ぎた。
+++++
獣人は大きな瞳と耳で見た目が幼く見えるし、体が丈夫で老化のスピードが遅いから年齢も性別も見た目からでは判別しにくい。一度体を洗ってわかったが、この獣人は男の子だ。少し痩せていて所々に擦り傷があるが、大きな怪我はない健康体だった。
しかし、団長が用意した最新の哺乳瓶を使っているのにミルクを全く飲まない。口に無理矢理入れても飲み込む前に全て吐き出してしまう。
沢山砂糖を入れれば甘くなるから喜んで飲むんじゃないか、と提案したが、ニーアに無視された。
「多分歯が生えかけているので、ご飯を食べられるんじゃないでしょうか?」
「離乳食か?」
クラウィスが食事係になってから、俺は思い出せる範囲で食事と呼べるものを作った記憶がない。
直近にキッチンに立ったのは、数日前にコルダとスライムを作って遊んだ時だ。流しいっぱいに作ってなかなか迫力のある遊びだったが、翌朝クラウィスにバレて俺だけ叱られた。そういう事情もあって、クラウィスに離乳食を作ってくれと頼むのは忍びない。
しかし、離乳食とスライムは見た目も似ているし同じようなものだろう。
俺にも作れる気がする。そう思ってキッチンに行こうとしたが、ニーアにマントを掴んで止められた。
「コルダさん。獣人の赤ちゃんって何を食べるんですか?」
「知らないのだーその辺の草でも食べさせておけばいいのだー」
コルダは赤子の世話をする気はないようで、興味無さそうにいつも通り日向ぼっこをしていた。
クラウィスは屋敷に知らない獣人が来てピリピリしていて、機嫌の悪さに比例してメイド服が派手になっていた。
そして、リリーナはここ最近養成校の講師室から帰って来ない。モベドスで職員に引き摺られて別れてから顔を合わせていないが、俺が八つ当たりをしてしまったこととか、裸を見てしまったこととか、謝らなければならないことがいくつもある気がする。
「勇者様、この子、何かお名前を付けませんか?」
「名前?」
「だって、いつまでも赤ちゃんって呼んでるのは変ですよ。お名前があった方がお世話もしやすいですし」
まさか、名前を付けて本格的に飼うつもりか。そう嫌な予感がしたが、確かに拾った子とはいえ名前も付けずに世話をするのはやりにくい気がする。
「じゃあ、黒いからクロ」
「うーん?どちらかというと、茶色じゃないですか?」
「なら、チャーコ」
「勇者様、真剣に考えてください。コルダさんは何がいいと思いますか?」
ニーアはテラスで丸まって昼寝をしているコルダにも声を掛けた。
コルダはてっきりいつも通り回答を拒否するかと思ったのに、丸まったまま耳をぴくりと動かして顔を上げないまま答える。
「お名前?それなら、リイァンュがいいのだ」
「……え?」
コルダが提案した名前は、おそらく俺が初めて聞く単語で繰り返そうとしても上手く発音できなかった。
しかし、ニーアが小さな声を上げたのは、別の理由がありそうだ。
「そうですね。それがいいと思いますよ」
「別に。クロでもチャーコでも、なんでもいいのだ」
コルダはつまらなそうに言い捨てて、そのまま昼寝を始めてしまった。
何か気付いたことがあったのだろうかと、キッチンに向かうニーアの後をついてコルダに聞こえないように尋ねる。
「さっきのリ、何とかって、ニーアは何か知ってるのか?」
「ええ、北の方の国の言語です」
ニーアが教えてくれたが、まだピンと来なかった。養成校にいる間に一通りの言語は学んだから、確かに北の言語によくある発音だとわかった。しかし、そんな単語は聞いたことがない。
「辞書に載るような単語じゃないんです。ニーアも観光客が話しているのを聞いて知りました」
「もしかして、コルダの母国語かな」
「そうかもしれませんね。コルダさん、全然自分のことを話さないから出身とかも聞いたことないですし」
「それで、リ何とかって、どんな意味なんだ?」
「親しい人同士の呼びかけです。親子とか、恋人とか。ニーアも、親が子どもに呼びかけていたので、名前と勘違いしちゃったんですけど、宝物とか、愛しい人みたいな意味らしいですよ」
名無しの赤子に付ける名前としてはセンスがある。しかし、残念なことにニーアも上手く発音できないらしい。何回か呼びかけようとチャレンジした結果、リュウと随分略した名前に落ち着いていた。
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