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第29話 勇者、学業に励む
〜7〜
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この世には、手を出してはいけないものが3つある。
ヴィルドルクの勇者、祖の国ディス・マウト。そして、アムジュネマニスの魔術師。
面白半分で関わって、その結果どうなっても自己責任ということだ。
しかし、今回は向こうが先に喧嘩を売って来た。その挑発に乗ってしまった俺はやや軽率だったかもしれないが、どう見ても俺が被害者だ。だから俺は悪くない。
入学初日から学園に逆らった部外者としてこの上なく肩身が狭い。が、今更反省しても仕方ないから、そういうスタンスでやっていこう。
ポテコの治癒魔術が止まったのを確認して、俺にしては前向きな気持ちで体を起こす。
ベッドの傍らで本を読んでいたポテコは、本を閉じて大きな溜息を吐いた。
「ばーか」
「……」
「せっかく無傷で解放してくれそうだったのに、先輩はすぐ怒るんだから」
「だって、ポテコが怒らないから……」
起き上がろうとして腰の痛みに呻いて倒れる。
バキバキに骨が折れてぐちゃぐちゃに潰されたのに、ポテコが治療してくれたから腰の痛みだけで済んでいる。この程度の痛み、前世のぎっくり腰からの12時間デスクワークに比べたらかすり傷程度だ。
「ボクは頼んでないよ。先輩が爆発する言い訳にボクを使わないで」
ポテコは俺をベッドにうつ伏せに転がして、両手で腰を押す。ぽきっと骨が噛み合う音がして、少し痛みが楽になった。
「でもスッキリした。入学を許可するって言った直後にあんな事しちゃってさ。あの人たち、もう先輩に何も言えないよ」
「まぁ、向こうも色々あるよな」
久々にこれは死ぬなという体験だったが、丸一日ポテコが看病してくれて、頭を弄られた気持ち悪さも消えてまぁまぁの調子を取り戻していた。
気絶も出来ずに呻いていた時はどうやって奴らに復讐しようか考えていたが、後遺症もなく治ったことだし許してやろう。勝手にズカズカ学園に入り込んでしまった俺の方にも非はあるし。
体中に発動していた魔術式が消えて、ようやく周りを確認する余裕ができた。
ポテコに連れてこられたのは学園内の個室らしい。薄暗い雰囲気と積み重なった書籍が、養成校のリリーナの講師室によく似ている気がする。
「ボクの部屋。あんまり見ないで」
ポテコがそう言って、俺の視界を遮るように水の入ったグラスを渡してくる。単なる研究生の1人に個室が与えられるのだろうかと疑問に思ったが、野暮な事は聞かずにいた。
理事に眼鏡を壊されたから、ポテコは眼鏡をかけていない。一緒に養成校で2年生活したのに、ポテコの素顔を観るのは初めてだった。
ポテコの白い肌の顔に、赤く爛れた火傷の痕が広がっていた。眼鏡自体に変装魔術が掛かっていて、眼鏡をかけている間は傷が見えないようになっていたようだ。確かにその方が顔に直接魔術をかけるより負担が少ない。
俺はベッドの傍らに置ていた自分の荷物を探って勇者のマントを引っ張り出した。
クラウィスは洗濯の時にポケットから出した物をちゃんと戻してくれるから、あの時着ていたマントなら入っているはず。
思っていた通り、前に養成校でポテコに渡された眼鏡がそのまま入っている。つるを開いてポテコにかけると、火傷の痕は見えなくなって見慣れたポテコの顔に変わった。
「大丈夫か?もう痛くないよな?」
「ありがとう。先輩は、素直な良い子だね」
ポテコはまるで幼い子供を相手にするようにそう言って、一度外してレンズを拭いてから掛け直した。
+++++
部屋を出て、ポテコの後ろを付いて白い廊下を進む。
廊下は一面がガラス張りになっていて、外には広い学園が広がっていた。学園の中を案内してもらっていたが、歴代の魔術師の大量の忘備録とか、柱の崩壊時の記録を残した書とか、多分見る人が見れば垂涎物の遺物なんだろうが、俺は全然興味がないから眠くなってくる。
「ボクも先輩がこういう物に一切興味がないのは知ってるけど、一応学園に来た人には見せることになってるの」
「へー……」
「来校者が泊まれる所があるから案内するよ。怪我も治ったし一人で寝れるでしょ」
時間は深夜を回ったところで、窓から見える白い建物の群れは所々にぽつぽつと灯りが付いているが、殆どが真っ暗になって闇に紛れていた。
「図書館は?」
「もう夜だから閉じてる」
「閉館時間があるのか」
「そう。魔術師も夜は寝るの」
学園の中を歩いていても人の気配が無くて静かだった。教師も生徒もこの時間は眠っているらしい。魔術師なのに勇者の俺よりも規則正しい生活をしている。
広い螺旋階段を下りると、広い空間に白い椅子とテーブルが並んでいた。
「ここ、食堂。もう終わっちゃってるけど」
天下のモベドスの食堂は流石だ。営業時間はきっちり守る。養成校の食堂はどうだったのか思い返してみたが、俺は食堂を使った記憶が無いからわからなかった。
食堂には誰もいなかったが、真ん中にある大きなテーブルにパンや果物が乗っている。ポテコは無造作にそれをバスケットに詰めて、昨日から何も食べていない俺に渡してくれる。
「魔術師は、食事なんかしないのかと思った」
てっきり食事をする時間も惜しんで研究をしていて、食事も魔術で済ませているのかと思っていた。俺が呟くと、ポテコが「それ、先輩だけだから」とズバリと言ってくる。
「この学園では、魔術は研究するものなの。食事とか洗濯とか、家事に使う魔力があるなら研究しろってこと」
言われてみれば、ホテル・アルニカのオーナーも魔術で分身を作ったり、魔術で調理器具を動かしたり。直接魔術を使わずに回りくどい方法でホテルの仕事を片付けていた。追放されたとはいえ学園の元理事だけあって、その信念はホテル運営に引き継がれているらしい。
「あとは、他国に潜入したときに、食事が覚束なかったり洗濯の仕方がわからなかったら疑われちゃうから」
「俺、着替え持って来てないな」
「洗濯所があるから使えば?売ってるお店もあるし」
ポテコに案内されて、何度か渡り廊下を歩いて建物が変わり、最後に行き付いたのは丸い入口がずらりと並んだ廊下だった。ここが来校者用の仮眠室らしい。
体を屈めて入ると、中は寝台車の客室のような個室になっている。手足をギリギリ伸ばせるくらいの狭さだが、天井が高くて圧迫感がなく、数日の宿泊なら快適に過ごせる空間だった。
「もっと広い部屋もあるけど」
「いいよ。ここで充分だ」
中腰で中に入ると、マントが膝で引っ掛かって首の後ろでフードが揺れた。フードの中から黒い毛玉が転がり落ちて肩を伝って床に落ちた。
ゴミでも入っていたのかと毛玉を拾い上げると、それは赤い瞳で俺を見上げてジュッと小さな鳴き声を上げた。
「リ……」
思わず声を出してしまい、「り?」とポテコに尋ねられる。俺は手の中の物を握り潰さないようにマントの下に隠した。
「いや、何でもない。あのー、あ、明日は図書館に行かないとな」
「そうだね。多分ボクは食堂にいるから声かけて」
おやすみ、と言い残してポテコが自分の部屋に戻って行く。ポテコを見送って仮眠室の部屋のドアを閉めてから、そっと手を開いて確認した。
「リリーナ、付いて来ちゃったのか?」
ネズミに話しかけてみたが、この状態だと話せないらしくジュジュと鳴いて俺の指を噛んでくる。
やはり、このネズミはリリーナの講師の姿だ。伺書を見せた時に、既に俺がモベドスに行こうとしていると気付いていたのだろう。
「黙ってて悪かったよ」
初日から酷い目に遭わされて、心が折れそうになっていたところだ。味方がいて心強いかと思ったが、小さなネズミの頭を撫でると指先で潰せそうな頭蓋骨の感触があった。このリリーナに頼るのは無理そうだと思い直す。
そもそも、このネズミに話しかけたところで、本体のリリーナに声は通じているのだろうか。
俺の場合は分身が大きいから通信機代わりにすることもあるけれど、リリーナのネズミは大量にいるから全部の音声を拾っていないような気がする。
このままだとネズミに1人で話しかけている寂しい人間だと思われてしまう。これは単なるネズミとして扱った方がいいかもしれない、と思ってバスケットのパンを千切って渡すと、リリーナは両手で持って食べ始めた。その姿は本物のネズミにしか見えない。
「でも、どうしても知りたい事があるんだ」
リリーナのベッドになるかとマントを畳んで枕元に置く。パンを咥えたネズミはマントの中に潜り込んで、ごそごそと音がしていたがしばらくすると静かになった。
消えてしまったのかと確認すると、細い糸のような尻尾がマントの隙間から覗いている。
ネズミの姿でも、いてくれた方がいいだろう。マントを潰さないように注意しつつ、俺も寝転んで毛布を被った。
ヴィルドルクの勇者、祖の国ディス・マウト。そして、アムジュネマニスの魔術師。
面白半分で関わって、その結果どうなっても自己責任ということだ。
しかし、今回は向こうが先に喧嘩を売って来た。その挑発に乗ってしまった俺はやや軽率だったかもしれないが、どう見ても俺が被害者だ。だから俺は悪くない。
入学初日から学園に逆らった部外者としてこの上なく肩身が狭い。が、今更反省しても仕方ないから、そういうスタンスでやっていこう。
ポテコの治癒魔術が止まったのを確認して、俺にしては前向きな気持ちで体を起こす。
ベッドの傍らで本を読んでいたポテコは、本を閉じて大きな溜息を吐いた。
「ばーか」
「……」
「せっかく無傷で解放してくれそうだったのに、先輩はすぐ怒るんだから」
「だって、ポテコが怒らないから……」
起き上がろうとして腰の痛みに呻いて倒れる。
バキバキに骨が折れてぐちゃぐちゃに潰されたのに、ポテコが治療してくれたから腰の痛みだけで済んでいる。この程度の痛み、前世のぎっくり腰からの12時間デスクワークに比べたらかすり傷程度だ。
「ボクは頼んでないよ。先輩が爆発する言い訳にボクを使わないで」
ポテコは俺をベッドにうつ伏せに転がして、両手で腰を押す。ぽきっと骨が噛み合う音がして、少し痛みが楽になった。
「でもスッキリした。入学を許可するって言った直後にあんな事しちゃってさ。あの人たち、もう先輩に何も言えないよ」
「まぁ、向こうも色々あるよな」
久々にこれは死ぬなという体験だったが、丸一日ポテコが看病してくれて、頭を弄られた気持ち悪さも消えてまぁまぁの調子を取り戻していた。
気絶も出来ずに呻いていた時はどうやって奴らに復讐しようか考えていたが、後遺症もなく治ったことだし許してやろう。勝手にズカズカ学園に入り込んでしまった俺の方にも非はあるし。
体中に発動していた魔術式が消えて、ようやく周りを確認する余裕ができた。
ポテコに連れてこられたのは学園内の個室らしい。薄暗い雰囲気と積み重なった書籍が、養成校のリリーナの講師室によく似ている気がする。
「ボクの部屋。あんまり見ないで」
ポテコがそう言って、俺の視界を遮るように水の入ったグラスを渡してくる。単なる研究生の1人に個室が与えられるのだろうかと疑問に思ったが、野暮な事は聞かずにいた。
理事に眼鏡を壊されたから、ポテコは眼鏡をかけていない。一緒に養成校で2年生活したのに、ポテコの素顔を観るのは初めてだった。
ポテコの白い肌の顔に、赤く爛れた火傷の痕が広がっていた。眼鏡自体に変装魔術が掛かっていて、眼鏡をかけている間は傷が見えないようになっていたようだ。確かにその方が顔に直接魔術をかけるより負担が少ない。
俺はベッドの傍らに置ていた自分の荷物を探って勇者のマントを引っ張り出した。
クラウィスは洗濯の時にポケットから出した物をちゃんと戻してくれるから、あの時着ていたマントなら入っているはず。
思っていた通り、前に養成校でポテコに渡された眼鏡がそのまま入っている。つるを開いてポテコにかけると、火傷の痕は見えなくなって見慣れたポテコの顔に変わった。
「大丈夫か?もう痛くないよな?」
「ありがとう。先輩は、素直な良い子だね」
ポテコはまるで幼い子供を相手にするようにそう言って、一度外してレンズを拭いてから掛け直した。
+++++
部屋を出て、ポテコの後ろを付いて白い廊下を進む。
廊下は一面がガラス張りになっていて、外には広い学園が広がっていた。学園の中を案内してもらっていたが、歴代の魔術師の大量の忘備録とか、柱の崩壊時の記録を残した書とか、多分見る人が見れば垂涎物の遺物なんだろうが、俺は全然興味がないから眠くなってくる。
「ボクも先輩がこういう物に一切興味がないのは知ってるけど、一応学園に来た人には見せることになってるの」
「へー……」
「来校者が泊まれる所があるから案内するよ。怪我も治ったし一人で寝れるでしょ」
時間は深夜を回ったところで、窓から見える白い建物の群れは所々にぽつぽつと灯りが付いているが、殆どが真っ暗になって闇に紛れていた。
「図書館は?」
「もう夜だから閉じてる」
「閉館時間があるのか」
「そう。魔術師も夜は寝るの」
学園の中を歩いていても人の気配が無くて静かだった。教師も生徒もこの時間は眠っているらしい。魔術師なのに勇者の俺よりも規則正しい生活をしている。
広い螺旋階段を下りると、広い空間に白い椅子とテーブルが並んでいた。
「ここ、食堂。もう終わっちゃってるけど」
天下のモベドスの食堂は流石だ。営業時間はきっちり守る。養成校の食堂はどうだったのか思い返してみたが、俺は食堂を使った記憶が無いからわからなかった。
食堂には誰もいなかったが、真ん中にある大きなテーブルにパンや果物が乗っている。ポテコは無造作にそれをバスケットに詰めて、昨日から何も食べていない俺に渡してくれる。
「魔術師は、食事なんかしないのかと思った」
てっきり食事をする時間も惜しんで研究をしていて、食事も魔術で済ませているのかと思っていた。俺が呟くと、ポテコが「それ、先輩だけだから」とズバリと言ってくる。
「この学園では、魔術は研究するものなの。食事とか洗濯とか、家事に使う魔力があるなら研究しろってこと」
言われてみれば、ホテル・アルニカのオーナーも魔術で分身を作ったり、魔術で調理器具を動かしたり。直接魔術を使わずに回りくどい方法でホテルの仕事を片付けていた。追放されたとはいえ学園の元理事だけあって、その信念はホテル運営に引き継がれているらしい。
「あとは、他国に潜入したときに、食事が覚束なかったり洗濯の仕方がわからなかったら疑われちゃうから」
「俺、着替え持って来てないな」
「洗濯所があるから使えば?売ってるお店もあるし」
ポテコに案内されて、何度か渡り廊下を歩いて建物が変わり、最後に行き付いたのは丸い入口がずらりと並んだ廊下だった。ここが来校者用の仮眠室らしい。
体を屈めて入ると、中は寝台車の客室のような個室になっている。手足をギリギリ伸ばせるくらいの狭さだが、天井が高くて圧迫感がなく、数日の宿泊なら快適に過ごせる空間だった。
「もっと広い部屋もあるけど」
「いいよ。ここで充分だ」
中腰で中に入ると、マントが膝で引っ掛かって首の後ろでフードが揺れた。フードの中から黒い毛玉が転がり落ちて肩を伝って床に落ちた。
ゴミでも入っていたのかと毛玉を拾い上げると、それは赤い瞳で俺を見上げてジュッと小さな鳴き声を上げた。
「リ……」
思わず声を出してしまい、「り?」とポテコに尋ねられる。俺は手の中の物を握り潰さないようにマントの下に隠した。
「いや、何でもない。あのー、あ、明日は図書館に行かないとな」
「そうだね。多分ボクは食堂にいるから声かけて」
おやすみ、と言い残してポテコが自分の部屋に戻って行く。ポテコを見送って仮眠室の部屋のドアを閉めてから、そっと手を開いて確認した。
「リリーナ、付いて来ちゃったのか?」
ネズミに話しかけてみたが、この状態だと話せないらしくジュジュと鳴いて俺の指を噛んでくる。
やはり、このネズミはリリーナの講師の姿だ。伺書を見せた時に、既に俺がモベドスに行こうとしていると気付いていたのだろう。
「黙ってて悪かったよ」
初日から酷い目に遭わされて、心が折れそうになっていたところだ。味方がいて心強いかと思ったが、小さなネズミの頭を撫でると指先で潰せそうな頭蓋骨の感触があった。このリリーナに頼るのは無理そうだと思い直す。
そもそも、このネズミに話しかけたところで、本体のリリーナに声は通じているのだろうか。
俺の場合は分身が大きいから通信機代わりにすることもあるけれど、リリーナのネズミは大量にいるから全部の音声を拾っていないような気がする。
このままだとネズミに1人で話しかけている寂しい人間だと思われてしまう。これは単なるネズミとして扱った方がいいかもしれない、と思ってバスケットのパンを千切って渡すと、リリーナは両手で持って食べ始めた。その姿は本物のネズミにしか見えない。
「でも、どうしても知りたい事があるんだ」
リリーナのベッドになるかとマントを畳んで枕元に置く。パンを咥えたネズミはマントの中に潜り込んで、ごそごそと音がしていたがしばらくすると静かになった。
消えてしまったのかと確認すると、細い糸のような尻尾がマントの隙間から覗いている。
ネズミの姿でも、いてくれた方がいいだろう。マントを潰さないように注意しつつ、俺も寝転んで毛布を被った。
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